更新日:2004/04/04(日)
[コラム] 独り言という自己表現
「独り言という自己表現」。最近の若者の表現形態を、ある劇作家が著した表現だ。「表現」である以上、それは他者に対して働きかけるものであるはずなのに、なぜか内向きにしか働かない―でも、何も表現しないよりは「まし」だ、というような意味だったと記憶している
駅前で、ギターを持って唸っているなら―機嫌が悪いときは「練習なら家でしろ!」と思う下手っピーも多いのだが、まだ許そう。だが運動の局面で、これが許されていいのだろうか
平和運動でホットな話題に「デモVSピースウォーク論争」というのがあるらしい。馬鹿げた話だ。旧来の「デモ」では市民的理解を得られないので排除しようというものらしい。問題は、市民的理解が得られないかではなくて、国権の発動たる戦争に対して国家という権力装置に異議申し立てすること、なのにである
「デモ」を唱えるお歴々方は、多分、伝統的デモを守ろうという「デモ原理主義者」なのでなくて(そうなら排除せよ!)、たんに他のやり方が思いつかないだけか、ピースウォークを唱える輩が明後日の方向に向いていることに本能で気づいているか、のどちらかだろう
なら、議論を闘わせればすむことではないか。「あのおじさんら、古いんだよね」と後ろを向いて取り巻きにグチる若者や、「それは市民感覚じゃないんだよ」と偉そうな市民派差別主義者の姿が目に前に浮かんでしまう。お年寄りにデモをする権利を保障せよ!(K)
続きは本紙 【月3回発行】 にて。購読方法はこちらです。