[海外] パレスチナ──風見鶏が向きを変え始めた
ウリ・アグネリ(訳/脇浜義明)
イスラエル世論の中に目立ち始めた「変化の兆候リスト」
まだ潮流にはなっていないが、小波以上ではある。この数ヶ月間、イスラエル世論に変化が目立ち始めた。原因は幾つかある。際限ない流血のサイクルによる疲労、軍事行動が解決をもたらさないことの認識、経済危機、活発な反戦平和運動の影響等々。
「変化の徴候リスト」も拡大している。若者たちの占領地兵役拒否、空軍パイロットの反乱、アヤロン・ヌッセイベヘ共同和平提案、四人の元諜報・治安機関長官による和平協定と一方的撤退を求める共同声明、そして今週、予備役士官がガザ回廊のネツァリム入植地存続を批判する声明を出した。
ジュネーブ平和集会(訳注:イスラエル左派とパレスチナ人の間で二年間、秘密交渉を重ねた後、実現した市民集会。世界中が注目し、多くの国がカンパを出した。イスラエル政府は、「こういう集会はロードマップを妨害するもの」と各国政府に説明し、集会を認めたスイス政府に抗議した)とその世界的反響がこれに追い討ちをかけた。国際的著名人の参加や米国国務長官や国連事務総長が集会を歓迎したことが、和平運動への国際的支持を鮮明にした(この集会でサリ・ヌッセイベヘと私に平和賞が贈られ、それに対しドイツのヨハネス・ラウ大統領が祝辞を寄せたことも、和平運動の国際的認知の高まりを示すものである)。
風向きが変わると、風見鶏も向きを変える。「ハアレツ」紙の、ヨエル・マーカスのような敏感なコラムニストは、もう数ヶ月前からシャロン叩きに回っている。次第に、それがメディア界の流行となりつつある。過去三年間、政府や軍のプロパガンダばかりやっていた連中が、である。
政治家も同様。労働党のお偉方も、ジュネーブ集会は同党を追い出したベイリンが主催者の一人なので気に入らず、ジュネーブ宣言と内容的に変わらない和平案を出した(ほとんど注目されなかった)。最も興味ある変身は、エフド・オルメルト前エルサレム市長である。彼は無類のオポチュニスト(日和見主義者)で、現在忠実に仕えているシャロンのようにリクード党首(首相)になりたがっている。
彼のライバルは、超国粋主義路線のベンヤミン・ネタニヤフ。オルメルトも同じ路線を走っていたが、突然、路線を変更。驚くなかれ、今週、大イスラエル主義と入植地批判を公表し、「一方的撤退」を主張したのだ。その論法は、「占領継続は、二民族国家イスラエルにつながる」というものだった。ただし、将来の国境線については詳しく述べなかった。オルメルトの敏感な鼻が、世論の風向きを嗅ぎ取ったのだ。しかし、リクード党首は党中央委員会の指名によることになっており、この委員会は悪名高い極右団体で、シャロンのいわゆる穏やか妥協案すら拒否するほどなのだ。オルメルトはこの団体もやがて変化すると考えているようだ。
シャロン自身は変身していない。しかし、「苦痛の譲歩」を時々口にする必要性は感じているようである。「一方的撤退」(どこからどこへ?)やパレスチナ自治政府のアブ・アラとの会談(何のために?)などを時々ほのめかす。かといって、パレスチナ住民を引き裂く醜悪な分離壁建設をやめようとはしないのだ。
イスラエル世論の変化をどう政治世界に反映させたらいいのか?
パレスチナ側もイスラエル世論の変化に注目している。アブ・アラ首相の停戦への努力がその表れだろう。彼らも、自爆攻撃が折角芽生えつつある変化への兆しを台無しにすることを恐れているのだ。
この意味でパレスチナ側の態度はかなり重要である。三一年前のことだが、長い極秘準備の末、初めてイスラエル市民・アラブ人の大規模な集会がイタリアのボローニャで開かれた時のことを思い出す。私はイスラエル側代表としての開会演説の中で、「ベトナムは米国世論で勝利しつつあり、アルジェリアはフランス世論で勝利した。パレスチナはイスラエル世論で勝利するだろう」、と述べた。演説内容は事前にアラブ側代表、一九五二年のエジプト革命を行った「自由将校」の一人、エジプト左派リーダーであるヘイ・アル・ディンに見てもらい、彼の賛意も得ていた。ところが演説終了後、一人のパレスチナ人が私に近づいてきて、「君らイスラエル人の傲慢さは底なしだ。イスラエル世論の動向がパレスチナ人の戦いより重要だと言うのか」と怒った。私は、「ベトナム人の戦い、アルジェリア人の戦いがあったからこそ、世論が変わったのは、言うまでもないことじゃないか」と答えた。
それから二年後、私と同じことを言うパレスチナ人指導者が現れ始めた。例えばPLOのサイード・ハマミは、同僚たちに「世界中が我々を認めても、イスラエルが我々を認めなければ、何も得るものがない」と言った。イッサム・サルタウィは一歩進んで、イスラエル世論に働きかける活動を最優先することをアラファトに進言した。アラファトは、世論への働きかけは重要だとしながらも、それを唯一最重要課題だとは考えなかった。私は、彼と何度も話し合った。今では彼も、世論の重要性を以前よりは認識したようで、ジュネーブの市民平和集会に祝辞を送った。
しかし問題は、政治世界のことである。世論が勢いを増し、大きなうねりとなったとしても、それをクネセト(議会)の多数派にするにはどうすればよいか。現在の野党の誰一人としてこの問題に答えることができない。ジュネーブ平和集会を成功させたヨッシ・ベイリンは、自分の支持者をメレツ党へ結びつけようと懸命である。メレツはこの前の選挙で大敗を喫した。メレツは左派とはいえ、アシュケナージ(欧州系イスラエル人)のエリート党と見られ、ベイリン自身そのイメージを体現している。いずれにせよ、ジュネーブ集会を泡沫政党の党利に利用するのはよくない。労働党はベイリン叩きに夢中。どちらも近い将来政権の座につく可能性はなさそうだ。
結局、シャロンが前二回の選挙で「平和と安全の使者」の仮面で国民を欺いたように、次の選挙でもリクードの勝ちとなるかもしれない。「苦痛の譲歩」を口にし、アブ・アラ首相と記念写真を撮ったりするかもしれない。あるいは、何ら原則を持たないネタニヤフかオルメルトが政権を握り、いい加減な和平ジェスチュアでお茶を濁すかもしれない。いずれにせよ、世論の意向を反映する左派がしっかりしない限り、折角の世論変化も実を結ばないだろう。受ける帆がない風、機関車不在の蒸気で終わってしまうかもしれない。
(二〇〇三年一二月六日)