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更新日:2004/04/04(日)

[海外・国際] 米兵の死を悼み、イラクに思いを馳せる ──きくちゆみ

海岸に突如現れた十字架

戦死した兵士の情報をパネルに書き写し、十字架にパネルを下げて冥福を祈る。イラクの人々の墓を立てたなら、この海岸中を埋め尽くすことになる。

二月一五日の午後、アンディ・マンオフが興奮してサンタモニカから電話をかけてきた。「ゆみ、大成功だよ。これは、今までに僕たちがやったどんな行動も超えている。戦争に賛成の人も反対の人も、みな兵士の死を悼み、祈りをささげている」

「でも、イラクの人たちのことは?」「そこなんだ。僕らがそのことを一番伝えたいのは、わかっているだろう?でも、いきなりアメリカ人にイラク市民の犠牲者のことを伝えても、残念ながら彼らは気にもとめない。ところが、ここにきて、一枚一枚プレートを書き写した人の心には、何か確実に変化がおきているんだ。多くの人が泣いている。それは心が開いたからだ。心が開いてはじめて、戦争の苦しみ、悲しみ、死の現実を理解する。そしてはじめて、イラクの人々のことを思いやる心のゆとりができるんだ。これは画期的だよ。これをアメリカ中でやりたいよ」「OK。わかった。アメリカ中でやりましょう。必ず手伝うから」「ゆみ、日本に帰る前にここに来て一度この光景を見てほしい」「行きたいけど、もう財布が空っぽで飛べない。せめて写真でも送って」と言って電話を切る。その後すぐアンディから送られてきた写真が、ここにある写真だ。

晴れた日曜の朝にサンタモニカの海岸へ行くと、ボードウォークの隣の海岸に忽然と十字架が立ち並んでいる。遊びに来たはずの人々も意表をつかれ立ち止まり、しばしその光景に見入る。十字架の前に立つパネルには「アーリントン・ウエスト・メモリアル」とある。そこにはイラク戦争で戦死した米兵の名前・生年月日・戦死した日時とその状況などが書かれている。この試みが初めてロスアンゼルスのサンタモニカ海岸で行われた二月一五日現在、その数は五四〇名。


繁栄を謳歌する米と破壊のイラク

いかにも平和なサンタモニカと、突如として現れた十字架が伝えるイラク戦争の現実のコントラストは、悲しく強烈だ。それは自由と繁栄を謳歌するアメリカと、破壊と死に怯えるイラクの対比。

集まった人々は、ボランティアに促されて、戦死した兵士の情報をパネルに丁寧に書き写すと、それをもって十字架のひとつを選び、パネルを下げる。それぞれが兵士の冥福を祈る。花を手向ける人もいれば、涙を流している人もいる。

昨年の三月二〇日に米軍がイラクを攻撃してからまもなく一年が過ぎようとしているが、米兵の犠牲者は毎日増えている。一方、イラクの人々の犠牲者は少なく見積もって一万人、イラクからの情報では四万人を超えている。「アーリントン・ウエスト」は米兵専用の墓地だが、パネルのひとつには、「もしイラクの人々の墓をここに立てたなら、この海岸中を埋め尽くすことでしょう」とも書かれている。

米軍占領下のイラクの人々の抵抗は増すばかりで、米軍やその同盟軍への攻撃は、収まる気配がない。しかし、米兵の死者に関する報道は、死者数が簡単に報告されるのみで、扱いがきわめて小さい。再選をかけたブッシュ大統領が大統領選挙を有利に戦うための戦略なのかもしれない。

そのことに抗議したサンタバーバラ在住のステファン・シェリルは、米兵の死を弔い、一般市民に戦争の現実を知ってもらうために、海岸に戦死者の数の十字架を立てることを思いついた。彼のアイデアに共感した平和のための退役軍人の会(VFP)サンタバーバラ支部のメンバーが、十字架の製作を手伝った。こうして昨年の一一月九日以来、毎週日曜日のサンタバーバラの海岸に「アーリントン・ウエスト」が出現することになった。プロジェクト名は、ワシントン郊外にある最大級の軍人専用墓地「アーリントン墓地」からとった。

これを聞きつけたのが『戦争中毒』の出版者のフランク・ドリル。来る日も来る日も反戦デモや集会に出向いて『戦争中毒』と彼のビデオ『第三世界に対する戦争』を販売してきたが、そこに来ている人はすでに顔なじみばかり。彼はそのことに限界を感じていた。

これなら戦争賛成の人にも伝わる!

花を手向ける人もいれば、涙を流している人も

「釈迦に説法」の限界を超えるには、どうすればいいのか――彼はより多くの一般大衆にもアメリカの戦争の真実を知ってもらう効果的な何かを求めていた。それで「アーリントン・ウエスト」のプロジェクトについて聞いた瞬間、「これならデモには来ないような人たちにも伝えられる!」と思ったのだ。

彼はさっそくロスのVFPに協力を要請し、友人のアンディ・マンオフに十字架の製作を頼む。準備期間約一ヶ月を経て、サンタモニカにも「アーリントン・ウエスト」が実現した。

イラクへの攻撃は、対テロ戦争の一環として決定された。しかし、九・一一事件とイラクは結局無関係だった。その後、戦争の理由は、イラクの大量破壊兵器を壊滅させるため、ということになった。しかし、大量破壊兵器は見つからなかった。このことを米国議会で厳しく追及しているのが、デニス・クシニッチ下院議員だ。彼は大統領選挙に民主党から出馬し、このことを争点にしているが、同じ大統領候補でもイラク戦争を支持したケリーとエドワードは、大量破壊兵器問題には触れたがらない。

最終的にイラク戦争の理由は、独裁者フセインからイラクの人々を解放する、というアメリカ人の好む理由に落ち着いた。しかし、爆弾を落として都市や村を破壊し、無実の人々を殺しておいて、どうしてそれが「解放」なのか。なぜ占領軍が歓迎されると思うのか。復興したところで失われた命は戻ってこない。愛する者を失った人々の悲しみは永遠だ。

さらに悲惨なのは、今回の戦争では都市部でも劣化ウランを大量に使ったことだ。ウランで汚染された空気や水や大地は、四五億年を経てやっと放射能が半減する。そこで生き続けなくてはならない人々は、どうやって健康を保つのか。果たしてこれからイラクで健康な子どもを生み育てることができるのだろうか。これがアメリカ式の「解放」?

イラクの人々に歓迎されると信じてイラクへ赴任した米兵たちも気の毒だ。彼らは、あまりに若く無知だ。イラク人の敵意と殺意に怯え、違法で不正な戦争と占領だったことに気づいた兵士たちの中には、自殺する者や脱走する者が後を絶たない。

明日は、デニス・クシニッチがハワイ島にやってくる。クシニッチは、イラクからの米軍撤退を表明している唯一の大統領候補だ。

「アーリントン・ウエスト」は米軍がイラクから完全に撤退するまで毎週日曜日にサンタバーバラとサンタモニカの海岸で行われる。


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