人民新聞オンライン

タイトル 人民新聞ロゴ 最新版 1部150円 購読料半年間3,000円 郵便振替口座 00950-4-88555┃購読申込・問合せはこちらまで┃人民新聞社┃TEL (06) 6572-9440 FAX (06) 6572-9441┃Mailto:people@jimmin.com
反貧困社会編集一言政治海外情報投書コラムサイトについてリンク過去記事
更新日:2008/04/13(日)

[投書] 紙上討論/フリーター運動は「高学歴左翼の気まぐれ」?

はじめに

2月初旬、「フリーターユニオン座談会」への批判的感想が寄せられた。編集部は、非正規労働運動に期待し取材を継続しているが、未だ弱点をもっているのも事実。その重要な部分を指摘していると考えた。

学歴・性別や国籍などで選択の余地なくフリーターを強いられている人々が主体となる運動とはどういうものなのか?を、開かれた対話を通して考えたい。

「違い」や「できない理由」を挙げるのではなく、テーマや社会環境が違う人々がつながり、関わろうとする全ての人が「当事者」として、主体性と責任を持ち、分ち合うことための対話でありたい。(編集部)

孤立無援な「持たざる者」の思いと存在は何処に?
不登校その後を生きつづける三〇歳前後以上の当人ネットワーク『Soui』吉岡多佳子

以前から不思議なんですが、フリーター・ユニオンの活動をしている人たちは、なぜ大学院まで行った人や、大卒者が多いのでしょうねぇ…。

例えば高校中退や中卒などで、他に選択肢もなく、様々な事情でいわゆる日雇いなどフリーターにならざるを得ない人たちは、この日本において一五〜二〇年前、年間十数万〜一〇〇万人はいました(『THE中退〜学校離れ&S万人の生き方ガイド』朝日新聞社/一九九四年)。そういう人たちこそが本来、中心になってフリーター・ユニオンを結成してもいいはずなんですが、なぜフリーター・ユニオンをやっている人たちは、少なくとも差別されている高校中退者や中卒者に比べれば圧倒的に仕事を選べる立場にあるにもかかわらず、大卒者(下手したら大学院まで行った)いわゆる「インテリ左翼」さんたちが中心なのでしょうか?

そのことが以前から不思議な現象でなりません。そして、ついでに言えば、そういった人たちの「仲良しごっこ」の範疇でしか、そういった情報は共有されてはおらず、明日食う寝る場がなく悲観して自殺へと至るような、もっとも切迫した必要な人のもとには届いていないという、この矛盾はいかに…。

昨今、巷をにぎわしている「フリーター労組」という今更のような流行(現象)に対して、私の周りの人たち(高齢化した低学歴フリーター約二〇年選手)が口をそろえて言っていることを総括すると、「高学歴のインテリ左翼の気まぐれにすぎない」と冷ややかです。

また、「フリーター労組を結成するくらいの大学に行けるだけの余裕と知識があったら、なぜ状況を変えられないのか?」とか、「女性」たちからは、「フリーター労組も、どうせ声の大きい流暢に喋る男性が中心でしょ?そんなところにわざわざ加わることはパターナリズム(温情主義)に過ぎず、『相談』する気にもならず、どうせまたスポイルされて損するばかりで、ばかばかしい」という声も聞かれます。

いったいどうすれば、読んだり考えたりする時間も、仕事も、お金も、コトバも、仲間もない、孤立無援で、切迫し、罵倒され、威嚇され、発言力もなく、暴力を受け、搾取され、自傷し、自殺未遂し、だまされ、奴隷状態にある(インテリ左翼に消費されることのない)「持たざる多くの女性」たちの、容易にコトバにならない思いや生存を知り、つながることができるのでしょうか?

