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2014/6/8更新

性の多様性の称揚@―その背後にある抑圧と差別の歴史と現状

多様な性/生のあり方

(公益財団法人)世界人権問題研究センター・専任研究員 堀江 有里

人民新聞では、日本の「生きづらさ」という視点で、非正規労働の現場取材や「ひきこもり」・「ニート」と呼ばれる若者へのインタビューを続けてきた。

執筆者紹介

ほりえ・ゆり (公財)世界人権問題研究センター・専任研究員。
1994年より「信仰とセクシュアリティを考えるキリスト者の会(ECQA)」で活動。セクシュアルマイノリティの相談業務に従事。
著書に『「レズビアン」という生き方―キリスト教の異性愛主義を問う』)(2006年、新教出版社)など。

これを引き継ぐ企画として、セクシャル・マイノリティ当事者のインタビューや寄稿の連載を始める。そこには同調圧力が強く、多様性が認められにくい日本社会の生きづらさの根っこがある、と思うからだ。堀江有里さんによる「多様な性/生のあり方」からスタートする。

新企画には、生きづらさからの「出口戦略」を探りたいという狙いもある。ひきこもりの若者が職業訓練を受けて、無理をしながら社会適応するのが解決策とは思えない。それは、セクマイ当事者がセクシャリティを隠しながらの生を強いられている現実と重なる。「社会適応」とは別の出口戦略を、どう見つけようとしているのか?試行錯誤の過程やそれでも残る矛盾や葛藤を表現できればと願っている。(編集部)

※ ※ ※

「多様な性にYES!」―6色のレインボーフラッグとともにそんなメッセージが街角に出現した。IDAHO(International Day Against Homophobia and Transphobia)のイベントである。ここ数年間、全国各地で20〜30代の若者たちを中心に、さまざまな性/生を祝福していこうとする動きが生み出されている。多様な性のあり方を祝福していこうとする動きは、その背後に、抑圧され、排除されていく存在があることを意味してもいる。

IDAHOとは、世界保健機構(WHO)が「同性愛」を精神疾患のリストから削除した1990年5月17日を機に、国際的にホモフォビア(同性愛者に対する差別意識)に抵抗していこうとする記念日である。後にトランスフォビア(トランスジェンダーに対する差別意識)も射程に入れられることとなった。

日本でIDAHOイベントの呼びかけを行なっている「やっぱ愛ダホ!idaho-net(※1)によると、今年は岩手、仙台、東京、埼玉、横須賀、山梨、名古屋、大阪、神戸、徳島、愛媛、福岡での開催情報が寄せられている。また、青森、浜松でもこれからイベントが開催される予定。それぞれの場で主催者が趣向をこらし、街頭イベントやメッセージ展、シンポジウムや映画上映会などを行なっている。報告されていない地域での開催もあるのだろうし、小さな群れを含めたらもっと多いのかもしれない。

ここ20年ほどでセクシュアル・マイノリティをめぐる日本の状況は、大きく変化した。1990年代半ばに「レズビアン」として活動しはじめ、セクシュアル・マイノリティの人権問題にかかわっている人間からみると、これだけ全国に広がっている様子は、なんとも感慨深いものである。

セクシュアル・マイノリティって誰のこと?

さて、セクシュアル・マイノリティとは、じつはとても定義しにくいものである。からだの性別と性自認(性別の自己認識/アイデンティティ)が一致していて―こういう人たちを「シスジェンダー」と呼ぶ―、かつ、性的指向(性意識の向く方向性)が異性に向いている人々―こういう人たちを「異性愛者(ヘテロセクシュアル)」と呼ぶ―が当たり前≠ニ思われている社会のなかで、そこから外れる生き方をしている人たちのことを指す。最近は、「LGBT」という言葉が日本でも使われるようになったが、そこにはレズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(性別越境者)が含まれる。この括り方自体のなかにも、異なった位相の存在が含まれている。さらに言えば、LGBTと表現してしまうことで、からだの性別が「女」か「男」かに分かれていない人たち―インターセックス/性分化疾患―や、性自認を「女」か「男」のどちらかに決めていない人たちの存在も置き去りにすることになってしまう。

現実は複雑で、さまざまな身体や性がある。要は、「性別二元論」―からだの性別が「女」か「男」のいずれかで、かつ性自認と一致していることを前提とする価値観―と、「異性愛主義」―異性同士がつがうことを前提とする価値観―という2つの性の規範から外れた人たちをセクシュアル・マイノリティと呼ぶことになっている、ということ。考えてみれば、とても乱暴な話でもある。

