団結をめざし、団結を求め、団結を武器としよう! |
── 5・30リッダ闘争5周年によせて ── |
日本赤軍 |
編集部注:1977年の声明を2000年11月25日通巻1060号に再録したものです。
日本赤軍派の誕生日ともいえる5月30日を迎え、更なる不屈の、革命任務を担う決意を込めて、日本人民、同志友人に日本赤軍に結集した全ての戦士の名において、心から連帯のあいさつをおくります。私たちが、日本人民を代表して、アラブ・パレスチナ人民と手を握り合って6年目、リッダ闘争から5年目の、5月30日を迎えようとしています。その間私たちは少なくない革命の教訓を一つずつ導き出そうとしてきました。私たちは、失敗を数えきれない程してきました。そして、失敗を克服する闘いの中から、自らを革命化することを通して、不滅の生命力を養うことを学んで来ました。今、私達は日本人民、同志友人と共に日本革命を勝利完成する闘いの中にささやかな教訓を返し、一つの階級の責務を共に担いつづけることを約束します。
日本革命をめざす者が、日本のことを知らなければ、闘う方向を見失ってしまうことは、道理ですが、日本赤軍形成母体であった若い革命運動の勇気と情熱、ごうまんと主観主義の例外にもれず、私たちもまた、多かれ、少なかれ、日本の中で教訓を蓄積しないまま、自らの失敗を正当化し、自らに幻想をたくさん抱いたまま、日本人民のことを真剣に知りえず、アラブでの闘いに出発して来ました。多難の中で、うまくいかなければ情況や対象や時代のせいだ、と思ったり、うまくいけば自分たちの実力を過信するという様な、根本の思想が、帝国主義支配の中で育んだ思想基盤を知らず知らずに肯定したところでしか、闘いきれていませんでした。だから、連赤や諸派の失敗があれば、革命を志す者の共通の責任としてとらえず、自分たちは闘っていて、まちがいをおかさないのに、新左翼はダメだという固定的な見方・批判をもって、自分たちだけが苦労して革命を担っているという様な悲壮な観点によってたっていたといえます。私たちは、数えきれない教訓を一つ一つ得る度に、その中から勝利の確信を一つ一つうちかためて来ました。そして今もまた、その途上にあります。抑圧された人々が、歴史の主人公となり、自らの力で、未来を切り拓く正義の闘いは、いかなる困難に直面しょうとも、必ず勝利するという確信は、闘えば闘う程、失敗すれば失敗を通して、ゆるぎない確信となって、私たちを支えています。そして、勝利の確信が強まれば強まる程、どの国の革命でもそうである様に、無名の先達が、勝利によって証した様に、私たちもまた、団結を唯一の武器として闘って初めて、日本革命を勝利完成させることが出来るのだ実感しています。
私たちは敵共によって、また、私たち自身の不十分さの中から、この6年間の間に、真に日本赤軍が一体何を考え、どの様な社会を実現するために闘っているのかを、日本の人民・同志・友人に伝えることが、出来ませんでした。私たちの闘いの不十分さに加え、武装闘争に対する神秘主義や、アラブ・パレスチナ革命戦場に対するブルジョアマスコミのゆがんだ伝達を通し、日本の人民・同志・友人と一致団結して闘う道をきりひらきえていません。日本の人民・同志・友人と共に担う階級的団結ぬきには、私たちは、敵共を壊滅することができません。私たちは、日本赤軍に対するこれまでの誤解や、神秘主義、そして批判を、まず自らの不十分性の結果として、受け止めていきたいと思います。そして、自己を更に批判的に改造するところから、日本帝国主義に対決する被抑圧人民・同志・友人と団結し、力をあわせて、日本の人民共和国を実現するために闘いつづけることを約束します。
