編集一言2008年12月ログ
麻生内閣迷走
麻生内閣が前空幕長問題と定額給付金問題をめぐって迷走している。「政局よりも政策が先」とか「選挙よりも世界経済危機が大事」とか言ってみても言葉は空虚である。解散を先に延ばしたからといって選挙に勝てる見通しがあるわけではない。負ける惨めさを早く味わいたくないから決断できないだけのことである。
定額給付金問題は議論するに値しないが、前空幕長の処分問題はそうはいかない。「懲戒処分」よりも「定年退職」の方が「更迭処分が早くできた」と浜田防衛相はアホな答弁をしても、これが国会で問題にならないこと自体がおかしいのである。
問題は前空幕長の立場と「懸賞論文」の内容なのであって、「村山談話」から踏襲されてきた歴代内閣の「歴史認識」を根本的に否定した論文の問題性について浜田防衛相にも麻生総理にも基本的な認識が欠けているのである。
「定年退職」による「処分の迅速性」とは彼等にとっては選挙への悪影響を逃れたい一心であって、論文の中味は早くから知っていて黙認していたのである。本心では基本的に彼等の「自虐史観」に同調していたと言われても仕方がない。即刻総選挙の審判を受けて退陣すべきであって、われわれは今こそ街頭に出て声を大にして麻生内閣打倒を叫ばなくてはならない。(F)
定額給付金問題は議論するに値しないが、前空幕長の処分問題はそうはいかない。「懲戒処分」よりも「定年退職」の方が「更迭処分が早くできた」と浜田防衛相はアホな答弁をしても、これが国会で問題にならないこと自体がおかしいのである。
問題は前空幕長の立場と「懸賞論文」の内容なのであって、「村山談話」から踏襲されてきた歴代内閣の「歴史認識」を根本的に否定した論文の問題性について浜田防衛相にも麻生総理にも基本的な認識が欠けているのである。
「定年退職」による「処分の迅速性」とは彼等にとっては選挙への悪影響を逃れたい一心であって、論文の中味は早くから知っていて黙認していたのである。本心では基本的に彼等の「自虐史観」に同調していたと言われても仕方がない。即刻総選挙の審判を受けて退陣すべきであって、われわれは今こそ街頭に出て声を大にして麻生内閣打倒を叫ばなくてはならない。(F)
2008年12月31日更新
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オバマ氏当選
アメリカ大統領選挙は、下馬評通り民主党・オバマ氏が当選した。史上初の黒人大統領の誕生は、「何か」が変わろうとしている現れなのだろうか。
ブッシュ政権下の8年間は、アフガン・イラクをはじめとした世界の民衆にとって、悪夢でしかなかった。それがアメリカ国民自身の「チェンジ!」の声で終止符が打たれたことは、せめてもの救いだと思いたい。
次回更新では、アメリカ現地から大統領選のレポートをお送りする予定です。(小比類巻)
ブッシュ政権下の8年間は、アフガン・イラクをはじめとした世界の民衆にとって、悪夢でしかなかった。それがアメリカ国民自身の「チェンジ!」の声で終止符が打たれたことは、せめてもの救いだと思いたい。
次回更新では、アメリカ現地から大統領選のレポートをお送りする予定です。(小比類巻)
2008年12月29日更新
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リハビリに励む姿
つい先日、Bさんとご家族は3泊4日の沖縄旅行を楽しんでこられた。
50代半ば、働き盛りの彼は職場で意識を失った。生命は取り留めたものの、入院した公立のリハビリ専門病院の医者は、「意識は戻らない、植物人間を覚悟しなさい」と家族に語ったという。
しかし、家族は諦めずにBさんの好きな音楽を病室でかけ、手足をさするなど出来ることをし続けた。やがて、意識は戻った(医者は『奇跡だ!』と言ったらしい)。
※ ※
僕がBさんと初めてお会いしたのは2000年、退院した彼を少しでも元気づけるため、お気に入りの場所に外出させたいとの依頼だった。
とりあえずお会いしてみる。意識は戻ったものの、言語を発することは出来ない。手足を動かすことも、座位もとることも出来ない。食事も経口摂取は不可。「まぁ、なんとかなるやろう!」と相変わらずのいい加減さで引き受けた。
外出当日、車の後部座席で、息子さんと僕に挟まれて座るBさん。「刑事に連行される犯人みたいですね」と語る僕に彼は微笑んでいる(ように見えた…彼の顔面神経はまだ回復していなかったから)。彼の復帰は始まった。
現在のBさんは、自力でスプーンを持って食べるところまで回復され、文字盤を使用しての意志疎通も出来るようになった。まだまだ危なっかしいけれど、車椅子も操作できる。援助があれば旅行も出来る。暇さえあれば高級車の雑誌を眺めている彼の次の目標は、車の運転らしい。
