編集一言2010年07月ログ
- 食の裏側に潜む暴力、それを察知する感性 (08日)
食の裏側に潜む暴力、それを察知する感性
食通な知人に勧められ、蕎麦を食った。手打ち蕎麦の鴨せいろ。貧民が滅多に口にできるような代物ではない。で、確かにウマいのだが、頭の中は値段と味とをしきりに天秤にかけ、結局、「これはいささか不当な高値である」と結論してしまう。
これは自分の舌が余りにもジャンクフードに毒されている故だと思う他ないが、しかし、「違いが分かる」なんてことが、単に趣味や嗜好の問題ならばつまらない。何万円もするような高級料理であれ、コンビニのジャンクフードであれ、《食う》という営みの中に感じられるべき共通の何かがあるはずだ。自然を殺すことに関わる何かが。
私たちは「暴力」と「無垢」とを観念的に対立させて考えがちだが、実は生きてゆくこと自体の中に走り抜けている、無数の暴力と快楽こそが問題なのかもしれない。食うこと、味わうことの快楽が、取る、壊す、殺すという暴力の裏側にあるのだとして、それを感知する感性が、高い健康なメシを食う金持ちにしか開かれていないなどと考えるわけにはいかない。工場で加工され、あらゆる添加物を加えられ、機械的に大量生産されたものを食う貧民にも、そのような感性を手に入れる、「貧民なりの通路」があるはずだ。(O)
これは自分の舌が余りにもジャンクフードに毒されている故だと思う他ないが、しかし、「違いが分かる」なんてことが、単に趣味や嗜好の問題ならばつまらない。何万円もするような高級料理であれ、コンビニのジャンクフードであれ、《食う》という営みの中に感じられるべき共通の何かがあるはずだ。自然を殺すことに関わる何かが。
私たちは「暴力」と「無垢」とを観念的に対立させて考えがちだが、実は生きてゆくこと自体の中に走り抜けている、無数の暴力と快楽こそが問題なのかもしれない。食うこと、味わうことの快楽が、取る、壊す、殺すという暴力の裏側にあるのだとして、それを感知する感性が、高い健康なメシを食う金持ちにしか開かれていないなどと考えるわけにはいかない。工場で加工され、あらゆる添加物を加えられ、機械的に大量生産されたものを食う貧民にも、そのような感性を手に入れる、「貧民なりの通路」があるはずだ。(O)
2010年07月08日更新
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