人民の利益を実現し、人民の団結をめざすいかなる闘いも、無限の後続部隊を歴史の中に育成し、闘う人々へ引きつがれてきたように、日本赤軍の先達が切り拓いたリッダ闘争は、今、益々したたかに、アラブ、日本人民連帯の礎石となって拡がりゆく闘いを支えています。しかし、同時に日本赤軍はリッダ闘争によって示された国際主義の実現の中で、その切り拓いた責務の大きさを、しっかりと果たしえず、十分に人民連帯を、日本の革命運動へと、実践しきれてきませんでした。唯、武装闘争を持続発展させる中から、リッダ闘争の非妥協の闘いの地平を堅持しぬくことにとどまってきました。パレスチナ人民との共同武装闘争であるリッダ闘争の非妥協な敵との対峙は、担い手たる私たちの即自的な主観的展望を越えて、はるかに持久的で広い階級的団結を、客観的に不滅なものとして築きました。それは、パレスチナ人民の闘いの地平に支えられ、私たちや、パレスチナ指導勢力の階級的な飛躍を要求していたといえます。
しかし、私たち日本赤軍は、自らが限界や不十分性をもって闘ったというリッダ闘争の主体的な内容を問わずに来ました。リッダ闘争を勝利の側面からのみとらえ、その地平を発展させることに全精力を費やしてきました。日本赤軍の当時の思想的未熟を問い、高める方法を、武装闘争の飛躍によってのみ問い、革命任務を、武装闘争の持続に一面化する軍事一点ばりの観点をもって闘いつづけてきました。そのことから、武装闘争の勝利によって、逆に思想的未熟さや、不十分性を清算しながら、運動的発展に依存し、強固なものと錯覚し、隊伍の中味を十分に問わずに来ました。パレスチナ指導勢力もまた、同じ問題を問わずに来たのだと、私達日本赤軍は考えています。リッダ闘争そのものが、客観的に実現した階級利益の闘い、国際主義の実現とうらはらに、私達日本赤軍は犠牲性や勇気にとどまらない真の革命思想へと、自己を革命化することに遅れて来ました。そのことを真剣に問い得たのは、同志の被逮捕、自供によってでありました。
リッダ闘争を実現する日本赤軍の初期の不十分性は、日本革命運動の不十分性と照応する関係にあります。未経験や、思想的立場の無自覚さ、不徹底さ故に、帝国主義支配の価値基準を知らず知らずに肯定した自己の立場を、闘いの中で、革命していくことに、頓着して来なかったということが言えます。革命を理念的にとらえ、生活を基盤とした力を組織しきれて来ませんでした。私たちは、日本の革命運動が、敵との非妥協な思想性によって対峙しえていない観念論議であることに反発し、逆に、自らは行動によって、非妥協性を実現することを自己目的化する狭い世界観に立脚していたと言えます。革命思想の生き生きとした生命を実現する闘いを、自分たちで十分担わず、武装闘争や死によって、犠牲性を発揮するというブルジョア的な英雄主義を持っていました。自らの感性の弱い側面を、克服するのでなく、死を恐れないという側に身を寄せて、死を覚悟することによって、日和らない自己を確立するという程度の決意主義を根深くもっていました。リッダ闘争の主体的地平はそうした未熟さをやはりもっていたし、リッダ闘争後、そのことがより純化されていったということを、失敗し、敗北し、その根拠を問いつづける中でようやく気づいて来ました。確固として闘い続ける生への確信が共産主義を準備していくものである事をリッダ闘争の継承、発展として組織しなければならなかったのです。真に人民と共に社会を建設するという観点、誰でも変革しあって革命を担う事が出来るという、革命の根本である人間観を基本にすえて闘いを組織しえてこなかったことを物語っています。日本の革命運動の中から成長した私たちは最も大切な人間観に触れることは「弱さ」としてとらえ、死を問えば問うほど「弱さ」を切り捨てる、また開き直るという非弁証法的な観点を克服することに無自覚であったと言えます。自分の身近な人々と団結できなくて革命が勝利する筈はありません。人間、親、兄弟、家族を問うことが自分にとって弱さに転化することのない、真の人間観、革命観の確立に向けて、共に克服することを私たちは、失敗や、不信や、不団結の現実の中で学んできました。そうして初めてリッダ闘争の切り拓いた客観的責任に応えていく日本革命の担い手たる自らを革命と真理の側から謙虚に問い合う事が出来るようになってきました。そうして初めて一人一人が人民の代表として生き生きと「人民と共に!」団結を力として前進することが頭ではなく生命力となって実践に生かされ始めたのです。敗北の中からその事を教えたのは、リッダ闘争の戦士への限りない愛と客観的なリッダ闘争の不滅の価値だったと言えます。
