2002年 7月5日
通巻 1115号

 ワールドカップが終わった。「何でもいいから騒ぎたい」という若者にはうんざりだが、試合以外で印象に残ったシーンは、中津江村のカメルーン歓迎騒動だった。カメルーンの到着が何日も遅れたおかげで、村長さんは一躍、時の人となった。到着の翌日、畑にいるおばあさんにインタビューしていたのだが、夜の3時に旗を持って出迎えに行ったという。あんまり嬉しくて、思わず涙がこぼれたと言いながら、またその場でもウルウルしている。

 客人を迎えることの嬉しさを、ここまで表現できる人々が住んでいる村。この山村まで来てくれたことに、感謝できる豊かさ。

 その時、カメルーンチームが遅れた理由は、選手が条件アップを要求してもめていたのだ。しかし、スポーツを越えて交流が実現していたのは事実だろう。韓国の熱狂とは対照的に、どの国に対しても声援を送る日本の応援が、新しいワールドカップの楽しみ方として海外メディアに、驚きをもって紹介されていた。こうした民族性が、山村のアイデンティティから発しているとしたら、まだ日本は救いがあるのかもしれない。

 BSEから端を発した不当表示。その対策として打ち出されたトレサビリティ。町による村の監視機構が、また強化されるのか。それとも、村を理解する入り口として、情報公開が図られていくのか。これからも、せめぎ合いがつづく。(I)

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人民新聞社

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