2001年 4月5日
通巻 1073号
小泉予備選圧勝、本選挙当確のニュースを聞きながら本稿を書いている。街頭で瞬時に8000人の聴衆を集めた小泉・田中真紀子の演説風景をテレビで見たとき、政治に飢えた群衆の熱狂を感じた。派閥を離脱し自民党の解党的出直しを訴える小泉の公約は、党員の総裁選挙であっても番狂わせの震源は大衆の圧力だった。
これが総選挙や首相公選でないところにインチキ性がある。下手をすると小泉が大衆の願望を背負って政治を極右に引っ張っていく危険が大いにある。彼のいう改革とは、日米同盟強化、集団的自衛権、靖国神社公式参拝であり、根本は大衆に犠牲を強いる確信犯なのだ。
飢えた何万という群衆が徳球(徳田球一共産党書記長)演説に熱狂した戦後混乱期の様相とは根本的に違う。確かに自民党の基盤は雪崩現象だが、大衆の願望が不破や土井たか子ではなく、小泉や田中真紀子に吸収される所に今の怖さがある。 政治不信の流れは議会政治、既成政党離れであり、悲劇の本質は前衛党不在にある。変革の基本は英雄願望ではなく時間をかけてでも人民の草の根運動を育てるしかない。その育成のキーワードは何か?「報いられることを期待しない献身」。徳球の言葉を思い出すのは、古い人間だからだろうか。(F)
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