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更新日:2008/08/16(土)

[社会] 意見特集/秋葉原連続殺人事件

6月8日、東京・秋葉原で起こった「連続殺人事件」。2トントラックで、歩行者を撥ね飛ばし、さらに、通行人や警官をナイフで刺した。逮捕された25歳の若者は、人材派遣会社(日研総業)からの派遣で自動車工場で働いていた。

逮捕後、この若者は「生活に疲れた。世の中が嫌になった。人を殺すために秋葉原に来た。誰でもよかった」と動機を語ったというが、果たしてこの事件が象徴する問題点とは何なのか?この事件に対する、皆さんからの意見を寄せていただいた。

引き続き、皆さんからのご意見・ご感想などを募集します。(編集部)

絶望をどう突破したらいいのだろう? フリーターユニオン福岡 今井恒平

私はちょうど事件が起こった頃、あらゆる事をするのが億劫な状態で、何とかして意欲を取り戻さなければと思っていました。

「どうしたら色々の事に積極的になれるだろう。僕には死への恐怖が足りないのだろうか。どうすれば、死への恐怖が得られるだろう。死んでいるものを見れば、恐怖が得られるだろうか」などと考えていたのでした。

「人殺しは人の生き死にに直接関わる行為だから、もしかしたら、それによって生きる手応えを感じられるかもしれないと思いついて、これを直接実行してしまうような人間が殺人鬼になるのかもしれないなぁ」

そんなふうにぼんやり考えていた矢先にこの事件を知ったので、その衝撃はとても大きなものだった。「この事件の犯人は、前述のようなことを考えて犯行に及んだのではないと思うが、「こんなことを考えていた時に、秋葉原で実際に大量殺人が行われているとは!」と思って事件の号外を読んだ時は戦慄した。

感情を圧縮しストレスから身を守る

彼は派遣社員、私は高校中退のニートだ。私には派遣社員の仕事の辛さ、将来に対する不安、待遇に対する不満は想像することでしか分からない。

ただ、彼が感じていたストレス。人を殺していた時の心の状態はこうだったのではないか、と確信を持って言うことができる。

なぜなら私も、一歩間違えば人を殺していたのではないかと思うような精神状態を経験したことがあるからだ。私が経験した精神状態について説明しよう。

その時私は、物凄く心細く辛い寂しいことがあって泣いていた。ストレスが溜まりに溜まって我慢して我慢し続けて、もう耐えられず泣きはじめた。泣くことはストレスの発散になる。だが泣いても泣いても、ストレスが加算され続け、心に収まらない状態が続くと、急に泣かなくてすむようになった。泣き疲れてストレスが発散されたわけではない。心の中が満杯になるほど大きくなった悲しみのせいで、はち切れそうになって、心が自分を守るために、その巨大な悲しみを圧縮することで心の安定を取り戻そうとしたのだと思う。

だから悲しみは、圧縮されただけで消えたわけではない。小さく重く密度を高めた悲しみの塊は、心の奥底に沈み、ブラックホールのようになっていたのだと思う。私は自分と世界を憎み、あらゆる他の生き物の苦しみや不幸を喜びとするような、残虐さ・残酷さ冷酷さと憎悪の塊となっていた。

ただ、その時は自分を客観的に見て「これはまずい」と思うことができた。さらにその後、ゆっくり休養をとることができ、高ストレス状態が長く続かなかった為に、徐々に心の安定を取り戻すことができた(しかしそれでもぐったりした状態から抜け出すためには一ヵ月近くかかった)。

もしあんな高ストレス状態が続いていたら、自分でも自分がどんな非道な人間になったかわからない。彼も同じ精神状態に陥っていたのではないかと想像する。ゲームも空想の世界も歯止めにならないぐらい、彼の心の中のブラックホールは肥大していたのだろう。自分の存在を知らしめる方法だって色々あるはずなのに、あんな破滅的な行動を選択したことがそれを証明している。

自分たちの手で何とかするしかない

「現実社会でもネットでも孤独だった」と本人は言っているが、ニュースを見た限り、同僚と共に秋葉原に行くなど、私には彼が全くの孤独だったとは思えない。むしろ、彼の言う孤独とは、心を許して接する事ができる相手がいなかったということだろう。そうならば、彼のような人間は今の日本に何人くらいいるだろう。

楽しみが見つからず、生きる事に疲れ、将来への不安に悩み、心を通わせる友人がいない人間。こんな人間は、万単位でいるんじゃないのか。派遣社員に代表される不安定雇用者はもちろんの事、ニートやひきこもり・不登校児童、一部の老人などもそうかもしれない。私も半ばそういう人間と同じだと思う。