前途多難かもしれませんが、従来の諸運動圏の枠組みやお互いの立場を超え、本気で考え合う関係を築いていきたいです。

レッテル貼りに抗って連帯を!
フリーターユニオンふくおか 小野俊彦

「高学歴インテリ左翼の気まぐれ」「どうせ声の大きい流暢に喋る男性」…。私は、私たちの運動に向けられるそんな声が何に由来するのか知りたいと同時に、さしあたり私たちと共に運動を作る場の外からそんなレッテルが飛んでくることには何だか薄っすらと寂しい気持ちもします。

しかしそんな声から有意義な対話の可能性を見つけようとする人民新聞社の求めに応じて、私なりの応答をしてみようと思います(注)。

私は旧帝大の大学院を単位取得退学した高学歴のフリーターです。それ自体は日常的な実感としてそう思っているのですが、それ以上に強調したいのは、私が「われわれはフリーターである」という集団的な名乗りを自覚的に選びとったということです。

それは名乗りなのであって、社会の中に実体的・統計的な集団として存在する(かのように見なされる)「フリーター」の定義に適合するか否か、ましてや自分がどれほど「悲惨な境遇」にあるかどうかというような指標とは無縁です。

「消費者」「納税者」「有権者」「国民」「人民」「フリーター」「ヒキコモリ」「ニート」…時に行政が利用する政策用語、あるいはマーケティングのために作られる分類などとして、さまざまなレッテルが私たちを覆いつくしています。そんなレッテル貼りと名づけの力が、世界に関わろうとする私たちの力や欲望を断片化し、水路付け、統制しているように思われます。

「フリーター」という言葉は、そもそも某社の就職情報誌が「努力して夢をかなえる」フリーランス的な働き方を賞賛する一方で、「努力もせず低賃金に甘んじる」ような連中を差別化する含意を込めて作り出したものです。

しかし、バブル経済崩壊後にそのレッテルがたどった皮肉な意味の変遷を経て、いまでは「フリーター」という言葉にまずもって「努力する夢追い人」などを楽観的に連想する人は少ないことでしょう。いまや「フリーター」は格差社会の哀れな犠牲者、救済の対象を名指しています。

高度成長期的な企業社会の物語から逃れる「フリー(自由)」を礼賛したはずの言葉が、現在にいたって単に「充分な社会保障を受けられない使い捨て労働力」という負の意味を与えられているという事態は、かつて資本制とせめぎあって軋んだ音を立てていた力や欲望が、新たな秩序の資源として簒奪された結果を反映しています。

私は、九〇年代以降の日本において「フリーター」というレッテルをめぐって社会の中で生じていたそのようなせめぎ合い、そのせめぎ合いが引き起こされている経済的・物質的な力の場こそ、大学院生であった自分にとっても決定的な戦場だと感じたが故に、その「フリーター」という名付けの力を自らの名乗りのために奪い返そうとする闘いに参加しました。それは、マルクスが「二重の意味で自由な労働者」たるプロレタリアートについて語った時代と同じほどには古い、「自由」と「労働」をめぐるせめぎ合いの歴史の中にある闘いだ、と私は思っています。

資本制国家に生・労働を規定される現実

私がほとんど衝動的にイラク反戦運動に参加したのをきっかけに、市民運動界隈をうろつき始めていた二〇〇三年頃、私は大学院に長年在籍し続けたにも関わらず、研究者には見事になり損ねていました。

私は自分の無能や努力不足を棚上げにはしないでおこうと思います。しかし、多くの大学院生の不安定な境遇が政策的に生み出されてきたことも事実です。文科省の推し進めた大学院重点化政策によって九〇年代以降大学院生数は激増しました。任期制や非常勤の講師職が増えることで、実際は狭いパイの奪い合いでしかないものが、「就職機会の増加」として受け入れられるような、まさに一般労働市場の縮図のような状況の中、大学院は就職斡旋機能の大幅な喪失を何とかごまかし続けてきました。

私のように文系の研究を志して博士課程に進学した者の課程修了後の「失業率」は、文科省の調査でも七〇%を越えています(学校基本調査報告書)。そんな中で、地方都市の大学院生として研究者ポスト獲得競争に巻き込まれるということは、高等教育機関から労働市場への接点で宙吊りになったまま、新卒採用の年齢的限界が迫るにつれて研究者としての夢を見切るタイミングを計っているような危うい境遇に耐えることでもあります。

