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2012/10/16更新

イスラエルに 暮らして

パレスチナとチェックポイント 癌で入院中の子どもとの面会許さないイスラエル

ガリコ 美恵子(イスラエル在住)

「分離壁」で破壊されるたビリン村

パレスチナにビリン村という小さな村がある。村にはオリーブの木、ざくろ、レモン、オレンジ、サブレスなど、数々の種類の果物の木があり、村人はやぎ、羊など家畜を飼って放牧をし、畑を耕して野菜を栽培し、自給自足で暮らしてきた。村の収入源は、主にオリーブである。

ここは2004年にアリエル・シャロン前イスラエル首相が、「パレスチナに分離壁を建設する。分離壁はビリン村の中央を突き抜ける形で建設する」と発表した時から、 分離壁建設反対運動をやっている。

分離壁は、パレスチナの内部をぐるっと囲み、全長700q、高さ7b10aある。入植地(ユダヤ人専用住宅地)に周囲を囲まれて、ぐるっと村全体が壁で囲まれてしまったところもある。ビリン村の壁は、グリーンライン(67年の停戦ライン)から7q内側に建設されたため、村は全面積の半分を失った。

ビリン村は地理的にテルアビブに近いため、壁ができる前は男たちが自由にテルアビブへ出稼ぎにでて、景気のいいテルアビブで働いて持ち帰る給料は、村の各家庭にとって大きな収入だった。ビリン村にユダヤ人専用住宅地ができたことで、テルアビブにつながっていた道路は封鎖され、新しいチェックポイントが作られ、軍の監視下、村人はイスラエル側へ自由に行けなくなり、自動的に村の男性たちは失業した。

ビリン村から奪った土地には現在、「モディイン・イリット」という名のユダヤ人専用の住宅地が建てられ、そこには「西はナイル川から東はチグリス川までを神はユダの民に与えた」と信じるユダヤ教徒たちが家族ともども暮らしている。これは、分離壁がイスラエルのセキュリティのために建設されたのではない、ということを明らかに証明している。イスラエルは、そのユダの民をパレスチナ人から守るため”に、住宅地周辺を電気の流れるフェンスで囲い、チェックポイントを設けて、人々の行き来を管理している。これをイスラエルは『セキュリティ』と呼ぶ。

 抗議デモに化学兵器を使用

ビリン村は、2004年に分離壁建設反対運動を始めてから今に至るまで、毎週金曜日1度も欠かさず、デモを行ってきた。村人たち、そしてテルアビブの平和活動家やインターナショナルの活動家がこれに加わり、金曜日のお昼のお祈りの後にモスクから出発し、分離壁に向かって、「壁反対」と叫びながら歩く。

これに対し、毎回イスラエルは、「デモ鎮圧」のため、軍の戦闘チームを送り込む。デモ鎮圧には化学兵器である催涙弾、びっくり弾、ゴム弾、科学薬品が混合された汚染水が使用されてきた。デモ中は催涙弾の煙が村中に散漫する。時々兵士たちは、壁の軍専用門を開け、村に入って窓から家の中に催涙弾を打ち込んだり、家の庭や畑にも撃ったりする。オリーブの木も撃つ。オリーブの木は、灰になるまで燃え続ける。デモの翌日にビリン村に行くと、村が臭う。

村の収穫物を食べて人々は生活しているが、「これ食べて」と出される果物や野菜を目の前に、私はいつも少し躊躇する。村で収穫されるものには催涙弾のガスがたっぷりかかっていて、いくら洗っても完全には落ちないからだ。

催涙弾にはいろいろな種類がある。最近は無音高速の筒状のものがあり、これは何かに当たって蓋が開くと強烈なガスが中から出てくるが、近距離で体に当たると即死する。中のガスは発がん性で、ここ数年、ビリン村でがん患者が急に増えている。

写真家・ハイサム息子の入院

2004年に分離壁反対運動が始まった時、私はテルアビブに住んでいた。イスラエルの平和活動家たちは、ビリン村へ毎週金曜日のデモに参加するよう呼びかけだした。日本から来た写真家たちに会って私も参加するようになり、何度も行くうちに村人と仲良くなった。

ハイサム・アル・ハティーブとは2009年、バッセムという村人がデモ中、イスラエル軍の化学兵器である催涙弾を、近距離で水平に胸を撃たれて亡くなったことがきっかけで、知り合った。ハイサムはイスラエルの人権保護団体のカメラマンで、デモの様子を常時記録撮影している。

ハイサムの家は分離壁から400bくらい離れていて、二人息子がいる。奥さんは明るい働き者で、行く前に連絡しておくと、ケーキを焼いたり、私の好物のマクルーべというパレスチナ料理を用意してくれたりする。5歳の次男は生まれた時から病弱で、生後8カ月の検査の結果、癌であることがわかった。

パレスチナの病院には対処できる施設がない。エルサレムの設備の整った巨大病院に行くためのチェックポイント通行許可をイスラエルに申請し、許可がでたら、指定された日の一定の時間帯にイスラエル側に入り、バスで病院に行く。許可は通常、病気の本人と付き添いの大人一人にでる。

 瀕死の子どもに会えない苦しみ

 今、ハイサムの次男がエルサレムのハダッサ病院に入院している。肺にバクテリアが入っていて、個室で隔離されている。先週1週間の予定で入院したが、退院が延期になった。付き添いはお母さんのみ。家族が見舞いたくても、チェックポイントの通行許可はでない。

次男はげっそりと痩せて、ようやく話せるくらいに衰弱している。

退院延長になり、手持ちのお金がなくなっても、お金を病院に届けることが村人やハイサムにはできない。イスラエル永住権がある私は行き来が自由にできるので、退院延長のために必要になったものを、ビリン村からエルサレムの病院に届けに行った。分離壁やチェックポイントがなければ1時間で行ける道のりは、分離壁の周囲を大回りし、道路は混乱状態でなかなか走らず、チェックポイントの行列で何十分も待たされ、3時間半かかった。こんなことがあっていいのか。もしかしたら、この子はお父さんの顔を見ないで逝ってしまうのかもしれないと思うと、怒りが湧き上がる。

私はイスラエルの平和活動家のリーダーに、ハイサムの息子の状況をメールで伝えた。数時間後にメールの返答が来た。ハイサムがお見舞いに行けるように通行許可を取る手助けや、退院時の車を用意するよう最善を尽くす、と言ってきた。

エイラットに戻ってきてしまった私には今、このイスラエル活動家たちが力を合わせて、ハイサムの息子を応援することを遠くで見守ることしかできない。日本の皆さんにこんなことがあるのだと知ってもらい、占領の意味をさらに深く感じ取ってもらえれば、と思う。

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