私は今も活火山 |
福島・宮沢とり |
2001年 6月15日
通巻 1079号
御紙1077・5・25の言わせて聞いて≠フ「私の紙面批評」匿名氏の記事、昨日(6・15)読みました。私は地獄で仏に出会った、といっても絶対ウソにならない感激を、そしてあるいは闇夜に一片の光を見たといっても過大評価ではありません。
戦後、今に至るまで私のような考え方をもった人は労働者作家で今1人東京にいるのですが(男、炭鉱労働者出身19才年下)、その人の書いたもの(本、300ページ近い、年に1回、タダ)に(今年の)作家がサガレンにいて13か14かくらい、1941年の前年くらいにサガレンの炭鉱でおきた朝鮮人労働者のすばらしい闘いが、闘い方(目のさめるような)があって、ビックリしました。この作家は小学校6年、高等1年2年としかいってないのにマルクスの資本論を2度読んだというのです。
今、私は万一、オレがたおれたら(死なないまでも)みんな焼かれてしまうかもしれない
という恐怖にかられて、懸命に資料セイリを始めました。週刊ハタ107号もゼヒ、イギリスやアメリカの戦争や東南アジアへの爆撃をまずやめさせっぺ。なぜ36にもなって1946年入党したのか、ぜひ書きたい。同じ質のものなら、いくつでもいっぺんにできる前歴をもっているのです。
私は休火山でなく、とうとう活火山なのです。今でも。
私のかかり子は実子ではないのですが、そこへ権力は120%の圧力をかけているのです。いるのですね。又、私の娘の1人は全く私に迷惑、精神的経済的に迷惑のかけどーしです。これも権力の耐えざる圧力が弱い所へかかってくるのです。また、となり近所の人たちが、そして少しずつではないが、昨年と今年では大分変わってきました。前進も非合法、非公然という言葉がなくなってきました。
ぜひ、本を出したい。そしてお金になることが義理の娘たち(70才以上)にわかってもらえればと、人民新聞紙上にぜひ、終戦の女たちのすばらしい闘いを少しまとめて書きたい、必死です。
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