[社会] 給食委員会とは? ──かねはぎあつし
生活の一切から私たちの時間・空間を取り戻していく取り組み
やつらの強いる時間と空間に対して、わたしたちの時間と空間を対峙すること。ここにわたしたちの思考を置こう。これがわたしたちの運動だ。そもそも運動とは、「時間と空間は誰のものか」をめぐってせめぎあい、そしてどう取り戻すのか、ではなかったか。だから、わたしたちはデモにおいて、一車線からはみだすことにこだわり、家でどぶろくをつくり、わずか〇・一_の違いで一般流通から外されて処分される米を買い(一`一〇〇円!)、それを仲間うちで回していく。
自分たちのバス
一九二〇年代、日本の侵略によって日本への渡航を強いられた朝鮮人たちが、日本から朝鮮へ帰る時、船賃が高く、差別・迫害の厳しい日本の船を拒否して、自分たちで船を用意して自主運航した。一九五〇年代のアメリカでも、黒人たちは白人による差別・迫害の横行するバスを拒否して、自分たちのバスを走らせた。一九八〇年代以降のヨーロッパ各地で広まった、空きビル占拠の闘い。
野宿者排除の意思とは
今、やつらにとって、野宿者のテント・段ボール村を、法を無視してでも解体・殲滅・一掃を急がなければならないのは、今後の社会を「一億総日雇い」の個別バラバラの社会をめざすやつらの意図とは全く逆の意志が働き、拡大し、団結をもって対抗する可能性があるからだろう。
わたしたちは、彼・彼女たちの闘いに脱帽する。そして、これらの闘いにありとあらゆる場においてつながろう。仮にそれが小さなものであっても、やつらの意図を挫き、歪め、断乎として妨害しよう。「給食委員会」はそれを思考し実践する。
ハングルのできる者、少しは話がわかって学習会が準備できる者、よく分からないがとにかく活動したい者…。参加者がそれぞれの想いと条件をもって、この「給食委員会」の活動は始まった。しかしなぜ給食委員会なのか。実は、わが家の半分を「釜ケ崎パトロールの会」の部屋として、残り半分を自宅として使っている。非常に居心地がいいらしく、大抵部屋でゴロゴロしている者が数名いる。
金を誰に落とすのか?
これらの者を『欠食児童』と呼ぶ。わたし一人だけでご飯食べるのもなんだし…。『欠食児童』たちには、ご飯時になったら帰る、とかの発想はない!…ということで、一緒に食べることになる。食器がアルマイトの器だったり、学食から持ってきた器だったりする。一食あたり二〇〇〜三〇〇円くらいで済む。一人で食べるよりずっと安い。そうして、浮いた金を活動に回していく。金を資本に落とすのか、仲間うちに落とすのか。この視点は重要だ。生活の一切が、それを常に問う。
わたしたちの時間と空間をとりもどせ! 「給食委員会」の二月の予定は未定です。