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2014/12/6更新

福島現地取材報告@(2014年11月)

「希望の牧場・ふくしま」吉沢正巳さん(浪江町)インタビュー(上)

治外法権牧場/原発一揆
東電・国は大損害つぐなえ!

11月中旬、紅葉華やぐ晩秋の福島を訪れた。政府と福島県は、帰還促進のため除染作業を急ピッチで進める。避難の権利は認めず、自主避難は、自己責任との考え方だ。放射能への不安の声はかき消され、避難生活に疲れた難民が、自己決定の形をとって帰還に追い込まれている。

「3年半は長すぎた。避難生活に慣れてしまって、気力が湧かない」―葛尾村議会元議長松本さんのため息だ。松本さんは村の顔役として帰還の準備を進めるが、村民450戸のうち帰るのは200戸程度。帰還後の話になると「とんでもないことになってしまった」と、またため息をついた。

浜通りを縦断する国道6号線の交通規制が全面解除された。「復興」キャンペーンの一環だが、原発が近づくと線量計の数値が跳ね上がり、国道沿いの家々は、厳重にバリケード封鎖されている。この6号線を事故原発を横目に見ながらいわき市から北上。「希望の農場ふくしま」を訪問した。福島報告の第1弾は、「希望の牧場ふくしま」代表・吉沢正巳さんのインタビューとする。希望の牧場は、事故原発から14q、居住制限区域と帰還困難区域の境界線上にある。牧場の入口が居住制限区域のため、かろうじて出入りできるという高線量地域だ。線量計の数値は、空間線量が2〜3μSv/時、雑草や木が生えている表面汚染は12Bq/平方cmを示した場所もあった。

吉沢さんは、家畜全頭殺処分に抗いながら居住制限区域の農場で寝泊まりしている。水素爆発を間近で見た吉沢さんは、3日後に東電本社に乗り込み、抗議をしたという。経済価値としてはゼロとなった牛300頭を生かし続けるために移動が禁止されている汚染牧草をかき集める日々だ。(編集部・山田)

経済価値ゼロの牛を生かし続ける意味を考え続けて

吉沢…「希望の牧場」は、和牛の繁殖肥育をやっているM牧場の浪江農場としてあり、事故当時、330頭の和牛が飼育されていました。私は浪江農場の責任者として雇われていたのです。

福島第1原発から直線距離で14`、現在も居住制限区域に指定されています。浪江町は、3分の2が帰還困難区域となりました。20`圏内には、約300軒の和牛農家があり、3500頭の牛が飼われていましたが、4月22日に警戒区域に指定され、機動隊が来て地域全体が封鎖されました。住民は緊急避難を命じられ、ほとんどの農家が牛を繋いだまま避難せざるをえず、1500頭の牛が餓死しました。

しかしM牧場は、社長の「牛を見捨てられない」という判断で、牛を牛舎から放して放牧し、社長と私の2人で3日に1度、餌を運び込んで、なんとか生き延びさせました。ただし、放牧場の草は、とてつもない放射線を放っていました。6月末時点で15μSv/時でしたから、事故直後は50μSv/時くらいはあったでしょう。牛たちの肉・内臓・血液は、ものすごい汚染です。もちろん売れません。

5月12日には、全頭殺処分が指示されました。ペットの犬猫については救済が認められたのに、家畜は全頭殺処分だったのです。この時点で俺たちは「絶対に国の指示には従わない」と決意しました。他の農家の牛約100頭もうちの農場で預かり、助けることにしました。

この牛たちの経済価値はゼロ、飼育する俺たちは日々被曝しています。それでも国の方針に逆らって飼育することに何の意味があるのか?を、ずっと考え続けています。

ひとつの答えは、「放射能事故の影響を記録するための生きた証拠」として活かし続けることです。この地区では、1700頭以上が殺処分されましたが、10軒の農家が殺処分を拒否し、仮設住宅から通いながら牛を飼育し続けています。一方で、殺処分に同意した農家は、心に深い傷を負い、2度と牛の飼育はしないでしょう。

風化が進む3・11/20`圏内は農漁業できず絶望の街

吉沢…警戒区域となった20`圏内で、農業の再開は不可能です。いくら除染したって、浪江町で米作りなんてできないことは、皆わかっています。今、小高地区で除染をやっていますが、山の除染はしませんので、いったん線量が下がってもやがて元に戻るのです。

事故原発からは今も放射能が放出され続けていますし、環境汚染は続いているのです。津波の被害地区では、農機具も住宅も流され、用水路も壊れ、海水による塩害もあります。もう一度借金して農機具をそろえ、農業を再開しようという農家があるでしょうか?

