編集一言2008年09月ログ
- 動物とは下等なものの代名詞か (28日)
- まやかしの独立国 (17日)
- 「消費者庁」新設 (15日)
動物とは下等なものの代名詞か
橋下大阪府知事が大阪府教育委員会を「クソ」と呼んで物議を醸している。アメリカでもオバマ大統領候補が、共和党のマケイン上院議員とペイリン知事に対して、「口紅をつけても豚は豚だ」と発言して物議を醸している。マケイン陣営は「ペイリン知事を豚と呼んだ」と抗議し、オバマ陣営は、「マケインの政策が豚だ」と反論している。かつてマケインは、ヒラリーの医療保険改革案を「豚に口紅」と言ったからだとも反論している。
朝日新聞は双方の主張を報道しているが、一番大切なことを忘れているのではないか。どちらも「豚」に限らず、相手を侮辱する時、動物を引き合いに出して話すことがある。人の死を侮辱する時の「犬死に」や、警察官を「犬」と呼ぶ例など、動物扱いすることで、相手を「人間として認めない」扱いしていることで侮辱している。
相手が言ったから、とか、みんなが言ってるからとかいうのは問題のすり替えだろう。相手がエゲツない表現したからといって、こちらもするというのは相手の下等なレベルに自分も落とし込んでいることに気付くべきだ。「共生」とか「共存」とか「多様性を認める」というのは、意見が違っても、相手を尊重することがなければ成り立たない。
動物を下等なものの代名詞にすることは、動物に対しても失礼である、と思わないのだろうか。(A)
朝日新聞は双方の主張を報道しているが、一番大切なことを忘れているのではないか。どちらも「豚」に限らず、相手を侮辱する時、動物を引き合いに出して話すことがある。人の死を侮辱する時の「犬死に」や、警察官を「犬」と呼ぶ例など、動物扱いすることで、相手を「人間として認めない」扱いしていることで侮辱している。
相手が言ったから、とか、みんなが言ってるからとかいうのは問題のすり替えだろう。相手がエゲツない表現したからといって、こちらもするというのは相手の下等なレベルに自分も落とし込んでいることに気付くべきだ。「共生」とか「共存」とか「多様性を認める」というのは、意見が違っても、相手を尊重することがなければ成り立たない。
動物を下等なものの代名詞にすることは、動物に対しても失礼である、と思わないのだろうか。(A)
2008年09月28日更新
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まやかしの独立国
今年も猛暑の再来で、ついに持病の心臓が音をあげて、1ヵ月以上病院の世話になった。病室のテレビは高校野球と北京オリンピックでにぎやかだったが、適度の冷房が幸いして久しぶりに幕末・明治維新の歴史本をまとめて読んだ。幾つかの新しい発見があった。
1つは、近代日本の歴史を明治維新から今日までの140年を長いスパンで考えると、どう考えても昭和の第2次世界大戦敗戦までの77年間の日本と、敗戦から今日までの63年間の日本との大きな違いがよくわかる。まるで別の国になってしまったような錯覚すら覚える。
2つは、近代日本の明治維新後の63年間は確かに帝国主義国日本であったが、れっきとしたアジアの独立国であった。しかし第2次世界大戦後の敗戦国日本は、民主主義国とはいえアメリカの同盟国でまやかしの独立国になってしまった。どう考えても世界の目で見るとアメリカの新植民地、事実上の49番目の自治州と言われても仕方がない。
今更なにを言うかと自分でも思うが、日本人は明治維新以来、歴史的に「西洋病」に犯されていることに無感覚となり、敗戦後ますますその傾向が加速してきたように思う。いよいよ次の衆院選挙の自公敗退は読めるが、「日本独立国宣言」の日はまだ遠い先のようだ。(F)
1つは、近代日本の歴史を明治維新から今日までの140年を長いスパンで考えると、どう考えても昭和の第2次世界大戦敗戦までの77年間の日本と、敗戦から今日までの63年間の日本との大きな違いがよくわかる。まるで別の国になってしまったような錯覚すら覚える。
2つは、近代日本の明治維新後の63年間は確かに帝国主義国日本であったが、れっきとしたアジアの独立国であった。しかし第2次世界大戦後の敗戦国日本は、民主主義国とはいえアメリカの同盟国でまやかしの独立国になってしまった。どう考えても世界の目で見るとアメリカの新植民地、事実上の49番目の自治州と言われても仕方がない。
今更なにを言うかと自分でも思うが、日本人は明治維新以来、歴史的に「西洋病」に犯されていることに無感覚となり、敗戦後ますますその傾向が加速してきたように思う。いよいよ次の衆院選挙の自公敗退は読めるが、「日本独立国宣言」の日はまだ遠い先のようだ。(F)
2008年09月17日更新
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「消費者庁」新設
今秋国会で「消費者庁」新設が自民党の目玉政策として審議日程に上るようだ。「食品不祥事の続発」といっても、元々巷には五万とある現象だった。ところが「消費者庁」が必要で、国民の為になる政府機関であるかを「偽装」するため、摘発に躍起になっているというのが実情であろう。
問題が起こる社会条件は歴代の政府が作り上げた。農林水産業を潰し、トヨタが喜び、輸入万歳、安物万歳と商社が喜ぶことばかりやってきた食料政策こそが問われなければならない。これを「不届き千万な輩が横行するから問題が起こるのだ」と話をすり替えたのが消費者庁構想である。警察法の手口などは実感があってわかりやすいが、問題が起こる条件を自分達で作り、問題が起きたら取り締まりの法を作る、これが金になる。道交法などではいつも腹の立つ思いをさせられる。今回の「消費者庁」も、同じ霞ヶ関の錬金術に騙され、役人どもの飯の種に私たちの税金が消えていく。そんな日々をいつまで歯がゆい思いで見つづけなければならないのか。
いつも「根源」を問わないのが政治。「国民の為」と言いつつ、自分らの飯の種にしていく連中が政府とよばれる存在。くれぐれもこんな連中に騙されないようにしよう。消費者庁など愚民政策そのものだ。大反対である。(S)
問題が起こる社会条件は歴代の政府が作り上げた。農林水産業を潰し、トヨタが喜び、輸入万歳、安物万歳と商社が喜ぶことばかりやってきた食料政策こそが問われなければならない。これを「不届き千万な輩が横行するから問題が起こるのだ」と話をすり替えたのが消費者庁構想である。警察法の手口などは実感があってわかりやすいが、問題が起こる条件を自分達で作り、問題が起きたら取り締まりの法を作る、これが金になる。道交法などではいつも腹の立つ思いをさせられる。今回の「消費者庁」も、同じ霞ヶ関の錬金術に騙され、役人どもの飯の種に私たちの税金が消えていく。そんな日々をいつまで歯がゆい思いで見つづけなければならないのか。
いつも「根源」を問わないのが政治。「国民の為」と言いつつ、自分らの飯の種にしていく連中が政府とよばれる存在。くれぐれもこんな連中に騙されないようにしよう。消費者庁など愚民政策そのものだ。大反対である。(S)
2008年09月15日更新
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