ただ私は親の世話になる事で働かずに済み、ストレスから守られているので、たまたま生きることができている。私が簡単に社会に踏み出せない理由のひとつは先のような経験をして、ストレスとプレッシャーに弱い自分が、「いつ犯罪者になるか分からない」という恐怖を感じるからだ。

私たちに共通するのは、おそらく希望が無い事、つまり絶望。さらにどうやってこの状態を突破すればいいかわからないことだと思う。

私たちが自分の抱える絶望を解消できなければ、いつ彼のようになるか分かったものではない。しかし誰も何とかしてくれないのだから、自分たちの手で何とかするしかない。

それは、「派遣法撤廃」を世に訴えることかもしれないし、仲間と団結することかもしれないし、生きているだけで満足できる人間になることかもしれないが、よく分からない。私も虚無に食われないよう、やれることをやりたい。

「誰でもいい」存在と扱われ孤立した悲劇 兵庫 河合左千夫

「誰でもよかった」とか「誰でもいい」というのは、彼の孤立感の裏返しなんじゃないでしょうか。家族や友だちや職場の同僚や一切合財、自分以外はすべて他人で、時には全て敵対物のように見えていたのかも知れません。濃密な人間関係があって、愛憎もこもごもで、そんないろんな相手を考えた末に、「誰でもよかった」とか「誰でもいい」となったわけではないでしょう。たまたま親を殺していたとしても、気持ちとしては「誰でもよかった」となるような気がします。

彼だけではありません。こんな殺人が次から次に起こっています。これからも起きるでしょう。人間関係が希薄になって、一人ひとりの人間が社会の中をチリのように浮遊している時代の犯罪です。アメリカのように簡単に銃を手に入れられれば、銃を乱射するわけです。映画や小説でしか知りませんが、あの国では通り魔的な殺人が当たり前のようです。例えば検屍官というのは、死因や死亡時間ばかりではなく、死体に付着している慰留物に徹底してこだわります。モノを通してしか犯人にたどり着けないのを知っているからです。あるいはプロファイリングという手法は、犯行の形態から犯人像は探ろうとします。もはや殺人は、人間関係のもつれから起こるわけではないのです。もつれようにも、もつれるような絆そのものがなくなっています。

「誰でもよかった」といって何人も殺した彼自身がこれまで、この社会から「誰でもいい」存在として扱われてきたように思います。その最たるものが大企業です。彼のやっていた仕事も、「誰でもいい」仕事です。終身雇用があった時代はもう少し人間を大事にしましたが(その裏返しとして、従順でないものへの攻撃は凄まじかった)、派遣の時代になってひどくなりました。

家庭や学校が安らぎの場でなくなったのは、皆が認めるところです。ただしこれも、親や教師の責任とは言えません。子どもをどう育てるかというのは、「この子にはどういう仕事が向いているだろうか」という不断の問いかけと不可分です。農漁業が衰退し、職人がいなくなり、独立自営業がなくなった時代に、親も教師も、子どもをどう育てたらいいのかとまどっています。家業があって、それを継がせるために子どもを育てた時代の方が、ある意味でお互いにとって幸せだったのかも知れません。

まともな仕事がないような社会は、まともな社会ではありません。

「自己責任論」が私たちを押しつぶす 豊中市議会議員 木村真

私は、豊中市会議員として市民相談を受け、また、北大阪合同労組の執行委員として労働相談を受け、相談に来た人とともに問題解決に取り組んでいますが、とにかく、「自己責任論」が思いのほか浸透していると痛感します。

理不尽な状況に置かれながら、ギリギリまでガマンして、いよいよニッチもサッチも行かなくなって相談に来る、というケースがほとんどで、ガマンにガマンを重ねた挙句、身体を壊したり、精神的に不安定になってしまっている人がかなりいます。印象だけで言えば、相談に来る人のうち三人に一人ぐらいの割合で、精神のバランスを失ってしまっている感じです。

例えば労働相談なら、会社と交渉したり、労基署へ労基法違反の申告をしたりすることになりますが、その前に、まずは心療内科に通う等して精神が安定してからでないと、問題解決に取り組むことができないのです。「なんでもっと早く相談に来ないの?!」と思わずにおれませんが、彼/彼女らには、そもそも、「相談に行く」とか「理不尽をはね返してたたかう」とかいう選択肢が、全く頭に浮かんで来ないのです。

この十年ほどの間、《規制緩和》の名の下に、企業に対して「なりふり構わず金儲けする自由」「労働者の生活と権利を踏みにじる自由」が大幅に認められた一方、労働者に対しては「自己責任」「勝ち組・負け組」等々、《苦しい状況に立たされるのは本人の努力なり才覚なりが足りないからだ》という類の言説が撒き散らされ、植えつけられてきました。

