[社会] 「難民鎖国体質」温存の難民法「改正」案
「反テロ」口実に難民申請中アフガン人を「収容」
「難民鎖国」の名を欲しいがままにしてきた、私達の国、「ニッポン」―――。
中国・瀋陽で起きた、北朝鮮難民の日本総領事館駆け込み事件を大きな契機に、見直しの進められていた日本の難民認定制度が今、変わろうとしています。先進国最低レベルの難民受け入れ態勢を誇り、昨年には難民や難民申請者の自殺、自殺未遂を多く出した私達の国が今、変わろうとしているのです。
法相の私的諮問機関である「出入国管理懇談会」の難民部会より、一一月末に難民受け入れ態勢の改正に関する最終報告原案が提出されました。今回の「改正」は、「異議申し出審査に、民間の専門委員を導入する」というものです。この目的は、「異議審査の迅速化と、公正化を図る」こととされています。
しかし、「その改定案には、多くの疑問が残る」と、支援者の多くは口にしています。
〇一・九・一一。世界は、アメリカの同時多発テロに衝撃を受けました。そして、アメリカをはじめとしたグロバリゼーションを押し進める先進諸国は、「テロとの戦い」を始めたのです。日本も例外ではなく、その一ヶ月後に日本で難民申請をしていたアフガニスタン人達を、次々と「収容」していったのです。
難民申請を却下し、「あなたは難民ではないので私達の国にいる資格はない。だから出ていけ」という意味合いの「退去強制令書」というものが次々に発行されました。そして、ある人は機動隊のような厳重警備をした入国管理官達に、突然家に押し掛けられ、次々と拘束されていったのです。彼は四年間も難民認定を待ちわびながら、細々と暮してきた四〇代の男性でした。
家族は空爆で死亡
「日本が、私のことをもっと早くに難民認定してくれていれば、私の家族は死なずにすんだ―――」。〇二年の八月、日本に滞在できるビザを手にしたユノス・タヒリさんは、そうつぶやきながら、日本で自らその命を絶ちました。彼は長い闘いの末、やっとの思いでビザを手にし、本国に残してきた自分の家族を日本に呼び寄せる為に、イランの兄の元に行きました。
そしてそこで彼は、自分の家族がすでに米国の空爆で死亡していたことを知ったのです。彼は、「遅すぎる日本の難民認定の被害者」として、この国で還らぬ人になってしまいました。
それらを機に、日本で難民申請をしている人達の支援活動が、当然のごとく巻き起こったのです。そして、その中で信じられない事実が、次々と明るみに出たのです。
はじめに「不認定」ありき
「私だったら、アフガニスタンに帰って戦う」──これは、アフガニスタン難民申請者が難民審査官に言われた言葉の一つでした。難民とは「保護されるべき」人々であり、「助けてください」と言っている人に対して、審査官が「帰って戦う」などと言ったのです。その他にも、「カルザイ議長のことをカイザルと記述していた」「アフガニスタンがソ連に侵攻されていたことを、難民審査官が知らなかった」「タリバン政権のことをタリバン『族』だと思っていた」「九・一一が起きるまで、タリバン政権の存在を知らなかった」等々、本来どの専門家よりも難民の置かれた状況に詳しくなければならないはずの難民審査官が、実は難民に対してなんの専門的な知識も持ち合わせずに審査を行っていたという事実が、後の裁判などで明らかになっていったのです。
こうして、「もとから不認定になることが確定していたかのような」「形式的な難民審査」が行われて、難民不認定になっていったアフガン人達が九・一一以降、次々と各地の入国管理センター(入管)に収容されていったのです。もちろん、アフガン人以外にも、ビルマで民主化運動を進めていた活動家や、自分達の住む土地を分断され、行き場を失ったクルドの人々など多くの人々が、こうしたずさんな難民認定の現実の前に、その自由を奪われていたのです。
そして彼らは、「私達は難民です。犯罪者ではありません。助けてください…」とつぶやきながら、本国に帰れば殺される危険性に恐怖を抱き、入管の外に出ることができない絶望に身をよじらせながら、次々と自殺未遂を繰り返したのです。そんな中、中国では駆け込み事件や、日本では名古屋刑務所での問題などが起き、日本の法務省は次第にその立場を失っていったのです。
異議審査の迅速化、公正化の陰で
そこで、多くの支援者や国際機関から、「難民認定法」や、「難民審査」を改正するようにとの声が上がりました。そして一一月の末に、この改定案が浮上したのです。これらは一見すると、〇二年には八五%に達した「異議申し立て」の審査に、民間人を起用する制度を導入し、今まで法務省の壁の中で行われてきた問題が、改正されるかのような印象を受けます。しかし実際には、次のような問題を含んでいるのです。
@民間人の選出は法相が行う。A民間委員の出した結果は「意見」にとどまり、決定権を持たない。B異議に対する最終的な結論は、従来通り法務大臣が出す。C審査の迅速化を図る為に、異議申し出時に「新しい証拠の提出」を認めない。DCと同じ理由から、本人の意見陳述を省き、書類審査だけでも可能にする。
難民は相変わらず「管理」「監視」の対象
難民支援者の多くは、確かに民間人を起用した第三者機関の設立を強く求めてきました。外国人を「摘発する」仕事と、「保護する」仕事が、法務省入国管理局という同じ場で行われている現在のシステムには、多くの問題があるからです。昨日は、非正規入国をした外国人を追いつめて捕まえに行っていた人間が、次の日は非正規入国をした難民を「大変でしたね」などと言って保護することなど、できるわけがありません。
また、難民を受け入れるかどうかにおいて、決して「政治的な判断」などが介入してはならないからです。それらを防ぐ為に、独立性の高い第三者機関の設立は、避けられない流れの中にあるのです。
しかし、法務省はそこまで踏み出した改正をすることなく、民間人の起用のみにとどまりました。そして、最終的にはすべて「法務省」の思惑次第でどうにでもなる体制を維持して、これを「公正」と呼んでいるのが現状です。
それどころか、「迅速化」を図るために新証拠の提出を禁止するなど、迅速化のための負担を、すべて難民申請者の側に負わせているのです。これでは、命を守るために何も持たずに出国してきた難民が、日本に着いて安全になってから取り寄せた書類などが、証拠として扱われません。あまりに厳しすぎる裁判や、かけられた嫌疑を晴らす為に必死で証拠を集め、後から証拠を提出することなど、当たり前のことです。
「難民かどうか疑わしい場合は、難民認定をしろ」という、国連が出している「灰色の利益」という権利は、完全に来日した彼・彼女らから奪われています。先進国の中には、「難民認定できない理由」を、国側が提出できない場合は、難民認定をしなければならない」としている国もあります。つまり、「申請者が難民であるか、そうでないかの証拠提出は、難民申請をされた国側の責任」になっているのです。しかし、日本では難民であるという証拠提出義務は難民側にあります。もし何かの折りに、そんな書類を持っていることが見つかってしまったら、即座にその場で殺されてしまうような難民側に、です。
難民、外国人、非正規滞在、就労許可―――。私達は、同じ地球に住む人々を、生まれた場所によって区別し、管理しています。そしてこれらは、悲しいながら日本における在日の人々の歴史と深く関係しているのです。「出入国管理法」や、「外国人」というのはその昔、主に在日朝鮮人を指していました。つまり、「外国人」とは、「管理すべき立場」にある人々であり、五〇年以上も前にその目的で作られた「出入国管理法」はこの五〇年近く大きな改正もないまま、そこに「難民認定法」が組み込まれました。それにより、「対象とすべき人々」や、「対象とすべき取扱い」は大きく変化したにもかかわらず、その古い体制は何も変わらずにいるのです。そこにこの問題の根深さがあります。難民や外国人は、いまだに「管理」され、「監視」される立場におかれたままになってしまっているのです。
今回の難民取扱いの改定を見ても、入国管理センターでの外国人の取扱いを見ても、あらゆる面から法務省の「うわべだけ」の改定が見られます。私達がこの問題を放置することによって、この日本で行き場を失い、自由や命を奪われる外国の人々が、確実に増えていってしまうのです。
そしてこうしている間にも、「法務省」という密室の中での難民保護政策が決定していきます。「アフガンやイラクの復興、支援などという前に、まず『目の前にいる難民』に対して保護をしてこその人道支援である」と、政府に求めていかなければなりません。