私たちは多くの失敗や困難の度にリッダ闘争の無私の革命精神と、その国際主義によって体現された国境を越えた階級利益の闘いの客観的な革命の意義をとらえ返してきました。そした、かつてよりも深くリッダ闘争をとらえ返し、より自らの主体の育成にむけた豊富化血肉化しながら、歩んできました。リッダ闘争の実践は不断の失敗や困難の中で私たちにいつもいつも階級の利益を闘う羅針盤として行手を示し、現在に至る私たちの闘いを支えていたということが出来ます。その過程に於ける日本赤軍自身の主体の未成熟は、革命の武器であり、階級の利益の実現である団結を自らのものとなしえずその結果として日本の人民、同志友人と団結することに誠意を果たさず、国内の、人民の闘い、労働者の闘いと、思想的絆によって結ばれた実践を担いえてきませんでした。
私たちは、これまで、日本赤軍が、失敗や敗北の中で自らを打ち固め、そして、今後も闘うであろう道のりを全人民に示し、共に闘っていくことを、ここに約束します。そのことを通し、労働者階級の思想によって結ばれた一つの利益を、共に実現していくことができるのだということを、自らの総括として、提起します。
人民・同志・友人と、本当に革命の勝利を現実のものとして出会っていく為には、自分たちに少しばかりあるいい面を強調し、そのいい面で出会い、幻想を抱きあうのではなく、敗北や弱さをありのままに伝え、ありのままの克服をこそ共有していくことが、もっとも大切なことだと実感しています。そして日本革命を志し、結果としてその不十分さから敗北した個々の闘いもまた、私たち自身の敗北として、階級の一つの責任を共にし、共に克服することの中に、真剣な団結へのきざしがあると確信しています。自らの立場に固執するのではなく、主観的なつもりがひきおこした客観的現実を直視し、客観的な革命の真理、革命の是非の前に自らの「確信」を解体することを革命任務の基本とすることが問われていると私たちは考えます。そのことを通して、より主体の認識能力を改造する革命実践の中で、一つの階級的団結、一つの党性を組織しあうことが出来ると、実感しています。日本赤軍は国内の人民・同志・友人と団結し、革命の利益の一点によってむすばれる階級的団結を求めるところから自らの自己批判を課していこうとしました。それこそ、革命の喜びと希望の任務として自らが実践することに他なりません。
日本革命の中で主観的には精一杯闘いながら、敗北した個別の闘いの不十分性を共に克服する中から、すべての敗北を自らの教訓としあう階級的団結へのよびかけとして、私たちは1975年クアラルンプール米・スウェーデン大使館制圧同志奪還闘争を担いました。そして同志奪還闘争の軍事的闘いの勝利は団結を不滅に実現する第一歩をしっかりと実現しました。かつての闘いの自己批判実践として奪還闘争に応えた5戦士の固い握手の熱いぬくもりは、今、日本赤軍の命脈となって、この間の闘いをうちかためています。日本赤軍が奪還した意味は、そして、奪還に応じた戦士たちの意志は、本当に日本革命を勝利完成させる階級の中核を組織しあうことにあります。勝利の幻想によってではなく、敗北や、人民・同志・友人にもたらした害毒まで教訓としあい、共に克服することを通して、人民・同志・友人と団結することが出来ると確信するからです。私たちの現在が不十分であればいつまででも人民は過去を忘れたりしないし、問いつづけることを知っています。そして反対に、どんなに過去が不十分でも、現在とこれからの一時一時の革命に対する誠実さは必ず人民と深く団結できると確信しています。
