私自身の逮捕と非をお詫びします
満開の桜が散り終える頃でしょうか。目を閉じると、獄に居るのも忘れて、春が広がります。れんぎょうや沈丁花の匂う暖かい風、空が、光の中で踊ります。そして、この季節、レバノンのベカー高原に広がる真紅のけしの花の群れは、息を呑むほど美しいときです。また、地中海に落ちる太陽の最後の光を帯びて、岩場の真紅のけしが黄金色に染まる一瞬の美しいベイルートが見えます。目を閉じると、どこまでも自由が広がります。みんなと、この春の中を共に語りあえたら、どんなに嬉しいでしょう。語りあえる自由を渇望しています。
私自身の不用意な逮捕と文書類の押収によって、心ならずも全く関係のない個人や団体にまで、家宅捜索や弾圧を許す結果となったことを心からお詫びします。今にいたるまで「危険分子日本赤軍と関係」として、そうした方々の市民生活を脅かし、社会的信用を傷つけ、市民運動家や政党、団体への弾圧を行う警察当局に抗議します。
私が尊敬し、信頼を共にすべきそうした方々の怒り、戸惑い、不信を招いたであろう私自身の逮捕と、非を詫びます。そして、公正と正義を求める世直しの中で、自らを正しながら、人々から仲間として、受けとめられるよう心して進みます。
民主主義の徹底を実現すること
私たち日本赤軍はアラブにいる限り、アラブ人民、アラブ社会と共に生き続けていました。しかし、日本社会の中に私たちは居所を持たずに進みました。日本社会の中に根付いた歴史を担えなかった以上、私たちの闘いは不充分であり、間違っています。
ある時代、ある状況の中で、武装闘争が、人民の要求としてあり、それによって状況を切り拓く役割もありました。忘れられたパレスチナ民族の権利を全世界に知らしめたリッダ空港作戦など1970年代の闘いは「武装闘争こそ最良のプロパガンダ」としての位置をもって闘い、その後74年の国連総会で、アラファト議長がPLOの代表として出席が認められ、政治的権利を獲得しました。
インティファーダ民衆蜂起の80年代の闘いは、今にいたる建国の闘いへと、人民の権利と主権を実現しながら進みました。
しかし、冷戦後の世界においては、人民の要求と社会的要求を根っことしない武装闘争は政治を実現できず、人民弾圧の口実を作っています。人民の変革の意思の量と質が大きければ大きいほど、平和的変革が可能なことを東欧、ユーゴの革命が示しました。
日本において、日本人民は武装闘争を望んでいませんし、そういう条件も状況もないことを知っています。パレスチナのインティファーダの民衆蜂起に照応する人民の権利と生存の闘いは、日本においては民主主義の徹底を実現することだと思っています。そして、人々の世直しの要求の量と質が広がれば広がるほど、平和的に世直しは実現できると確信します。問われているのは、人と人との関係を変えながら社会を変えようとする自分自身の関わり方かもしれません。
解散をもって新しい闘い方に挑戦
私は、日本赤軍の仲間たちが21世紀の闘いの姿として描いていた方向を、私自身のこれまでの役割を自覚するが故に、同志たちの意思として、ここに再び宣言します。
「国際主義と軍事を特性としてきた日本赤軍の歴史を20世紀のアラブの人民と社会の歴史に刻みます。そして、日本を起点とする世直しを開始するにあたって、日本赤軍の解散をもって新しい闘い方に挑戦します。私の仲間たちは、世直しを求め続けます。歴史的に蓄積してきたアラブ人民との信頼を生かし、時代にふさわしい合法的で、公然とした国際連帯を出発点としながら日本発の闘いを開始するでしょう。時きたりなば、その小さな力が世直しを求め合う日本の、世界の仲間と結びあうでしょう。」
私自身の仲間たちのしごとを、獄中から及ばずながら支えたいと思っています。
21世紀、一番大切な価値として、私自身は人間らしさをも求める《公正》さを貫こうと心に誓いました。特権にしがみつく、自民党政治も、警察官僚機構もまた同じです。失敗を隠し、聖人君子のように振舞った特権のしたで、制度疲労は進み、公平さ、公正が損なわれてきました。
国際関係においても、公正さのない平和は達成できず、火急に公正な解決がパレスチナで求められています。ただ、そこに住む人々の歴史的要求に対して、公正な妥協点を作ることができるかどうかが、対立の根拠を共生の根拠に変えることができます。
パレスチナ問題が、21世紀になっても解決できない根拠は、公正さを欠いた「和平」という名の支配をパレスチナ人民におしつけている米国とイスラエルの姿勢にあります。
《公正》は言葉では抽象的で簡単な言葉のようですが、自分自身が公正に判断する、えこひいきしない、縁故を求めないフェアプレーの精神を磨く中で、フェアーな解決もまた見えてきます。私は獄中にありながら、民主主義の徹底を求めるうちの1人として、公正に、自分自身の裁判に関わる姿勢としても、生き方としてもフェアーでありたいと願っています。そのように生きながら、人々と出会いたいと願っています。
アラブと日本の新しい架け橋に
今、満開の桜が散り終える頃でしょうか
満開の桜が散り終える頃までに成すべきことのうちの一つだった娘達の国籍取得が成り、4月3日、日本に帰国することができました。親身になって国籍取得と帰国に尽くされた大谷先生はじめ弁護士、法務省,外務省の方々、そして現地で様々な協力と支援に尽力されたレバノン大統領をはじめとするレバノン政府当局者に感謝します。
そして、娘へ。困難を越えてきてくれてありがとう。初めての日本、夢に見た日本で、私の旧友、これからの友と共に一つ一つ学びながら生きていく道を学び、アラブと日本の架け橋になってくれることを望んでいます。私たちが非合法・非公然にしか担えなかった連帯が、あなたたちの時代には、日本とアラブの両国国民の連帯に発展し、はば広く築かれれば、こんな嬉しいことはありません。
出席してくださったみなさん、私は、反省は反省として,後悔はしません。生き、楽しんできたこの半世紀の人生を語り合うチャンスを今日、これからの希望と重ねてまた、進みます。「オリーブの木」ありがとう。育つよう、私なりに尽くします。共に!
(小見出し・編集部)
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