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編集一言2009年01月ログ

農的文明へのパラダイム転換
 農村に雇用はないのか? 有機農業で何か、雇用は作れないか? 遊休地の開墾で雇用を!? 最近、いろんな人からこんなことを言われている。都市の側から失業に対応する受け皿として、農村が注目されている。資本主義は不況になると雇用の受け皿として農村を機能させてきた。
 確かに“農の再生を核とした地域づくり”のなかで、“仕事づくり”ができる、という局面である。ここでは、地域を抵抗拠点として世界金融システムを相対化し、お金中心の価値観を転換する仕事のあり方が求められる。とりあえずの稼ぎを作れというのとは話が違う。
 最近、アフリカ帰りの人が言った「日本人はみんな不安そうだけど、アフリカでは金融不安なんてないよ、大事なものを守ってるから」。それは食べ物を中心とした助け合いの共同体。日本が高度経済成長で失ったものだ。
 農業の在り方を問い直すなかで、1万年の歴史を刻んできた農業文明を農的文明へと転換することが必要である。農的な工業、農的な商業を統合しうる農的文明へのパラダイムの転換を準備することが、21世紀半ばに予測される食糧飢餓と戦乱を回避し、人類と農業の持続可能性の展望を開くことになる。(I)
2009年01月23日更新
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20世紀の「失敗」のツケ
 いま「100年に一度の経済恐慌」だと騒いでみても、歴史は犠牲者の側から真実を語り続けなければ伝わらない。戦後の混乱を体験した70代の我々の世代もついに少数派になってしまった。いかに貧しさや失業の苦しさを語っても「それは昔の話や」と若い世代には伝わらない。それでも語り続ける責任があるのだ。
 10年経てば「もはや戦後ではない」とかつて政府は言った。それから30年、日本は高度経済成長を走り続けた。それはアメリカの朝鮮戦争やベトナム戦争の「恩恵」にあやかってのことであった。そのツケが今になって回ってきたのだ。
 アメリカが蓄積した世界最大の富は、第2次世界大戦の戦勝国の「略奪」に等しい。それを軍事大国の世界支配で使い果たした。ベトナム戦争で敗退し、それに懲りずイラク戦争で自壊した。もう一方の戦勝国ソ連だって冷戦で軍事大国化して崩壊した。平和憲法で非戦の日本だって世界第2の「軍事費大国」となり国家財政は破綻している。
 世界王者のアメリカに追随した日本も、資本主義の後追いをするロシアや中国もそうだが、これら20世紀の「失敗」のツケは、21世紀の責任において背負い続けなければならない。(F)
2009年01月18日更新
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若者と雇用と有機農業
 有機農業のイベントを開催した。ここで感じたのは、我々が、新しい時代の入口に立っているということだ。食と農と環境を巡る状況が煮詰まっている。市場経済でグローバリゼーションを目指した指導者たちが、行き詰っている。その結果が、金融システムの崩壊だ。だから内定取り消しが続き、非正規雇用の解雇が続く。
 若者の姿が、有機農業の集まりに目立つようになったのは、昨年からだ。人生をかけて訪れてくる若者が増えている。もう、都市文明は絶望しかないという事実に、若者は直面している。
 例えば、イベントに参加した若者の感想は「(生物多様性の話を聞いて)‥失われてしまったものが、どれだけかけがえのないものであったか、私たちは、‥推測することしかできません。失った後しか知らないために、その大切さがわからないのです。しかし、失う以前を知る方が後悔し、それを一生懸命、取り戻そうとしておられるのを見て、その大切さに私たちは気付きます」。
 若者が一方で追い詰められ、一方で何に希望を見出すのか。雇用情勢が悪い。ならば、どこでその雇用を作り出すのか。それは、環境と農業をベースに地域で雇用を生み出す以外、選択肢はない。それはオバマが言っているとおり、環境に向けてチェンジなのだ。日本でも必要なのは、明確な道しるべを示し、チェンジを訴える人だ。(I)
2009年01月17日更新
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志高き政治家を生み出す激動期
 麻生のテレビに映った顔を見てつくづく思った。「この人は首相になりたかったんだなぁー」。何かを成し遂げたいからではなく、志があったわけでもなく、ただ首相の椅子に座ってみたかっただけなんだと。
 そんな間抜けな男が本当に首相になってしまう日本の政治。人々から政治に対する期待や信頼が喪失してしまうのは必然なのだろう。
 NHKの日曜日の大河ドラマ「篤姫」が、久々のヒットらしい。幕末から明治への激動を生きた、将軍の嫁さんが主人公のドラマだけれど、国の行末、人々の生活を思う志高き登場人物であふれていた。あの時代の「家」を「家族」と言い換えて済ましてしまうのは違うと思うけれど、「私」を捨て「公」に生きんとする登場人物に、魅力を感じる人が多かった結果なのだ。
 新自由主義は「私」の解放。「私」をがむしゃらに追求する人が勝利者で、りっぱな人。「自己責任」はその裏返しの敗者への切り捨てに他ならない。
 人は皆、社会の中で人として育つ。家族や友人や近所のおじさんと言葉を交わし、心をかよわせて自分をつくり上げてゆく。その人としての自然を「私欲」でゆがめてきた新自由主義の破産が世界をおおってきた。己の私欲のみで生きて来た麻生の破産も近い。
 時代は間違いなく、新しい政治の創造に生きる志高き政治家を生み出す激動期へと、つき進んでいるようだ。(M)
2009年01月09日更新
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派遣切り
 「撤退」・「閉店」・「休止」・「不振」などの言葉が、連日新聞紙面に踊る。派遣切りに見られる如く、不況は真っ先に貧乏人を襲うが、麻生政権の対策は、銀行・大企業最優先だ。ワーキングプアが野垂れ死ぬのは自己責任だが、カジノ経済に溺れた金融機関や大企業は、税金で救済する。いつまでこんな政治に我慢するのか?怒りの行動と共に大胆な変革への展望を協働で。(H)
2009年01月06日更新
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「宅間守」も「小泉」も「加藤」も…。
 元厚生次官殺害の容疑者「小泉」の父親が、マスコミの取材に「息子に腹を切れと言いたい」と言った。7年前、大阪教育大附属小で8人を殺害した「宅間守」の父親が「切腹しろ」といっていたのを思いだした。この間、大阪で立て続けに起きたひき逃げ殺人事件(梅田と富田林)のいずれも父親が報道に、「殴ってやりたい」と言っていた。
 秋葉原事件の時もそうだが、最近、子どもの件で報道に登場する父親が増えてきたが、自分が子どもにどんな風に接してきたのか、まったく語られていない。「出世しろ。偉くなれ。大きいことしろ。男なら負けるな」といった「男らしさ」の世界観が支配している。自分たちはその価値観に基づいて、それなりの成功(?)をし、男の子に要求したことが、どんなに男の子には抑圧となっているか気づいていない。「彼らはあなたたちが作ったのだ」。
 「女のくせに…」と言われた女性の多くは、言った人間に反発するが、「男のくせに…」と言われた男は、言った人間に反発せず、言われた自分が「情けない」と自分を責める人が多い。
 その結果、言った人間に抗せず、見ず知らずの人間に向かい、「世間をアッと言わす」事件を起こす。「宅間守」も「小泉」も「加藤」もやり返す相手は、本来父親だったはずなのに、それが怖くてできなかった。暴力は、いつも弱い方に出る。怒りは『権力者』に向けるべきだった、と私は思う。(A)
2009年01月03日更新
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