私たちは勝利を確信する中で、そのことを一つ一つ、実現しぬけるのだと実感して来ました。私たちは五戦士と自己批判を共にし、一つの階級的団結をうちかためてきました。自ら進んで革命の道を志した者が一つの敵をうちたおすのに団結しえないはずはありません。革命に目覚めた人々が、自らを階級の一員として組織し合い、階級の責任を共に果していく中に、団結は必ず実現されます。敵の思想の反映によって分断され個人主義の責任観念であるセクト主義や、革命の私物化や競争心を共に克服しあい、階級の組織された一つの力へと結集しながら団結してきました。革命は全人民を必ず一つに結ぶという団結にむけた確信は、クアラルンプールアメリカ・スウェーデン大使館制圧、同志奪還闘争を経た私たちの実践によって、今、証されています。日本赤軍という名称や、○○派という党籍によってではなく、人民に服務する革命の中核部隊として、革命と人民の利益の前に、自分の立場を解体し、普遍的な立場により高め団結する中から、真に日本革命を導く、党的な力が、人民を主力として育成されてくるのだと考えています。
私達は、この間学びあい、敗北の教訓を組織しあい、これだけは言いたくはない点について語り合い、どの同志も、どの人民も同じなのだと実感しています。階級支配によってもたらされた被抑圧人民の一人一人の価値や、不充分さも同じであると認識する時、真剣にその克服を共有しあい、自分を他人の様に、他人を自分のように一つの責任をわかちあうことができます。資本主義社会の中で育んだ他人との利害の対立や、競争や、他人憎悪心を、日々の革命実践を通して革命化しあい、人間の本源的欲求である団結にむけて前進し、その力で、敵共を孤立解体することが問われています。人民・同志・友人と信頼によって結ばれた階級的隊伍の育成に誰もが真剣に援助しあっていく事を私達はこれまでの自らの自己批判をこめて呼びかけます。敵共は自分に似せて世界をつくり変えることしか知りません。逆に私達は自己批判と改造を通して世界をより創造的に実現することができることを歴史の中で被抑圧人民のすべての闘いが示してきました。同志奪還闘争の中から階級的にうち固めた同志愛、人民愛の団結を武器として、私達はあらゆる機会にあらゆる人々に団結を求め続けるでしょう。私達は自己批判と批判を通して主体的な力を高め形態や方法や技術ではない革命に対する態度、不滅の革命思想を確立し続けるでしょう。人民の自己批判とは、自らを革命する実践であり自らが自己批判を軸に階級的団結を求めることに他なりません。私達は団結をひき続き求める中で思想的に一致し、形態や方法においては分離した、多くの人民・同志・友人と出会いつづけることができると確信します。そのことを通して、生活を闘いの場とする人民の解放と革命の事業を、人民共和国の建設にむけて、あらゆる分野で、あらゆる方法で、一つに団結して実現していくことができます。革命の主人公は、そうした人々にほかなりません。革命は誰でも担うことができ、共に闘って初めて勝利しえるのだという実感をこめて、再び、団結をめざし、よびかけます。
かつて、日本赤軍は、人民・同志・友人と真剣に出会うことに無頓着でした。それは、革命を、限られた何十人、何百人にのみ求めようとする狭い人間観に由来します。そして、また、そのことに気づき、自らを革命化する闘いを、自己批判を軸として闘いつづけたのは、敗北の教訓によります。1975年、スウェーデンにおける同志の被逮捕、自供という日本赤軍の隊内にある団結の質、勝利の確信の質を根底的に問われた時点においてそれまでの敗北や失敗の総括や検証が技術や方法や形態や方針のみにすぎなかったことを思いしらされました。自供するはずがないという思いが事実の中でしっぺ返しをうけた時、自分たちに抱いていた幻想がはがれ始め、方法や形態ではない、根本的な問題を問うことができ始めました。敵に捕らえられたり殺されることは、革命行動の失敗の結果として、不断にありうることです。しかし自供はどんなことがあっても、人民と革命に対する裏切りにほかなりません。被逮捕の2同志を信頼するという仲間意識は、私たちが同質の弱さをもっていることを気づかせてくれました。そして、仲間意識でない階級の団結を真剣に切り拓く契機を与えてくれました。日本赤軍指導部は、被逮捕の2同志に対して、十分に同志の立場にたち、革命観を組織し合えなかった自己批判を2同志に対して、そして全同志、友人、人民に対して問うことから、この間の闘いを実践してきました。未だ不十分であるけれども、個人的にではなく階級の責任をひき受ける革命の任務について教訓を得てきました。そして、敗北を階級の一つの責任としてとらえ、共に克服することを通して、日本革命の団結を創り合うことが出来ると確信してきました。その教訓は今、連赤やM作戦や、東アジア反日武装戦線の同志と一つの自己批判を共有しあい、団結を深め階級の利益にむけて、一つの責任を共に担うことを可能としています。今、すでに一つの隊伍にうちかためた力を、ここに結ばれた不滅の階級的団結を、国内の人民・同志・友人に、自己批判実践として返していくことを担いつづける任務を私達は負っています。
