編集一言2009年09月ログ
- ベルリンの壁崩壊へとつながる針の穴 (29日)
ベルリンの壁崩壊へとつながる針の穴
20年前。1989年8月。ハンガリーとオーストリア国境の封鎖が解かれ、東独市民の西独への出国が始まった。それは、その年の11月9日、劇的ともいえるベルリンの壁崩壊へとつながる。針の穴が貫通した一瞬だ。
9月、チェコ・プラハの西独大使館に逃げ込んだ3500人の東独市民を、西独へ移送する特別列車が、東独領内を通過している。この列車通過を目撃した東独市民の心に、時代の転換が鮮やかに刻印され、ライプチヒのニコライ教会デモがスタートした。
秘密警察に監視され、真実を口にすることすら抑止してきた東独市民が、公然と共産党政権批判を掲げて街頭にあふれ出す。そして、11月4日、東ベルリンを50万人のデモ隊が埋め尽くしたのだ。
それから20年。東西ドイツの政治的統一は、ドイツに何をもたらしたのか。西独マルクを手にして歓喜に湧いていた、旧東独市民に笑顔はない。大量失業、格差の拡大、言葉に書かれた「自由」と引き換えに失われたものも大きい。
20年前。予想をはるかに超える速度で進む東欧の人々の動きに励まされ、日本で私たちも小さな政治組織を旗上げした。新しい時代を予感し、決意を込めて。
それから20年。日本は自・公政権の崩壊を目撃している。日本の政治システムが、長い混乱に突入する幕開けとなるに違いない。そして私たちは、その混乱の中でどんな役割を果たすのか。
次の20年を見据えて(M)
9月、チェコ・プラハの西独大使館に逃げ込んだ3500人の東独市民を、西独へ移送する特別列車が、東独領内を通過している。この列車通過を目撃した東独市民の心に、時代の転換が鮮やかに刻印され、ライプチヒのニコライ教会デモがスタートした。
秘密警察に監視され、真実を口にすることすら抑止してきた東独市民が、公然と共産党政権批判を掲げて街頭にあふれ出す。そして、11月4日、東ベルリンを50万人のデモ隊が埋め尽くしたのだ。
それから20年。東西ドイツの政治的統一は、ドイツに何をもたらしたのか。西独マルクを手にして歓喜に湧いていた、旧東独市民に笑顔はない。大量失業、格差の拡大、言葉に書かれた「自由」と引き換えに失われたものも大きい。
20年前。予想をはるかに超える速度で進む東欧の人々の動きに励まされ、日本で私たちも小さな政治組織を旗上げした。新しい時代を予感し、決意を込めて。
それから20年。日本は自・公政権の崩壊を目撃している。日本の政治システムが、長い混乱に突入する幕開けとなるに違いない。そして私たちは、その混乱の中でどんな役割を果たすのか。
次の20年を見据えて(M)
2009年09月29日更新
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