人民新聞オンライン

タイトル 人民新聞ロゴ 最新版 1部150円 購読料半年間3,000円 郵便振替口座 00950-4-88555┃購読申込・問合せはこちらまで┃人民新聞社┃TEL (06) 6572-9440 FAX (06) 6572-9441┃Mailto:people@jimmin.com
反貧困社会編集一言政治海外情報投書コラムサイトについてリンク過去記事
更新日:2004/02/04(水)

[文化] 台湾・中国〜生活を通して提起すれば必ず波紋は広がる ──単福

地域の中で生活のあり方が問われはじめた

私が、大学で反入管問題に関わっていた頃、東京や大阪では、日立による朴鐘碩さんの就職差別裁判闘争や、徐翠珍さんの大阪市に対する就職差別闘争が行われていました。街頭でのカンパニア闘争から、具体的な生活を通しての闘争への転換点になったのではなかったか、と思います。大阪まで、日立の就職差別裁判の傍聴に出かけたのを思い出します。

また同じ頃、同じ中国人である徐翠珍さんの話を聞きに大阪に行きました。その頃私は、生活の視点の見えない闘争に疑問を抱いていましたので、これらの闘いに強く引きつけられたのを覚えています。これまで、「就職差別は当然のこと」と、具体的な生活に対する闘争は、部落解放運動以外ではあまり取り組まれていなかったと記憶しています。

これらの闘いを通じて、生活圏の中に問題が持ち込まれました。差別を受ける側も、差別をする側にも、それぞれの立場と生活の質が問われ始めました。一九六〇年代後半より、本名宣言などが学園の中での問題として取り組まれていましたが、卒業すると現実の壁の前に逆戻りすることが多かったのです。教師がその教育の中身を問われましたが、卒業後にまで及ぶものはなかったと思います。

しかし、これらの闘争、特に「徐翠珍闘争」は、それぞれの立場性が問われました。朴鐘碩さんの闘争は、その後民闘連(民族差別と闘う連絡協議会)に引き継がれていきましたが、徐翠珍さんの闘争は、地域の中や労働運動にその考え方が(一部ではありましたが)引き継がれていきました。地域の中で、生活のあり方を問うものとして、私の中では、大きな意味を持っていました。

思想史を切開しなければ意識は変革できない

もう一つ私に大きく影響を与えたのは、一九七〇年七月七日に出された、華青闘(華僑青年闘争委員会)による日本の「新左翼」と呼ばれる人々への決別宣言でした。これは当時、新左翼諸党派の街頭での「カンパニア闘争」と「政治利用主義」への批判でした。ある党派は「血債思想」を掲げましたが、観念主義でしかありませんでした。私は、華青闘には入っていませんでしたが、この華青闘の考え方に大きな影響を受けました。「学生の正義感のような、青春の思い出の一ページを飾るようなものとしての運動ではなく、生活の中身が問われる、生き方が問われる運動こそ社会を変える一歩である」と思ったのでした。「生活の問われない運動は、社会を変える原動力にはならない」とも思いました。

そのころは、台湾出身の中国人の闘いも様々ありました。台湾から来て、パスポートを中国に切り替える、という闘いを起こした劉彩品さんを始め、強制送還され、良心囚となった陳玉璽さんの闘いなど、生命をかけたものもありました。

また、一方台湾の独立を目的としたものもありました。しかし台湾の独立運動を指向するものは、日本の姿勢を正すものではなく、植民地支配への批判も全くありませんでした。台湾の体制を問題にすることはあっても、日本の帝国主義に対する批判はありませんでした。これらについて、父はいつも「アメリカCIAの陰謀だ」とよく言っていました。事実、独立運動の指導者の一人、彭明敏はアメリカに亡命していました。そのことは現在の台湾でも、独立派の人々は、日本の軍歌を流すデモからも窺えます。

私は、中国人として自覚をしていく中で、多くの運動からその影響を受けました。その多くは、地域や生活との関わりの中で差別をなくしていく運動から受けました。

前回の「密入国監視システム」の所でも触れましたが、国家は組織的に市民を巻き込んで排外主義を再生産しています。密航に対しては、タクシーの連絡体制網が作られ、町内の回覧板にも密航への「監視呼びかけ」が載せられています。そういった生活の中にまで入り込んだ、国家政策としての排外主義を乗り越えて行くには、「生活を通しての闘いが必要である」と強く感じ、大学での運動に限界を感じて、在日の多い地域に生活の拠点を持つようになったのです。

地域で生活をするようになってから、子供を保育所に預けるようになると、子供への教育を巡って、保母との考え方の違いが出てきました。大げんかしたのは、ひな祭りでした。「中国人だから、教えないで欲しい」というと、保母からは「天皇制には反対するけれど、ひな祭りは行事だからやります」と。地域の母親からは、「ここは日本や、イヤやったら出て行け」といわれたこと。在日朝鮮人の人からは、「気持ちはよくわかる」と言われたこと。一つのことを巡って、多くの体験を得られました。

この頃、私が車の免許を取った一〇代の頃に、教習所の指導官に「君は台湾出身か。昔は日本やったのになあ」と『善意』で言われたことを思い出しました。当時は聞き流すしか方法は取れませんでしたが、「一人ひとりの思想史を切開しなければ、意識はなかなか変革できない」と痛感しました。と同時に、生活を通して提起することによって、池に投げ入れた小石のように、小さくても波紋が広がる、ということを強く学びました。(つづく)

続きは本紙 【月3回発行】 にて。購読方法はこちらです。
[HOME]>[情報]


人民新聞社 本社 〒552-0023 大阪市港区港晴3-3-18 2F
TEL (06) 6572-9440 FAX (06) 6572-9441 Mailto:people@jimmin.com
Copyright Jimmin Shimbun. All Rights Reserved.