2003年 2月15日
通巻 1135号

 統一地方選挙の季節が近づいてきた。マスコミはすでに「シミンハ」だの「ムトウハ」だのを連呼し始めた。どうも「シミンハ」と聴くと、心がザワサワする。果たして、この風潮は歓迎すべき情況なのだろうか、と。


 教科書的には民主政体の優位性とは、利害調整機能が優れている点だと教えられる。議会のアクターたちは、自分と自分の支持者の「リガイ」を代表していて、妥協的にアリーナで議論を交わす中で一つの方向に収斂するのだ、そうな。であるので、議員さんたちも我々もみんな当然に「リガイ」を持っていて、その「リガイ」は「コウヤク」だの「セイサク」だのでアジテートされるので、我々は自分の利害と合致する者を選ぶ、のだそうな。


 では、「シミンハ」なるものの「リガイ」とは何なのだろう。「市民のみなさんの利害」ということだろうか。まさか、そんなバカげたことではあるまい。要するに、「シミンハ」のみなさんにも固有の利害があるはずなのに、「シミンハ」に隠蔽されてわからないのである。これは民主政体のあり方では断じてない。


 そうこう考えると、アレと同じなのに気がついた。市民派とは、日本語で何か生臭い言葉をカタカナ言葉に変えてフムフムと分かった振りをする日本人特有のアレなのだ。ということは、まさに市民派は「シミンハ」と言い習わすのが正しいのである。
(K)

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