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2011/12/23(金)更新

【連載インタビュー】

脱「引きこもり」に立ちはだかる壁

引きこもりからの脱出を目指す若者たちのインタビューを連載する。以前連載した若者ホームレスや生保受給者の社会的原因は、雇用の不安定化・派遣切り・家族との関係不良など、比較的了解可能だ。

しかし、引きこもりの原因は、多様で、本人も「よくわからない」という場合の方が多い。中流といわれる家庭で育ち、イジメを受けたという経験者も少数だ。社会的原因にたどり着けないがゆえに、話を聞いている間に「それって甘えてんじゃないの?」という言葉が、何度も出かかった。「変わりたい」と願いながらも、アルバイトと引きこもりをくり返し、40才に手が届く人もいる。親の定年で、パラサイトの限界も感じ始め、焦りも見える。(編集部・山田)

(以下一部全文は1433号を入手ください。購読申込・問合せはこちらまで。)

「男にとって仕事が一番」という足かせ

桑田 浩(39才・仮名)

男で一番大事なのは仕事」と語る桑田さんは、第1次就職氷河期世代だ。流通科学大(神戸市)を卒業したが、大量の就職希望者に対し、バブル崩壊直後のパニック的不況で、求人募集は最悪。内定が採れないまま、就職浪人となった。それでも当時は「何とかしなければ」という思いが強く、公務員を目指して、専門学校へと進路変更した。

しかし、翌年の公務員試験も凄まじい高倍率で、「全く歯が立たなかった」という。これ以降、引きこもりがちになる。就職し結婚して、「普通」と言われる生活をしたいと強く願うゆえに、自分の姿を見ると、「他人と同じようにやっていけるのだろうか?」という不安が募ったという。

2年間の引きこもりの後、「対人関係が不得手」という自覚があったので、自分の技能で食っていける仕事を探した。25才の時に、コンピューター・グラフィック(CG)に興味を持ち、専門学校へ入学した。が、2年後「向いていない」と諦めた。どこへ行っても競争がある。ましてや、CGクリエーターの競争は苛烈だ。「自分の技能では食えない」と悟った。

「興味のある分野で仕事を」と思うが、自分に向いた仕事は何なのか?と問い続けて、40才が目前になった。「何をやっても結果を出せない。夜、自室に1人でいると、未来が恐くてしょうがない」という。

 「好きなこと」という呪縛

桑田さんは「男にとって一番大事なのは仕事」と言う。「男の評価は仕事で決まる。他のことができなくても、仕事ができれば、許される」から。桑田さんにとって「仕事」は、自分が居続けることを正当化できる手っ取り早い根拠だ。逆に言うと、自分の存在が周囲から承認されないと「居続けられない」のだという。

さらに桑田さんを縛っているのが、「仕事は、好きなことでなければ続かない」という思い込みだ。「仕事は一生続けるもの。どんな仕事だってしんどいことはある。だから、好きで入れ込める仕事でないと続かない」と語る。

仕事に押しつぶされる世界

「働いていない自分を許せないし、辛い」という桑田さんに、「親から離れる気はないのか?」と問うてみた。桑田さんは、4才の時に両親が離婚。母親は、経理事務をしながら桑田さんを育てた。65才で定年退職を迎えたが、事務職として再就職した。

「自分に向いた仕事は何だと思うか?」と問うと、「1人で黙々と働くこと」と答える桑田さんは、対人恐怖で電車に長く乗っていられない。

私は、行き当たりばったりで仕事をし生きてきた。そんな私から見れば、「考え過ぎじゃないの?」と思ってしまう。仕事に重きを置きすぎるととても生き辛くなる。それにしても、彼を、ここまで怖がらせてしまった「仕事」という世界は何なのか?

職場の人間関係が引き金(うつ→バイト→引きこもり)

谷口晃一(41才・仮名)

週3日、1日5時間程度の軽作業アルバイトを続ける谷口さんは、長い引きこもりからの脱出を模索している。先の桑田さんとは2才違いだが、大卒時はバブル末期で、東証1部上場企業に就職。文系だったが、草創期だったインターネットによる情報ネットワークの開発部門に配属された。ところが、入社直後にバブルが崩壊。1年毎に各部をたらい回しにされ、上司からのパワハラを受け、5年後うつ 病を発症して退社。以降、アルバイトと引きこもりを繰り返している。

 上司からのパワハラ

1年後に配属されたのが「国際部」で、社の専用回線を敷いて海外支店を含めた全社ネットワークを構築する部門でした。新しい上司は、第一線の技術者で、能力が高いだけに部下に要求するレベルも高く、私は専門分野ではなかったこともあって、「そんなことも知らないのか!」とよく叱られました。激しい叱責が繰り返され、苦手意識が強くなり、顔を見るのも恐くなってしまい、開発を離れて、電話回線工事の監督へ配置換えになりました。

ある朝、会社に行けなくなり、精神科クリニックを探して受診すると、「ウツ」と診断されました。結局、半年休職した後に退職しました。今から思うと退社の1年位前からウツだったと思います。

 職場・バイトを転々と

退職後、大阪府内の実家に戻ったのですが、半年後、父親が胃癌で死亡します。父の死がショックでウツが激しくなり、外に出られなくなりました。

貯金を取り崩しながら、3年位引きこもりとアルバイトをくり返しましたが、32才の時に、淡路でドラッグストアを経営する叔父が、「調剤薬局を新規開店するので、手伝わないか」との話があり、叔父の家に住み込みながら手伝うことになりました。手取り10万円程でしたが、漢方薬の仕分けを担当し、自分には一番向いている仕事だと思いました。人間関係の煩わしさがなく、決められたことを着実にやればいいからです。

精神科に通いながら3年半働きましたが、海外留学していた叔父の娘さんが帰ってくるために部屋を使えなくなり、「これ以上面倒見られない」と辞めさせられました。働き続けたい気持ちはあったのですが、実家に帰ることになり、以降、3年程引きこもりました。

見かねた母親が、06年に引きこもり支援のNPOに相談に行き、あまり気が進まなかったのですが、カウンセリングを受けてみると、家族には話せなかったことなども話せて、少し気が軽くなり、ボランティア活動にも参加するようになりました。

08年には、電気部品の組み立て工場で就労研修をやり、就活も始めたのですが、リーマンショック後の不況で、未だに見つかっていません。今は、週2日、食品の仕分け作業のアルバイトをやっています。 人見知りで好き嫌いがはっきりしているので、苦手な人がいると仕事が辛くなります。人間関係がきつくない職場が望みです。


競争社会の犠牲者

… 成果主義導入で、職場では協力よりも競争が重視され、余裕がなくなった。樋口さんは、そんな殺伐とした人間関係が支配する労働環境の犠牲者だ。過度な能力主義の職場は、谷口さんから働く能力と意欲を奪った。

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