人民新聞編集部
からの批判にこたえて

元日本赤軍メンバー  戸平和夫

2001年 7月5日
通巻 1081号

 人民新聞の6月5日付の1面で、重信さんの逮捕の際に現れた問題を批判し、「歴史的総括へ多くの人々の活発な論議を!」と呼びかけておられるので、当事者である日本赤軍の元メンバーとしての私の総括を提起します。
 4年間獄中にあって、今やっと接禁解除になったばかりで、日本の情況についてよく把握しているわけではなく、また重信さんの逮捕時の問題についても十分情報があるわけではないので、みなさんからさらに批判を受けることで総括を深めていきたいと思います。

1.批判点について

 第1の批判点は以下のようでした。「今回明らかになった実態はこれ(民衆を第一とする立場)とは裏腹の、党を人民・大衆運動の上位に置き、人民・大衆運動をせいぜい党の隠れ蓑としか考えない旧態依然たるあり方だったのでないかと言わざるを得ない」、「その不信(重信さんの自己批判に対しての)は、一つは言うまでもなく、精神医療で最も守らなければならない患者さんの人権を自らの政治目的のために利用し、踏みにじったという事実にあります」、「もう一つ留意すべきは、弾圧の過程で浮き彫りになった、今回逮捕された人々の運動の私物化、あるいは利用主義としか思えない病院・医療運動への関わり方、考え方の問題です」。
 この点について私および旧日本赤軍は、私たちの誤りであり、徹底して自己批判し、謝罪しなければならないと思います。重信さんもその点について謝罪を行っています。これは非合法の人間を守るためには何をやってもいいというあり方であり、自らを民衆や大衆運動の上におくというあり方であったと思います。
 もう1つの問題として、逮捕された人々の問題ですが、私は彼らがどのような仕方で医療運動にかかわっていたのかを知らないので、彼ら自身がそうであったのかどうかについての判断材料を持っていません。しかし、明らかなことは、それが事実であるとするならば、私たち旧日本赤軍にすべての責任があります。私たちのあり方が、そのようなことを生み出していたのだと思います。
 第2の批判点は、「被逮捕も予想され、しかも当然その場合は『関連』の弾圧が広範囲に展開されるに決まっている状況下で、何故非公然活動の原則を逸脱しているとしか思えない資料や記録を保有していたのか、誰もが抱く疑問だと思う」と指摘されていることです。
 これについては、獄中にある私も、何故そのような原則違反が行われたのか、理解に苦しみました。私たちの活動原則においても明確に反しており、しかも、公安にマークされていた人々と敵地である日本国内で、国外でやっているような仕方で会議を持っていたというのは信じられなかったです。
 私が考えられることは、私たちが非合法・非公然であるにもかかわらず、法治≠維持するために組織的会議を行ったことで、そのための資料を保持していたということかもしれないということです。
 日本赤軍―人民革命党は、非合法・非公然組織にもかかわらず、定期的に大会や大会に準ずる会議を持ち、民主主義的な党体制を維持しようとしてきました。そのたびに継承性を重視して総括してきたために、歴史的資料が用いられてきました。
 その延長上、すなわち日本以外でやっているのと同じようにやっていたのかも知れません。非合法・非公然の人間が国内で活動することと、歴史的資料をそろえて政治・組織的討議をすることに、明らかに矛盾がありました。いずれこの点について重信さんから明らかにされるかとは思います。
 第3の批判点は、「皆(旧日本赤軍の獄中者)がひたすら重信さんの発言に期待・注目し、それにエールを送るという構造に違和感を覚え、『これは政治性、指導性の喪失、極端に言えば当事者性の解体・喪失ではないのか』との危惧を感じる」ということです。
 事態がわからないので、私が期待・注目していたのは、重信さんの発言ではなく、獄外の同志からの事態に対する見解の表明でした。重信さんの逮捕という事態で、獄外に新しい指導体制が作られるはずだったからです。しかしそれが全くないことで、重信さん本人の発言に期待せざるを得なかったということです。
 違和感を覚える例としてあげられている足立さんの「解散宣言に結集しよう」という提起は、獄中においても主体的ではないと批判が出ており、総括一致を進めていくことの必要性で一致しています。
 もちろん、私たちは、民衆運動の中で育ってきたのではなく、地下で生活し、活動してきたために団結が隊内にとどまる傾向を持っています。そこに私たちが無自覚なことで、違和感を与えているのかもしれません。

