2001年 3月25日
通巻 1072号
「アソシエーション」という言葉がここ数年の間にマルクス思想を読み説くキーワードとして市民権を得たようだ。「季報唯物論研究」の編集長である田畑稔氏の功績に負うところが大きい。その田畑氏が「キャシアスにアソシエーションが実践できるか」という巻頭文を最近刊の前述誌に寄せている。
シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」にキャシアスという人物が登場する。このキャシアスを介して「決起を急ぐ」ことと「死に急ぐ」ことの間には通底する何かがあることをシェイクスピアは描いたのだと、氏は語る。
キャシアス型人間の思考の平板さ、短絡さはアソシエイティブに生きるあり方と対極をなすものだと言うわけだ。
目指している理想からかけ離れた現実の存在は、眼をそらしても消えはしない。必死に積み重ねたあるべき関係が、瞬時に崩れ去り、変質する可能性を受入れなければならない。異質の存在を排除するのではなく、許容しつつ働きかけをおこたってはならない。田畑氏の「過程論的アソシエーション」はそう私達に語っている。
それは、言葉ですますのは容易でも、実践し続けることば難しい。途方なく難しいと思う。自分にまとわりついた古い皮を一枚一枚引き剥がす、血みどろの闘いが不可欠だ。
考えることを止めてはいけない。たとえ四方が闇であっても。(M)
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