[海外] 「平均値」が意味をなさないインド
リクシャー運転手の収入、小学校先生の月給
ホテルからWSF会場の移動には、リクシャーをよく使った。リクシャーとは、オート三輪のタクシーで、日本の人力車が発祥と言われている。二人乗りメーター付で、二〇分ほど走っても一〇〇円ほどなので安いし、小回りが利くので渋滞にも強い庶民の足である。見た目も黄色と黒のツートンカラーで結構かわいいし、いつでもどこでも走っているので、よく利用した。
リクシャーのドライバーは、「地方から出てきて、とりあえず就いた仕事がこれ」という人が多いという。このため、英語を理解するドライバーは少ないのはまだしも、地理をよく知らないのには閉口した。行き先を告げると「OK!」と言って走り出すのだが、目的地を全く知らないドライバーも多い。だから、客が道順を指示しながらの乗車となる(さもなくば、誰かに道を聞きながら、とてつもなく遠回りという羽目となる)。
比較的英語が通じるドライバーに乗り合わせたので、少し話を聞いた。まず、リクシャー本体の値段だが、一万ルピー(約二万五千円)だそうだ(安い!)。投宿したホテルのフロントマンに同じ質問をすると八千ルピー(二万円)と答えたので、まあ、その辺りなのだろう。
リクシャーの一日の売り上げが約五〇〇ルピー(一二五〇円)。一日一五時間働いているという。ここからガソリン代などの経費を差し引くと、おおよそ日当一〇〇〇円の仕事ということになる。月収三万円以下で一家五人が暮らしていることとになる。いくら物価が安いといっても、生活は相当苦しいはずだ。
ちなみに、小学校の先生の月給が手当を含めて八〇〇〇ルピー(二万円)ほどだという。この給料だけでは食えないので、共働きかもう一つ仕事を持っている人が圧倒的だと聞いた。月収三万円というのが、インドの中流に何とか引っかかる収入基準なのだろう。小学校で先生の給料を聞いた後に私は、「(先生の給料は)平均賃金より高いのか?低いのか?」というお馬鹿な質問をしてしまった。相手は、「質問の意味が分からん」といった風情でぽかーんとした顔をしている。
それもそのはずで、まず、そんな統計数字はないのだろう。仮にあったとしても、貧富の格差が大きすぎて、「平均賃金」という数字が意味を持たないのだ(九九人が一ドル、一人が一万ドルという場合の平均=一〇一jという数字は、実体を映さない)。「平均」という概念そのものが日本的なのだと気がつかされた。インドに来て「日本的価値観」から抜けきれない私の実姿を見せつけられた。