編集一言2009年11月ログ
- 「ネット右翼」と活字文化 (01日)
「ネット右翼」と活字文化
電子データ化された「本」を携帯端末の画面上に表示する機械なるものが、発売されるらしい。とある米帝資本は、書籍を含む世界中のすべての情報を電子データ化しようとしている。
なにげなく本や新聞や人民新聞を読んでいる私たちだが、民衆の生活に浸透するメディア技術の変化と多様化はなかなか激しい。かつて、電子表示された文章内部の特定の文字列が別の文章への「リンク」を情報として含むという「ハイパーテキスト」の発明は、われわれの知っている「テキスト」の概念を一新すると言われ、「本の死」がささやかれた。私たちの多くは既にインターネットに当たり前に接し、「リンク」にも驚かないが、活字や本の読み書きにもたらされたこの決定的(?)変化の意味を、私たちは知らないままだ。携帯電話も含むインターネット使用者数が劇的に増大したのは比較的最近のことに属するから、メディアやテクノロジーの変化は、いま民衆のなかで世界経験の決定的な変質を培養しつつあるのかもしれない。
「ネット右翼」と呼ばれる人々が街頭に進出しているのを見て、私たちはうろたえている。しかし「ネット」云々というのを安易なレッテルにするだけでなく、彼らや彼女らの世界経験が「ネット」で形作られていることの意味を、私たち自身の世界経験の変化を振り返りつつ考えて見ることも必要かもしれない。(O)
なにげなく本や新聞や人民新聞を読んでいる私たちだが、民衆の生活に浸透するメディア技術の変化と多様化はなかなか激しい。かつて、電子表示された文章内部の特定の文字列が別の文章への「リンク」を情報として含むという「ハイパーテキスト」の発明は、われわれの知っている「テキスト」の概念を一新すると言われ、「本の死」がささやかれた。私たちの多くは既にインターネットに当たり前に接し、「リンク」にも驚かないが、活字や本の読み書きにもたらされたこの決定的(?)変化の意味を、私たちは知らないままだ。携帯電話も含むインターネット使用者数が劇的に増大したのは比較的最近のことに属するから、メディアやテクノロジーの変化は、いま民衆のなかで世界経験の決定的な変質を培養しつつあるのかもしれない。
「ネット右翼」と呼ばれる人々が街頭に進出しているのを見て、私たちはうろたえている。しかし「ネット」云々というのを安易なレッテルにするだけでなく、彼らや彼女らの世界経験が「ネット」で形作られていることの意味を、私たち自身の世界経験の変化を振り返りつつ考えて見ることも必要かもしれない。(O)
2009年11月01日更新
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