2000年 10月5日
通巻 1056号
宮本顕治が日本共産党の名誉議長を退任し名誉役員になるそうだ。この秋の党大会で決まるらしい。宮顕と一緒に名誉役員に棚上げされる幹部もかなりいるようだ。不破―志位体制の確立というのが一般的見方だが、宮顕引退に徳田・志田派(今では徳田・野坂派というらしい)=所感派残党が道連れにされる感じだ。
そのついでにというのも変な話だが、不破が7月15日の党75周年記念講演で「『50年問題』と『軍事方針』」という話を長々と喋っている。別の一派(徳田・志田派)のやった軍事闘争という位置づけはあい変わらずだが、「正式の機関で決定した方針でない」と新説を述べている。つまり宮顕ら当時の国際派が参加していない四全協(軍事方針決定)、五全協(51年綱領決定)のことを言っているのだが、この新説は自己矛盾を露呈している。
六全協(軍事方針破棄)、7回党大会(51年綱領廃棄)は宮顕も参加して正式の機関と認めているから、党の正式決定でない方針を、党の正式決定で破棄したことになるのだ。つまり、自民党の機関決定を共産党の機関決定で破棄したのと同じことになる。不破は6月選挙の敗北責任を「軍事闘争」反共キャンぺーンに転嫁した。ついにウロがきたのか、ヤキが回ったのか?(F)
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