漁業も同様です。浪江町には請戸に漁港があったのですが、ほとんどの船が津波で壊されました。住宅も壊滅して高台移転します。汚染水が流れ続けている原発から5qの漁港で漁業再開などできますか?廃炉作業の現場を傍で見ながら家を建てる人がいるだろうか?

浪江に子どもたちが帰ってくることは、絶対にありません。避難した先の児童・生徒になっていく他ないのです。子どものいる若い世代は町に帰らず、帰ってくるのは仮設生活に耐えきれなくなった高齢者だけです。仮設住宅は、冬は寒く夏は暑い。隣の音が丸聞こえでプライバシーもなく、冬の結露で住宅の基礎が腐り始めています。

現町長の馬場有さんは、浪江町を「流浪の町」と表現しました。町民の3分の1は県外避難しています。他の町民もバラバラになっています。絆なんてズタズタに切れてしまったのです。

津波被害で183人が亡くなりましたが、その後の震災関連死で320人が犠牲となっています。弱い人からどんどん死んでいるのです。病人を抱えて避難した家族の話は、切ないものです。

浪江は、見棄てられる場所です。第1次産業はすべてダメ。病院やスーパーも再開することはありません。上下水道などのライフラインも壊れたままです。墓石だって壊れたままなんです。

2万1千人の町だった浪江は、2千人ほどの、もはや「街」とは呼べない地域となるでしょう。それでも年寄りは、仮設でくたばるより自分の家に帰ったほうが良いと私は思う。そのほうが長生きできるからです。

町が実施するアンケート調査に「生きている意味がない」と書く人が大勢います。鬱状態の人もいっぱいいる。そんな中で自殺者が出て、孤独死が増えているのです。刺身包丁で腹を切って自殺した人もいます。切腹です。仮設住宅は、人減らしのための収容所ですよ!これが人間の扱い方ですか!棄民でしょう。

仮設暮らしはこの先も2年くらい続くでしょうが、復興住宅は、全く間に合わない。そんな中でこの国は、東京オリンピックに浮かれている。金も人も東京に集められ、福島は放っておかれるでしょう。

情報統制が始まった

東電・政府の本心はわかっています。賠償額をできるだけ抑えるために、時間を引き伸ばし、加害者が提示した額で諦めるように仕向けているのです。我々は「被害者」ではなく「邪魔者」扱いです。

東京電力の3分の1の電力は、福島県内の原発・火力発電で作られていました。福島の電気で東京・関東が成り立っているのです。東京・渋谷で月に2回街頭演説をしているのですが、東京の夜は、ますますきらびやかに光り輝いています。夜昼となく人が集まり、賑わっています。その電気はいったいどこから来ているのか?もう忘れ始めているようです。

3・11の記憶がどんどん風化しています。しかし、東京が地震の被災地になることだってありうることを、皆、見ないようにしているだけなんじゃないですか。

3・11の風化が進んでいます。渋谷で街頭演説をしていると、「事故の話なんて聞きたくない」とか、「原発は必要でしょう」とか、  なんとなく安倍政権の国民コントロールの中に皆が巻き込まれ、流され、言いなり状態になっていると思う。

反原発運動が盛り上ろうとした時に、石原都知事が仕掛けたのが尖閣問題でした。これが見事に成功して、あっという間に集団的自衛権まで行き着いてしまった。今は、東京オリンピックが人々の心を冒し始めていると思います。福島では、3・11直後に、日の丸を型どった「ガンバロウふくしま」の旗が一斉に旗めいていました。「絆」が叫ばれ、これが東京オリンピックキャンペーンにつながっている。

絶望のど真ん中に「希望」の旗を立てる

「美味しんぼ」騒動で感じたのは、言論統制が始まったということです。

反撃の実力行使として、私は、斑点牛を農水省前に連れていって、「現実を見ろ、事実を見ろ!」と言ってきた。事故の後、猛烈に汚染された草を食って育った牛20頭に突然変異が起こっているのです。これは風評被害ではなく、事実だし、大熊町にも同じような斑点牛がいます。

避難指示区域の内側では、喉に斑点模様が出た燕も見つかっています。植物や魚にも異変が起きています。チェルノブイリと同じことが起こっている。だからこそ、原発再稼働を強行し、原発の時代に逆戻りするうえで不都合な真実がマスコミを通じて広がることを嫌がっているのです。

今,103人の子どもたちの甲状腺異常が確認されていますが、これが300人に増え、500人を越えれば、政府も放射線との因果関係を認めざるを得なくなるでしょう。しかし、その時には既に原発は、全国で再稼働が進んでいるでしょうし、リニア新幹線とセットで原発輸出も始まっているでしょう。原発時代の完全な復活です。

──そんな絶望的な見通しをもちながら、なぜ「希望の牧場」という名称なのか?