そして同時に、「性別二元論」と「異性愛主義」という二つの規範が、いかにわたしたちの社会に強く横たわっているのかを示しているものでもある。

同性愛者をめぐる状況

たとえば、セクシュアル・マイノリティのうちでも同性愛者の状況をめぐって、近年、つぎのような出来事が巻き起こっている。

ソチ・オリンピックでも話題になったが、2013年にロシア連邦議会は「未成年者への同性愛の宣伝」を違法とする法案を可決した。この可決は、ほぼ満場一致であったという。家族・女性・子ども委員会は「同性愛の宣伝」を、「子どもたちが近寄れる場所で同性愛者によるイベントを行うことや、子どもたちが見たり聞いたりすることがある時間にテレビやラジオで同性愛関係の誘いや賛同をすること」と定義している。なにが「宣伝」に当たるのか。その問いは、つねに権力側に恣意的に解釈されるものでもある。この法律によって、同性愛者たちの活動は大幅に制限される。そして、具体的な弾圧が行なわれていくこととなった。

また、2014年2月、ウガンダではムセヴェニ大統領が署名し、いわゆる「反同性愛法」が成立した。2009年から議論がつづいていたこの法律は、最も重い刑では終身刑を科すものである。ウガンダはすでに英国による植民地時代から「反ソドミー条項」という生殖目的以外の性行為を禁止する法律をもっていたが、これでは不十分とし、今回の法案成立となった。

「反同性愛法」は、同性愛者の生活権や結社の自由も含め、監視を進め、処罰の対象にしようとするものであるという。2009年法案の時点では、最高刑は死刑。

長年、アフリカの状況を追っている稲場雅紀は、「同性愛者に『ジェノサイド』を宣告する法案だったのである」と述べている。しかし、死刑の明記は免れたものの、実際には生活権や結社の自由などを奪われた状態であり、「『魂のジェノサイド』を現実化する法案」でもあるのだ、と(※2)。また、日本ではこの現状を知り、ウガンダのセクシュアル・マイノリティと連帯していくために記録映画『Call Me Kuchu』上映が実施されている(※3)。

これらの罰則規定をもつ法律は、セクシュアル・マイノリティの置かれた状況をより深刻化させ、社会のなかの差別意識を助長するものであることは、言うまでもない。その事態を憂い、ツイッターやフェイスブックなどのSNSでも情報が拡散され、少なくはない人たちが関心をもった。しかし、実際、物理的な距離があり、知っている人たちがいるわけではない場合、わたしたちの想像力は限界をもってしまうのかもしれない。遠い国々に思いを馳せながらも、そこで起こっている事柄と、いま、日本の状況はいかほど結びついているのだろうか。

そして、どこへ向かうべきか

距離感は、冒頭に記したスローガンにも現れているのではないだろうか。「多様な性にYES!」、「虹色は多様な性のシンボル」―そんな肯定的な表現が突出して語られることに、わたしは違和感を抱えているのも事実である。多様な性があること、そこに一人ひとりの生があることを認識していくことは、大事なこと。しかし、肯定的に語られるとき、そこでとりこぼされていくこともあるような気がしてならないのだ。

具体的な暴力があり、人が殺されて行く状況がある。そのような状況のなかで、抵抗の象徴として使われてきたレインボーフラッグが、性の多様性を祝福するためだけに使われていくことへの違和感。マジョリティにも心地の良い空間を生み出そうとする努力。それは、言ってみれば「脱色されていく風景」への違和感でもある。

誰もが生きやすい社会―それはスローガンとして掲げられたとしても、簡単に実現するものではない。いや、実現困難もしくは不可能であるからこそ、掲げられ続けるスローガンでもあるのかもしれない。しかし、問われなければならないのは、少数者を排除する社会構造であるし、そこに横たわっている規範であるとも思う。多くの涙や血が流されてきた、そしていまも流されつづけている現実に思いを馳せながら、抵抗の歴史を語り継いでいく必要があるのではないだろうか。

脚注

※1:「やっぱ愛ダホ!idaho-net」は、2007年より日本でのIDAHOイベントを呼びかけて活動している。

※2:稲場雅紀、2014、「魂のジェノサイド ―ウガンダ「反同性愛法案」とその起源」『SYNODOS』

※3:映画『Call Me Kuchu』(米国・ウガンダ、2012年、監督:Katherine Fairfax Wright、Malika Zouhali-Worrall)。日本でも実行委員会が各地での上映を呼びかけている。

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