2.問題の根拠


 これらの事態を引き起こした根拠は、非合法・非公然の存在としての日本赤軍をそのままに、民衆運動と結びつこうとしたことにありました。
 旧日本赤軍は、1977年5・30声明を転換点として、戦闘団主義的なあり方を否定し、民衆を主体とする闘いを支える党の役割を果たすために自己変革を進めてきました。
 その観点から1970年代の国際遊撃戦を人民性が弱いものとして否定し、日本人民の闘いに依拠した自力更生の力に基づいた国際主義の実践を目指しました。そのために日本に共同して新しい党を建党することを、1980年代に目指しました。
 そして、1991年にその努力の結集として、人民革命党の結成を行いました。そのとき、私たちの基本路線を「民主主義の徹底」におきました。その実現のために、私たちは「5つの戦略的観点」を規定しました。これは革命を勝利させるために必要な戦略的観点でした。第1は能動性の観点、第2は思想的結束の観点、第3には陣地戦の観点です。第4にゲリラ戦の観点、第5に国際主義の観点です。
 この第1から第3までの観点は、権力奪取をしてから社会革命を行うことや、危機になれば蜂起するというような考え方を否定し、今現在からの社会革命を追求し、それを拡大していくことによって革命を実現するという観点です。これらの観点は権力奪取主義を否定するものでした。しかし、第4のゲリラ戦の観点は、蜂起の陣型を作りだすための、軍事活動を規定するものでした。これは明らかに権力主義から生まれています。
 また、党の役割の規定も、人民の闘いを統一する役割、人民の政治軍事力量の形成、国際主義の役割というふうに規定していました。
 ゲリラ戦の観点、政治・軍事力量の形成は全人民の蜂起を準備することを革命戦略の基本においている考えであり、権力奪取を目的とするものでした。
 すなわち、一方で権力奪取主義を否定しながら、他方で権力奪取主義を維持するという矛盾したあり方になっていました。一方で、権力奪取主義は武装闘争・非合法・非公然組織を正当化し、しかし、他方ではより広範な民衆との結びつきと、地域的な変革を重視する考えが併存することになりました。それがさまざまな矛盾を生んできました。
 権力奪取主義は、「民主主義の徹底」とも矛盾するものでした。何故なら武力による権力の獲得は、民主主義を否定するものになるからです。力による権力を獲得したものは、力による転覆を恐れ、権力の防衛のために民主主義を否定する傾向があります。
 そして、それが「プロレタリア独裁」を前提とするならば、その権力は徹底した民主主義の代わりに、民主主義の否定と独裁をもたらすだけです。
 民主主義の徹底は、政治的・社会的・経済的な民主主義の実現を目指すことであり、その方法もまた民主主義的でなければなりません。

 

3.何故、権力奪取主義を否定しきれなかったのか

 第1には、私たち旧日本赤軍が存在していた条件に規定されていました。パレスチナ・アラブにおいて武装闘争は民衆に支持され合法であったことに規定され、日本でも軍事闘争は支持されるだろうと考えていたためでした。
 第2には、国家観です。日本の国家権力の本質はブルジョア独裁であり、民衆の力なしに、ブルジョアジーが権力を引き渡さないと考えていたためです。
 これは、国家権力の本質からすべての現象を切って捨てる見方であり、そこから導かれる武装闘争の必要性は、現実とは合わないものでした。
 本質がブルジョア独裁であろうと、形実形態において、より制度的民主主義が強い場合か、弱い場合かに違いがあり、またその置かれている国際環境によっても違ってきます。
 日本の場合は民主主義の政治システムは機能しており、それを通した変革が可能であること。そして、民主主義の実践としての多数者の意志によって変革されていくことで民主主義は徹底されていきます。


4.どのように問題を引き起こしたのか

 非合法で敵に追われている私たちにとって旅券は重要なものであり、それを確保することは私たちの生命線でした。そのために安易な仕方で手に入れる方法をとったことから問題を起こしたと考えられます。これは、自分たちの安全を第1としなければならないという非合法な存在の仕方を続けようとしたことから生まれてきました。そして、今回の事態はその結果、社会的弱者を平気で利用するというあり方になりました。
 非合法の存在の維持をはかろうとすればするほど、「大衆運動を隠れ蓑」にするあり方になっていったのだ思います。
 また、押収物の問題も、非合法な存在であるにもかかわらず、合法運動と同じ仕方での政治・組織活動を行ったことが作りだしたことです。
 第3点目に提起されていた問題は、私たちが、非合法・非公然のグループの中で活動してきたことの結果、民衆との関係において発想することができなかったということです。


5.今後どのようにすべきか

 第1には、武装闘争・非公然・非合法組織の清算であり、さらには権力奪取を否定していくことです。
 第2には、日本の実際の民衆運動から学びながら、民衆の運動の統一、地域における陣地戦をすすめていく役割を担っていくことです。
 第3には、自己批判・自己変革の思想として旧日本赤軍の総括によって導かれた思想的な立場・観点を継承し、不断に学び、自己変革しながら役割を果たせるようにすることです。
 第4には、どのような変革を目指していくかは、旧人民革命党綱領草案を検証し、総括し、民主主義の徹底のための綱領となるような新しい出発点をつくることです。
 以上です。どんどん批判を受けながら総括を深めていきたいと思っています。

(終)

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