その結果、ほとんどの人は鬱屈した思いを抱え込んで精神のバランスを壊したり、身体に変調を来たしたりします。それでもなお抱え込もうとすれば、限界を超え、自傷さらには自死へと追い込まれていきます。限界を超えた鬱屈が外へ向かって暴発すれば、破壊や殺傷といった犯罪となるであろうことは、容易に想像がつきます。

そしてほとんどの場合、そうした犯罪は、特定の個人の性格上・気質上の問題として取り扱われ、「殺人鬼を生んだ家庭教育」「鬼畜Aの異常な少年時代」といったゴシップのネタとして消費されていくのです。

このたびの秋葉原事件では、容疑者が派遣労働者であったことが大きく取り上げられるなど、報道のされ方がこれまでとはいくらか違うようにも感じます。派遣法の改正も見込まれており、少し風向きが変わりつつあるのかもしれません。

ただし、大きな流れとしては、政財界が雇用の弾力化=首切りの自由を拡大していこうという方針を変更することは全くあり得ないので、あくまでも当座をしのぐための「目くらまし」以上のものではないと思いますが…。

僕は今、北海道から帰阪したところです。洞爺湖畔で行われるG8サミットに反対する人たちが、日本全国から、さらには世界各国から集まり、様々な集会やデモを行い、僕もこれに参加してきました。たくさんの人からの報告を聞いて、各地・各国にはもちろんそれぞれ個別の特殊な事情もあるものの、グローバリゼーション・新自由主義・規制緩和の凶暴な波に襲われ、深刻な被害を受けているという共通の問題と直面していることを実感しました。

ただし、一方ではそれに抗して「もう一つの世界」の実現を求めてたたかう人が決して少なくはないのだということも、また実感しました。日本で「ネットカフェ難民」が増えていることと、世界各国の先住民族が自然環境破壊によって生活基盤を根こそぎ奪われていることは決して無関係ではないし、北大阪合同労組とビア・カンペシーナ(インドネシアに本部がある各国の農民ネットワーク)がやっていることは、全く別のものというわけではないということ、そんなことを強く感じました。

「G8サミット反対」を掲げたある集会で、パネリストの一人が語っていたこんな言葉を、市民相談や労働相談に来る人たちに、ぜひ教えてあげたいと思います。「悪いのは、間違っているのは、あなたじゃなくて社会(世の中、世界)の方だ」。

親からの過度な「勝ち残り」要求で失った居場所 氷河期世代ユニオン 小島鐵也

6月8日の白昼に秋葉原で起きた出来事については、世代問題と社会的背景の観点から、加藤容疑者の「生い立ち」を検証する必要があると考えます。

加藤容疑者は、青函トンネルが開通した1983年、青森県の青森市で生まれました。当時はまだ日本が安定的な経済成長を続けていた時期(安定成長期)で、信用金庫に勤める父親の長男として生まれた彼は、幼少期までは比較的裕福な環境で育ったと考えられます。

しかし、彼が小学生の頃にバブル経済が崩壊します。日本の将来に陰りが見え始めると、それまでとは状況が一変し、生き残りのための生存競争が激化していきました。

その影響なのかどうかは明らかではありませんが、彼の母親は、加藤容疑者に勉強を強要し、絵画や作文などの課題については、直接、作品に手を入れることで、彼の成績を「偽装」していました。そのおかげもあってか、加藤容疑者は小学校では「優等生」として評価され、異性からの人気も高かったようです。

ところが、彼が中学に進学する頃から親子関係が悪化し、それまで仲の良かった弟ともほとんど会話をしなくなりました。その理由について彼は、「『親の力』が足りなくなり、それが弟に集中するようになった」ためだと述べています(6月4日5時53分の書き込みから)。

この「親の力」が、父親の経済力のことを指しているのか、母親の指導力のことを指しているのかは定かではありません。しかし、金融機関に勤めていた彼の父親が、バブル崩壊の煽りを受け、経済的に逼迫した状況にあったことは容易に想像できますし、母親が神戸市連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)を意識し、加藤容疑者を恐れるようになっていたという近隣住民の証言もあることから、その両方と捉らえることが適当かもしれません。

生存競争において「勝ち組であれ」という圧力をかけ続け、また激しく怒鳴るなど厳しく教育し続けた母親。そして、本人は派遣労働者として真面目に働いていた毎日の中で、携帯電話サイト以外に自分の気持ちを吐き出すこともできませんでした。「派遣元の日研総業からクビを言い渡された」「職場で自分の作業用ツナギが見つからず、激怒した」─そんな鬱屈した気持ちが「無差別殺人」という形で現れてしまったのではないでしょうか。

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