参院戦総括 |
戦略を見失った左翼勢力 |
北川哲也 |
2001年 9月15日
通巻 1087号
人民新聞1085号の「川柳時評」にて乱鬼龍さんは、〔今回の「新社会党」(また、新垣選挙)の惨敗は、決してひとり新社会党なり薪垣選挙なりの惨敗などではなく、「社会党」や「共産党」(そしてそのまた、それに連なるものとしての「市民派や「新左翼」をも含めた)なども、丸ごと“包み込んだ”、いわば“戦後革新勢力総体”の完全な歴史的敗北であり…〕と書いております。これに対して、私も全く同感です。乱鬼龍さんは9月1日発行の新聞「コム未来」にも同じような選挙についての総括を発表していましたが、他の人に比べ一番鋭い理論を展開していると思って読ませてもらいました。私も少し意見を述べたいと思います。 |
まず、左上の表を見てください。得票を増加したのは自民党と公明党だけで、他の党は全部得票を減らしています。一番減ったのは共産党で、400万近いくらいです。これは約半分になったということです。なぜこんなことになるのだろうか。参院選終了直後に高知新聞が各党の代表を集めた座談会の席で、共産党の県委員長は今度の選挙は勝てる見込みがないと言って党員が働かなかったといっていた。他の選挙ならとにかくとして、参院選に勝つ見込みがないのは今回に限ったことではないので、今回なぜ党員が働かなかったか、これが問題である。 |
私は、ごく最近のことであるが、高知の社会民主党の代表に会って参院選について話し合ったことがある。そのとき社民党の代表は、昔は共産党といろいろ議論する必要があって我々の方も少しは本を読んでおく必要があったが、今は共産党が勉強しなくなったので、我々のほうも勉強しなくなったといっていた。また、社民党も今のままではいかん、昔の社会党に戻さねばならないという意見が党内にはかなりあるといっていた。 なぜ、社会党は社会民主党に党の名前を変えたか。それは、保守反動と闘うために変えたのではなく、保守2大政党論に迎合するため、党名を今までの社会党では具合が悪いので別の名称に変えなければならないという考えで名称を変え、委員長・副委員長・書記長の名称も保守党と同じように党の代表・幹事長・政策審議会長に変え、保守党と区別がつかなくなっている。 社会民主党に名称を変更したとき、当時の委員長・村山富市氏が社会という文字が入っているから社会民主党でよいといったことに私は驚いた。なぜなら、社会民主党という党名は明治34年、幸徳秋水、片山潜等によって創立されたわが国における最初の社会主義政党の名称であることを知らないことになるからである。 共産党の綱領は、君主制を廃止して民主共和国を樹立すると書いてあるが、民主共和国とはどんな共和国か。共和国にはブルジョア共和国、人民共和国、社会主義共和国があるが、民主共和国とはこの3つのうちのどれに該当するか、その点が明確でない。ようするに不破哲三、志位等は反動勢力に真正面から対決する姿勢はまったくなく、一貫してものの本質をごまかすことをやってきた。 最近は、大臣になりたくなって反動勢力に媚びへつらい尾をふって擦り寄っていくだけでなく、もし保守勢力が共産党も大臣にしてやるといっても天皇が信任せんといったりしたら困ると考えたのか、天皇制を容認するといい出す始末である。 共産党がなによりもまずやらなければならないことは、労働者階級の階級意識を目覚めさすことであるにもかかわらず、労働者の階級意識を麻痺させることばかりをやっている。 |
このような共産党は害あって、益のない共産党である。この共産党の思想と行動が日本の全左翼に影響を与えている。 日本の左翼のすべては階級意識を明確にすることを恐れ、階級性をぼかしさえすれば幅広くなると考えている。確かに幅広くなって保守も革新も区別がなくなった。 現在世界の情勢を見るとき、社会主義共和国の樹立を目指すプロレタリア社会主義革命と人民共和国の樹立を日指す民族解放民主革命が世界革命の主な潮流となっているのであるが、現在日本には日本社会主義共和国の樹立のスローガンを掲げている組織が1つもない。ドイツのベルンシュタイン(1850〜1932)は今から100年ほど前に、運動することが目的であって終局の目標は無であるといったが、日本のすべての左翼は完全なベルンシュタインになっている。このことが、現在日本の左翼運動が壊滅的状態になった根本的な原因であると私は考える。 現在の状態を打ち破り、勝利の確信を持って前進できる方法は唯一つしかない。それは恐れることなく大胆にかつ確信を持って、日本社会主義共和国の樹立のスローガンを高く掲げ、すべての左翼勢力が統一し団結することである。 私は、本年3月15日より全国の友人、知人に「日本社会主義共和国の樹立のために」という文書を郵送している。私は昨年7月、帝国主義の番頭共が沖縄に集まりサミットを開催したとき沖縄に行きました。そのとき民宿で乱鬼龍さんにお会いして話しをしたことがありますが、ご記憶がございますでしょうか。高知と東京では遠くて思うようになりませんが、またいつの日にかお会いして日本の現状について討論できればうれしいです。 (見出し・編集部) |
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