そして、その実践を共にし、闘いぬく途上にあって、私達はかけがえのない日高同志をヨルダン反動に虐殺され、奥平同志を日帝の獄中に奪われました。私達のこの間の闘いを、革命的に実践し、完全黙秘をもって革命任務を全うしようとした日高同志、奥平同志に対し、ヨルダン反動共は残虐な拷問を加えつづけました。日高同志が、その果敢な闘いの過程で、敵に肉体的に虐殺された事実は、奥平同志の拷問の証言、日高同志の遺骨からあらわれた十センチ大の針が、明確に証明しています。敵のどのような弾圧にも屈さず闘い抜いた日高同志、奥平同志の教訓を、私達は、どんな時にも忘れることはないでしょう。私達は同志への限りない愛を、更なる敵愾心へと組織し、不屈に革命任務を担いつづけることを確認します。そして、私たちの代表として敵の獄中で、不退転に闘いつづけている奥平同志との階級的団結を再会にむけて準備し、再会を通して更に教訓を深め、いついかなる時にも、人民の利益と革命を守る人民の軍隊へと、自らの革命に更なる任務を課していくでしょう。私達日本赤軍は、同志・友人・人民が、奥平同志の闘いを共に支えあい、敵の獄中にあるけれども、着実に、一つずつ団結を深めていくことを確信します。
そして、奥平同志、リッダ闘争の地平を、本当に日本革命の責務へと返していく任務を、再会するまで、離れた戦場で、共に一つの心で担うことを、再度確認します。 私たちは、日本赤軍の誕生日とも言える5月30日を迎え、これまでの闘いの検証を現時点から一つ一つあきらかにし、日本人民の一人一人として隊伍を整え、更に日本人民・同志・友人と団結し、世界の人民・同志・友人と団結し、日本革命の勝利、完成にむけて世界の人民の闘いを支えあい、前進することを約束します。
この間、私たちは、全軍的に、不屈の党性、階級性、人民性を革命に対する私たちの基本的態度として、一致した力を確立することに重点をおいて、闘ってきました。自分たちの必勝の信念を一つの階級的団結の力で発揮する組織性ぬきに、階級の組織された暴力をうちかためることはできません。私たちは、未だ不十分であることを率直に認め、共に克服することを提起します。すぐれた革命の先進的部分は、欠陥をもたないのではなく、誰もが持ち合わせている欠陥に対し、真剣に、誠実に、謙虚に欠陥を克服する闘いを休むことなく続けていることに、その先進性があるのだと考えます。その克服の闘いこそ、自分たちだけでなく、人民・同志・友人を革命化しあい、共通の敵に対決する一つの力を組織しぬくことができると確信します。徹底して人民の利益の観点にそって闘う人民服務の中にこそ、真に革命の指導性は形成されつづけるでしょう。
私たち日本赤軍は、人民内部の矛盾を革命化しあう、こうした闘いを思想闘争と名づけ、人民と共に団結する主体的な準備を、この間つづけてきました。今更に私たちは、思想闘争を基軸に、あらゆる分野で、あらゆる人々と思想的団結をかちとりながら、各々の闘いを共に補いあい、資本主義にとってかわる新しい社会の建設を、現在から展望する闘いにむけて、一歩一歩、人民・同志・友人と団結しあうでしょう。そうした闘いは、更に日本赤軍の武装闘争実践を、人民の意志の表現として、持久的で階級的な国際、国内遊撃戦として展開せしめるでしょう。
共に団結し、共に克服し、共にもりたてあって、人民が主人公となる社会を建設しぬくことを、再度確認します。
不屈の階級性を党性へと高め、一つの団結した力で一つの敵を打倒する為に、熱い握手を!
(終)
[ 「日本赤軍」トップページへ戻る ]
このページは更新終了しております。最新版は新ページに移動済みです。