2001年 1月25日
通巻 1066号

 この1月17日で、阪神・淡路大震災から6年が経過した。どこぞの元気な知事さんは、行政の行うあれこれのセレモニーに「空虚なセレモニーだ。まったく被災者を愚弄した企画だ」と申されたそうな。そりゃ、そうだろうと思った。「セレモニー」とはそもそも「形式」そのものなのだから、意味を求める方に違和感を感じる。

 ところが、とある「市民」の「まさにその通り」というご意見を目にした。よくよく読んでみると、「市民」も各種イベントを行おうとしているのに、行政主導で、それも同じような内容のものをするのはケシカラン、とのことである。補助金でももらい損ねた恨みがあるのかと思った。

 「市民」の行ったモノも、セレモニーである以上、空虚なものだったと思う。「市民」も行政も大勢で街中をそぞろ歩いていた。歩くと震災を忘れないのだろうか。どんなにいわく付きであろうが、「命」にかたどられたロウソクの群はグロテスク以外の何モノでもなかった。あれは、被災者や犠牲者を愚弄したモノではないのだろうか。

 「市民」がすればすばらしく、行政がするとくだらない。浄財だとすばらしくて、税金だとくだらない。あまりに単純な「市民」の発想法に辟易した。あとは、これから連発されるだろう長野県での「意味のあるセレモニー」を楽しみするばかりだ。 (K)

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