編集一言2007年04月ログ
- 「老」氏の死を悼む (06日)
「老」氏の死を悼む
このコラムには昔、「火焔ビン」という名がついていた。その「火焔ビン」に激烈なコラムを書き続けた「老」氏が逝った。
「火焔ビン」は敵に投げるもんや。味方に投げてどうするねん。爆発もせん「火焔ビン」ばっかり書きやがって。理屈並べても人の心に届かんわ。説教するな。自分に怒りがないから判らんのや。人は損得だけで怒るんとちゃうやろ。
アホ、ボケ、カスとののしられ、頭に来てビールビンを投げつけたこともあったけど、教えられたことは重くて大きい。弱い者にはやさしくて、強い者には常に厳しく辛らつだった。
党をカタチではなく質として捉え、生涯をかけて追求し続けていた。働き、稼ぎ、生活する。その現場に身を置き、その目線で考え、そこに暮らす人々に教えられ、励まされながら、自らには党を課し続けた人だった。
周囲に集まる多種多様な人々から「おっさん」と呼ばれ、したわれた「老」氏。今頃はむこうで相変わらず、憎まれ口を叩きながら、権力への闘いを組織しているにちがいない。(M)
「火焔ビン」は敵に投げるもんや。味方に投げてどうするねん。爆発もせん「火焔ビン」ばっかり書きやがって。理屈並べても人の心に届かんわ。説教するな。自分に怒りがないから判らんのや。人は損得だけで怒るんとちゃうやろ。
アホ、ボケ、カスとののしられ、頭に来てビールビンを投げつけたこともあったけど、教えられたことは重くて大きい。弱い者にはやさしくて、強い者には常に厳しく辛らつだった。
党をカタチではなく質として捉え、生涯をかけて追求し続けていた。働き、稼ぎ、生活する。その現場に身を置き、その目線で考え、そこに暮らす人々に教えられ、励まされながら、自らには党を課し続けた人だった。
周囲に集まる多種多様な人々から「おっさん」と呼ばれ、したわれた「老」氏。今頃はむこうで相変わらず、憎まれ口を叩きながら、権力への闘いを組織しているにちがいない。(M)
2007年04月06日更新
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