気がつけば、多くの大学院生が過剰な自己責任イデオロギーや「勝ち組/負け組」なるネオリベ的観念に染まってしまっている…。大学が独法化されようが、研究環境が改悪されようが、自治意識はおろか授業料の対価を求める意識もなく、当局に文句一つ言わない大学院生たち。

そんな院生の一人として、私は遅ればせながらも、そんな自分たち境遇の危うさを自覚しつつ発言し、研究してゆくべきではないかと、機会を見つけては周囲に呼びかけ、危うい境遇に関わる苛立ちや不安を、主体性に転化する運動・行動を始めようともしました。しかし非力な私の呼びかけが、数人程度の共感すら生まないうちに、私が学籍を保持できる経済力は尽きてゆきました。

そんな中、やはりイラク反戦運動を重要な契機として生まれていた東京のフリーター全般労働組合やその周辺の運動と言論を知ったことで「運動」に関わる自分なりの問題意識は明確なものになってゆきました。

グローバル資本主義下の資本制国家(さらにそれを媒介する個別資本…大学も含む)によって、決定的に生や労働のあり方を規定されている私たちの現実がある。その現実にかかわる実感から、私は自らの在り様を規定する社会に対する抵抗=運動を始めようと思いました。いわゆる新自由主義的状況下で生きること働くことについて、新たな質の「不安定」と「危うさ」があちらこちらで実感として語られはじめ、そこから「プレカリアート」などのような新たな集団的な名乗りの可能性も生まれていました。

惨めな運命拒否し主体的に抗う

私は、単に自分の危うい境遇からいずれ学生証が引き算されることで「フリーター」となるような惨めな運命を拒否して、自らが主体的に状況に抗うために「われわれフリーター」を名乗る運動を選びました。私は市民運動の場で出会った仲間と共に、「われわれフリーター」を名乗る戦場として、まずは学校(大学)や家庭や会社のような、私たちの生と労働を規範化する空間から外れて「路上」を奪い返すための表現と行動のスタイルを摸索しました。社会によって不安定化され、統制される生と労働への苛立ちと怒りを路上から叫ぶ私たちの声が、思いもよらず新たな若い仲間との出会いを生みました。彼らや彼女らはそれぞれの現実を抱えながら、私たちと共に「ニート」「ヒキコモリ」「フリーター」を路上で新たに名乗り直そうとしたのです。

読者の反応の中には、「もっと悲惨な境遇にある当事者」なるものが想定されているようですが、私たちは、自らの在りかたに対する「悲惨」だの「犠牲者」だのという一方的な名づけに対してこそ、連帯して抵抗することを選んだのです。

「高学歴」ゆえの偏りを持っている私の固い言葉使いや抽象論は、高学歴でも何でもない仲間たちから時に手厳しく批判されることもあります。それでも私は「妥協」だけは選ばずに、自らの実感とも切り離せない言葉を仲間にぶつけて議論を尽くし、ともに運動を作ろうとしています。

読者に向かっても呼びかけたいと思います。私たちは、それぞれが向き合っている(さしあたり分断もされている)現状から、自らの行動と発話の根拠を問い、それぞれのやり方で現状に抗おうとする声を共振させることで、新たな連帯を求めてゆくべきではないでしょうか。私のような「高学歴」にはそのような連帯に参加する資格がない、などと誰にも決定する権利はありません。

仲間と共に連帯の根拠を探りながら行動していることにおいて、私は誰からどんな風にレッテルを貼られようが、臆することなく「われわれフリーター」の抵抗運動の根拠を示してゆこうと思っています。

×

(筆者・注)この文章は長野で反天皇制運動をやっている堀内力さんの依頼で書き下ろした文章と重複している部分があることをお断りします。堀内さん編集による本は社会評論社より近刊予定です。

続きは本紙 【月3回発行】 にて。購読方法はこちらです。
[HOME]>[ 投書 ]


人民新聞社 本社 〒552-0023 大阪市港区港晴3-3-18 2F
TEL (06) 6572-9440 FAX (06) 6572-9441 Mailto:people@jimmin.com
Copyright Jimmin Shimbun. All Rights Reserved.