[コラム]個人でしかやれないことを選びたい──五味正彦(有機本屋=ほんコミ社)
集団や責任者はもうたくさん
年が改まれば、人並に今年はどうする、どうなる?≠ニ考える。まあ、これは毎年のことだが、今年は私事での重要度がちょっと高いのでメモしてみた。
一九七〇年、新宿に多くの仲間たち (*)と模索舎(つくった当時はスナックシコシコ+情報センターへの模索舎、略してシコシコ・模索舎)をつくって、一七年後の一九八七年、有機本屋=ほんコミ社(当時はほんコミニケート社と称した)をつくった。それから一七年、やっぱり限界がきたようで、今年から来年にかけて、ほんコミ社も私個人も大きく変る予定だ。
シュタイナー派には人は一七年周期で変る≠ニいう考え方がある(『昨日に聞けば明日が見える』ほんの木刊/大村祐子著)ようだが、私の場合、五年×三+二年(なんとかこらえてがまんした二年)という周期を人生で二回くり返した。この[五年×三+二年]という周期の内容は、模索舎運動史 (**)、ほんコミ社運動史を書けば説明できるが、ここでは省略。
一九六〇年代後半の学生運動から、途中一年ちょっとの団体職員(一昨年解散した「国民文化会議」というところ)を経て模索舎へ。
要するに、私は社会的に責任を持って仕事をしてから三四年、ずっと(ほとんど)小さな集団の責任者・代表を続け、そのうちの半分くらいの時間と責任が、人とお金の管理に費やされ、そのことにあきて疲れたという面がある。だから来年からは、定年気分で、管理しない、責任持たない、有意義な時間をつくりたい。
私たち団塊の世代∞全共闘世代∞NONの世代≠ヘ、いずれもここ数年で六〇歳を迎える。それからの十数年にどういう人生設計図を描くのか。これまでの自分史をふり返り、総括し、自分の意志・選択で積極的人生を過ごしたい。
私の場合は、集団・責任者はもうたくさん。個人でしかやれないことを選びたい。「ほんコミ社はどうなるのか?」…心配ないでしょう。模索舎がその後も続いているように、必要な役割があれば誰かが続けてくれるでしょう。
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(*)協力メンバー百名余、総会メンバー(決定権を持った者)三〇名弱、但し総会は一年で有名無実化した。
(**)以前『模索舎通信』で「模索舎一〇年史」を書き出したが、二年分書くのに二年かかり筆を折ってしまった。今なら、歴史のかなたの日本最初のNPO・NGO運動事始めとして、引いた視線で要領よく書けそうな気がする。