2000年 8月25日
通巻 1052号
猛暑の8月に入ると、8/6、8/9、8/15と原爆、敗戦記念日の行事や特集が、甲子園の高校野球の合間を縫って伝わってくる。死者の霊が里帰りするというお盆の風習もあるが、1年に1回だけの戦争の被害や加害の責任を思い出したり語り合ったりするのはもはや風物詩なのか。
戦後世代が日本の総人口の70%以上になってしまった今、もう親と呼ばれる世代は戦争を知らない世代になってしまった。戦争体験者が祖父や祖母と呼ばれる世代となっては、戦争の語り部もやがてこの世から消え去っていく。
戦後55年間日本は平和だったと言うけれど、最近の多発する少年犯罪はそんな平和が残した大人の傷痕ではないのか。少年たちの心の傷は、戦争を忘れた戦後の傷痕である。隣の国では朝鮮戦争の残した民族分断の傷痕がようやく自力で癒されようとしている。日本の侵略戦争の残した傷痕はアジアの民衆の心には消えていない。さらに戦後の経済戦争が加えた傷痕。
日本はこれらの戦争の傷痕を自力で快復できるのか。8月は炎暑の中で球音を追う少年たちの未来に責任を感じながら、無責任な昭和天皇の玉音放送を思い出す。戦争は忘却と無関心の隙間から忍び寄る。復活する日の丸・君が代、戦争責任を語らぬ平成天皇はその罪の象徴である。 (F)
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