編集部からの問題提起に応えて

自分たちの総括地平や組織原則に

立ち返って考えることを放棄している

城崎 

2001年 7月15日
通巻 1082号

 獄中から勝手に組織の解散宣言を行うなどというのを含めて重信氏のあり方は、JRAの総括地平に反すること、JRA=人民革命党を「重信私党」と捉えていたこと、人民とか民主主義とかもまったく利用主義的に用いられていたこと、などなどをさらけ出すものであるのは、常識を働かせれば、たやすく見てとれるはずです。
 貴紙5・15号でW氏は、《そのような宣言は重信氏ではなく「外」がなすべきだ》という批判をしていました。私は友人への私信で、《外はあんな勝手な行為に対して、総括地平=組織原則に照らしてパニッシュメントを含めた批判、警告を発すべきだ。外には死刑となりかねない者もいるのだから、解散=公然化宣言なんて受入れられるわけがない》などと書いていました。だから、獄中の少なからぬメンバーはおろか、外の までが解散宣言に追随していると知ってびっくりでした。
 かつて、ある友人が送ってくれたパンフレットの中で、連合赤軍事件の主要メンバーの1人が、《自分たちは全共闘運動の中などで、物事を分析検討批判する能力をきたえ、身につけていたはずだったのに、山での事態においては思考停止状況に陥っていた》旨のことを述べていました。私はそれに対して、《それは党派の人間として、指導部の言ってることを理解しよう、咀嚼しようという力が強く、問題点などを批判的に捉えようという力、能力を自ら抑制してしまったせいだ》という旨を書き送りました。私自身の経験からしても、《おかしいな》《問題だな》ということがあっても、それを主体的に捉え返すよりも、《他党派の連中から突かれたらどう応えるべきか》という風に思考したこともありました。会社人間がただがむしゃらに…というのに似たあり方が、党派の人にはあるわけです。獄中のJRAメンバーや外のJRAの5・30声明などに示されるのは、まさにそういう哀れな姿でしかありません。
 悲しいことですが、彼らは自分たちの総括地平や組織原則に立ち返って考えることを放棄しています。そうしたことを通して、自立した人々が共にという民主的な未来を築く主体たりえないことをも自己暴露してしまったとも言えるでしょう。
 民主主義に反するということでは、(その周辺の人々を含めて)あの人たちにはおかしな身内意識で結ばれているのか、身内擁護がさまざまな形で噴出してしまうことがよくあります。身内擁護は誤ったあり方を自浄することを妨げ、腐敗を蓄積、拡大させることにつながります(「制度疲労」を起こしている警察、検察をはじめとする日本の官僚機構がその端的な例です)。これは、貴紙6・5号で津林氏が批判していること、民主主義を口にしているが、まさに口先だけで実態は組織第一ということと通底しています。それはまた、彼らの総括地平や言葉が単に自らを飾ってみせるだけのものだったことをも暴露したと言えるでしょう。
 かつて私は友人たちに、過去の5・30声明や貴紙に載った中東レポートに関して、《これは彼らが現地にいないことを示すし、実に空々しい》といったことを記しました。というのは、彼らにとっても身近な存在だったパレスチナ難民の存在がすっぽりと抜けていることがあまりにも多かったからです。でも、この間のありようをみていると、そうした私の「分析」が誤っていたのかと考えざるをえません。というのも、あまりにも身勝手でさまざまなもの、人々を利用主義的に見ているだけという実態が、この間露骨に示されているからです。そのようなあり方だったなら、仮に難民キャンプの中に身を置いていても、周りの人々をまったく無視したようなことも平気で言えるだろうからです。悲しいことですが、パレスチナ革命の中にも時々そういう人たちが大手を振るうこともありました。私たちはそういうのを反面教師としていたはずですが……。 

 (城崎生)

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