介護保険制度のもと、国は社会保障費削減のために、「健康・予防・リハビリ」を国民に強制している。「同居家族のいる要介護者への家事援助」は受けにくいし、余暇利用のための外出は認められていない(「貧乏人は遊ぶな!」ということか)。
「健康で文化的な最低限度の生活」は国民の権利である。権利は勝ち取るものであり、上から与えられるものではない。まして、押し付けられるものではない。国・厚生労働官僚は、国民に説教をする前に、障がいがあろうが病気になろうが、「生きていきたい」と思える社会づくりに全力をあげるべきだろう。
日夜リハビリに励むBさんの姿から、そんなことを思っている。日々を楽しむお年寄り・障がい者と出会う仕事。「生きていて良かった」と言って最期を迎えられる人生と出会う仕事。私がしていきたいと思うのは、そんな仕事だ。。
※ ※
『ホームヘルパー養成研修二級課程』のテキストには、次のように書いてある。
「リハビリテーションは、ひと言でいえば『生活の回復』をめざす活動の総体といえます。(…)ここでいう『生活』とは、特別な生活を意味しているわけではなく、私たちが普段行っている『普通の生活』のことであり、障害者が市民として普通に過ごすことを『ノーマライゼーション』と呼んでいます。いいかえると、リハビリテーションとはノーマライゼーションをめざすことだといってよいでしょう」
この厚労省が指導して作ったつまらないテキストでさえも、この程度のことは書いてある。霞ヶ関の高級官僚たちは、せめてこれくらいは目を通すべきだろう。(北山通り)
50代半ば、働き盛りの彼は職場で意識を失った。生命は取り留めたものの、入院した公立のリハビリ専門病院の医者は、「意識は戻らない、植物人間を覚悟しなさい」と家族に語ったという。
しかし、家族は諦めずにBさんの好きな音楽を病室でかけ、手足をさするなど出来ることをし続けた。やがて、意識は戻った(医者は『奇跡だ!』と言ったらしい)。
※ ※
僕がBさんと初めてお会いしたのは2000年、退院した彼を少しでも元気づけるため、お気に入りの場所に外出させたいとの依頼だった。
とりあえずお会いしてみる。意識は戻ったものの、言語を発することは出来ない。手足を動かすことも、座位もとることも出来ない。食事も経口摂取は不可。「まぁ、なんとかなるやろう!」と相変わらずのいい加減さで引き受けた。
外出当日、車の後部座席で、息子さんと僕に挟まれて座るBさん。「刑事に連行される犯人みたいですね」と語る僕に彼は微笑んでいる(ように見えた…彼の顔面神経はまだ回復していなかったから)。彼の復帰は始まった。
現在のBさんは、自力でスプーンを持って食べるところまで回復され、文字盤を使用しての意志疎通も出来るようになった。まだまだ危なっかしいけれど、車椅子も操作できる。援助があれば旅行も出来る。暇さえあれば高級車の雑誌を眺めている彼の次の目標は、車の運転らしい。
介護保険制度のもと、国は社会保障費削減のために、「健康・予防・リハビリ」を国民に強制している。「同居家族のいる要介護者への家事援助」は受けにくいし、余暇利用のための外出は認められていない(「貧乏人は遊ぶな!」ということか)。
「健康で文化的な最低限度の生活」は国民の権利である。権利は勝ち取るものであり、上から与えられるものではない。まして、押し付けられるものではない。国・厚生労働官僚は、国民に説教をする前に、障がいがあろうが病気になろうが、「生きていきたい」と思える社会づくりに全力をあげるべきだろう。
日夜リハビリに励むBさんの姿から、そんなことを思っている。日々を楽しむお年寄り・障がい者と出会う仕事。「生きていて良かった」と言って最期を迎えられる人生と出会う仕事。私がしていきたいと思うのは、そんな仕事だ。。
※ ※
『ホームヘルパー養成研修二級課程』のテキストには、次のように書いてある。
「リハビリテーションは、ひと言でいえば『生活の回復』をめざす活動の総体といえます。(…)ここでいう『生活』とは、特別な生活を意味しているわけではなく、私たちが普段行っている『普通の生活』のことであり、障害者が市民として普通に過ごすことを『ノーマライゼーション』と呼んでいます。いいかえると、リハビリテーションとはノーマライゼーションをめざすことだといってよいでしょう」
この厚労省が指導して作ったつまらないテキストでさえも、この程度のことは書いてある。霞ヶ関の高級官僚たちは、せめてこれくらいは目を通すべきだろう。(北山通り)
2008年12月27日更新
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