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兵士
イスラエル軍によるパレスチナ人抑圧はいつまで続くのだろう…。
更新日:2004/07/25(日)

[海外] パレスチナ/パレスチナ人の暮らしは占領によっていよいよ窮乏している

外出禁止令」がパレスチナの生活・経済を停滞させる

「防衛の盾」作戦からほぼ五ヶ月、西岸地区の日常生活が大きく変化した。それ以前から、移動制限などで困難な生活を強いられていたけれど、軍事的再占領を強化する封鎖や包囲などで、いっそう民衆の生活苦が増した。しかも、いったいそれがいつまで続くのか、見通しはまったくない。

ガッサン・アル・カティブ労働大臣は、失業者の増大を苦慮している。彼によると、五ヶ月前の自治領内の失業率は四〇%であったが、最近自治政府が行った調査では八〇%に増大した。やはり移動の束縛が最大の原因である。

ますます厳しくなる封鎖や包囲に加えて、IDF(イスラエル国防軍)が入った町や村には、連日のように外出禁止令が敷かれる。例えば、先週のナブルスはほとんど毎日外出禁止令が出され、日常生活が完全麻痺した。トