編集一言2011年01月ログ
- 近代合理主義を超えるために (26日)
近代合理主義を超えるために
オーガニックレストランにお節(せち)料理を頼んだ。お節とは、節句(せっく)の料理を指す。節句は節目(ふしめ)とも言い、暦上の祝い事などには節目を祝う食事がでる。ここに世界各地の共同体の独自性が表現される。
これまで食と農にこだわって生きてきた。〈たべもの〉共同体のなかで、何らかの役割を果たしながら未来への希望を見出そうとしてきた。誰しも最後の抵抗線があり、そこを超えるのは許せない一線がある。その意味で私は、〈たべもの〉にこだわりを持つことが大事だと思っている。
近代という価値を広めようとした結果、失われたものは相互扶助の社会、生物共生の社会である。共生社会は、同時に人が自立して自分の一線を守れる社会である。頼れる人を増やすことしか親から自立できないという原理を教えたのは、身体障害者だった。多くの依存関係は、自立を認め協同の原理を生み出す。
近代合理主義を超えるために、〈たべもの〉共同体ができる根拠を考えたい。それは風土である。風土食(郷土食)、種(タネ)の風土性、里山や棚田の風土性などに人々が関心を持ち始めている。強制された孤立に対抗し、〈たべもの〉を媒介にした共生・自立の場に希望をみいだしたい。 (I)
これまで食と農にこだわって生きてきた。〈たべもの〉共同体のなかで、何らかの役割を果たしながら未来への希望を見出そうとしてきた。誰しも最後の抵抗線があり、そこを超えるのは許せない一線がある。その意味で私は、〈たべもの〉にこだわりを持つことが大事だと思っている。
近代という価値を広めようとした結果、失われたものは相互扶助の社会、生物共生の社会である。共生社会は、同時に人が自立して自分の一線を守れる社会である。頼れる人を増やすことしか親から自立できないという原理を教えたのは、身体障害者だった。多くの依存関係は、自立を認め協同の原理を生み出す。
近代合理主義を超えるために、〈たべもの〉共同体ができる根拠を考えたい。それは風土である。風土食(郷土食)、種(タネ)の風土性、里山や棚田の風土性などに人々が関心を持ち始めている。強制された孤立に対抗し、〈たべもの〉を媒介にした共生・自立の場に希望をみいだしたい。 (I)
2011年01月26日更新
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