2001年 6月25日
通巻 1080号

 私たちは今、資本主義が純化し完成していく局面を目の当たりに見ている。

 生産が中心概念としてあった時代、資本制システムが存立していく前提として、労働が二重の意味で自由な労働の主体として形成される必要があった。そのひとつは、伝統的な共同体からの自由、もうひとつは、共同体と自然によって保証されていた労働実現手段から引き離され、市場関係によってしか自己を実現することのできない労働の大量創出である。

 高度成長期を経た現代の資本主義は、欲望の体系としての消費社会がベースとなって拡大している。消費社会としての資本制システムが存立していく前提としては、二重の意味で自由な欲望の主体が形成されている。ひとつは、欲望主体の伝統的な共同体からの開放。もうひとつは、充足手段との直接的なつながりからの乖離、共同体と自然によって保証されていた充足実現手段から引き離され、市場関係という回路をとおしてしか自己を充足できない欲望主体の大量創出である。

 資本制システムの消費領域への最終的な貫徹が始まっている。グローバルな資本主義をどこから撃つのか。高度経済成長というケインズ主義を予測できなかった資本主義批判派の敗北から、問題は再構成されるべきだ。

 ようやく生産の復権を考える時代が来ている。その出発点は農業生産の原理から発想した技術革新だと思う。         (I)

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