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更新日:2007/05/17(木)

[コラム] 代理出産と格差社会/山村千恵子

生の根源的欲求だからと容認できるのか?

何年前だったか、向井亜紀夫妻が自分たちの子供を代理母に産んでもらったというニュースを聞いた。そのとき最初に思い浮かべたのが「シバジ」という韓国映画だった。イム・グォンテク監督の一九八六年の作品で、題名は、直訳すれば「種受け」だろうか、朝鮮王朝時代の代理母の話だ。

韓国では、日本の天皇家と同じく、男系男子によって家系を継ぐ。男系男子の血が途絶えれば、その家系は断絶する。名家になればなるほど、血筋を絶やさないことが最大の使命とされるのだ。男系男子の血筋が絶対だから、日本では広く行われていた、いわゆる婿養子というものを認めない。そこでまた皇室と同じく、世継ぎを得るために、さまざまな苦肉の策を講じることになる。その策のひとつがシバジだ。

シバジに子供を産ませるというのは「畑を借りて種を植える」ということだ。一定期間、屋敷の中にシバジをおき、タイミングを合わせて当主の種付けをする。そして男児が生まれれば夫人の子として当家に置き、シバジは子の顔を見ることもなく屋敷から引き下がる。産まれたのが女児なら産母が連れ帰り、次代のシバジとして育てる。一生食いはぐれない代償と引き換えに、産む機械に徹する人生だ。

シバジを使うというのは「畑を借りる」という発想だが、女は畑ではない。映画の当主が、シバジの美貌と純情に心を移し、夫人の嫉妬を買う。また、シバジも情を交わした男への恋心と、妻からのいじめに苦しむことになる。そして日が満ちて男児を産んだシバジは、顔も見ずに別れたわが子恋しさに、シバジ最大の禁を犯して屋敷に忍び込む。もはや金など何の意味も持たなくなったのだ。あげくにシバジは、自ら命を絶つ。生身の人間としての悲劇だった。

子宮をなくした女が、愛する男の子どもを持ちたいと思う、切実な気持ちは否定しない。取るべき手段があるなら取りたいだろう。

しかし向井さんが子宮を失うことなく、何人かの子どもを得たとする。そのとき、子宮がないが切実に子どもが欲しいという夫婦が現れたら、代わりに子供を産んであげるだろうか?たまらない悪阻や、妊娠中毒の危険や、激しい陣痛に耐えて、他人の子を産んであげるだろうか?

シバジと代理出産。具体的には個々の違いがあるだろうけれど、自分の切実な欲望のために人の身体を使用する、という意味では同じことだ。解釈を広げるなら、買春や生体臓器移植にも共通するものがある。

いずれも、生の根源的な本能に関わる、のっぴきならない欲望から発しているだけに、誰もその切実さを否定できない。しかし、その欲望を「人の身体を道具として使って」満たすということ、私はそれを否定する。

それがいかに切実な欲望であっても、金がないものは果たすことができない。逆からいえば、衣食住を満たす十分な金を持っていれば、誰もそういうことはしたくない。向井夫妻の双子を産んだ女性も、「家のローンを払い終わったので、今後代理母をすることはない」と言っているようだ。供給のためには、貧困者の存在が不可欠なのだ。格差社会でなければ成り立たないのだ。

もうひとつの危惧は、代理出産制度が公認される社会になれば、子どもの産めない名門金持ち夫妻には、「代理出産を頼んででも子どもを産め」という圧力がかかる可能性がある。「産まない」という選択ができなくなる。困窮者には、「代理出産で稼げ」という圧力がかかる恐れもある。貧困国では、腎臓をひとつ売って家族を生かすことや、売春で家族を養う児童は珍しくない。

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