吉沢…絶望状態にあって自滅したり崩れないために必要なのは、希望だからです。俺たちに原発事故の責任はない。俺たちは被害者であり、避難民です。売れない牛に餌を与えながら、朽ち果てるまでここでがんばろうと思う。その姿を見てもらうことによって、福島事故を忘れるな!と言い続けるのは、牛屋としての意地なのです。意地はこの際、正しくなければなりません。

この農場でも200頭の牛が死んだ。毎日のように死んだ牛を片付ける日々が続いたこともある。頭がおかしくなりそうだった。でも、他の牧場の牛を助け、子牛も生まれた。絶望も希望もごちゃ混ぜ状態。絶望のど真ん中に俺たちは希望の旗を立てたい。決死救命、団結!そして希望へ。

作られた「分断」を超えて

俺たちは、政府の殺処分命令に反して牛を生かし続けた。これは正しかったと信じている。でも、殺処分に応じた人たちの判断も正しかった。津波の現場では、緊急避難のために身内を助けに行けなかった人もいる。その人の判断も正しかった。警戒区域の中でみんながとった判断は、みんな正しかったと言うべきだ。正しさは何通りもあって、みんな認めなくちゃいけない。

ところが、事故の後、あちこちで激しい言い争いが続いている。だから、もう感情的な言い争いはしたくない。殺処分に応じて出ていった酪農家が、「なんでお前らだけが勝手に牛を育ててんだ。命令に従った俺たちが馬鹿を見るじゃないか」と、俺たちを非難する。でもそれは、切ないからなんだ。その気持ちは、同じ牛飼いとしてよくわかる。

子どもたちの避難をめぐっても、夫婦間で、逃げた人たちと残った人たちとの間で、激しい言い争いが起こった。放射能のパニックの連鎖も起こった。

奪われた人生・未来は、お金では買えない。でも、金を貰っちゃうとみんな大人しくなる。「あいつより俺がなんで少ないんだ」というような避難民同士の言い争いが、延々と続いている。金は人を狂わす。金をめぐって家族や親戚関係がおかしくなっているのを見るのは、もうたくさんだ。

そもそも、加害者である東京電力が補償の基準や枠組みを決めていること自体がおかしいんだ。交通事故だって、まず被害者側の被害算定が基礎となって賠償額が決まっていく。加害者が賠償ルールを作るなんて、全く間違っている。

浪江町は、原発立地町でなかったために避難情報が来ず、避難先の津島で4日間も猛烈な被曝に晒された。いったん原発事故が起これば何が起こるのか?仮設住宅に1年居たら、人びとはどうなるのか?こうしたことも含めて、体験したことを伝えなければならないと思っている。

「原発時代」乗り越える実力闘争を

国にとって汚染された牛たちは邪魔者であり、県は「汚染牛が生き続けることは、福島の畜産再建にとって障害になる」と言っている。だから全頭殺処分を指示し、立ち入りも報道の自由も禁止した。

そんな所に俺たちは勝手に住んで牛を飼い、移動が禁止されている汚染された牧草を運び込んでいる。やること全てが反政府的行為だ。だから、この牧場のスローガンは、「治外法権牧場」。

「希望の牧場」カンパ送り先

◎ゆうちょ銀行
10140-59459781

◎他行からは…店名ゼロイチハチ/
店番018/普通5945978

◎名義
キボウノボクジョウフクシマプロジェクト

もうひとつは、「原発一揆」。放射能事故で無茶苦茶にされた俺たちは、原発一揆の先頭に立たなければならないと思っている。国民の実力によって原発の時代を乗り越える連帯運動を、本気で広く深くやらなければならない。実力によって民意を見せつけるしか、原発時代への逆戻りを阻止することはできないだろう。

俺は、己の人生テーマとして3・11後を背負うことを決めた。体を張って、本気で闘う姿には、多くの人の理解や共感が生まれると信じている。今回の震災と原発事故でそういう人がたくさん生まれた。若い人たちにそういう姿を見せて、「一緒に考えよう、行動しよう」と呼びかけたい。(続く)

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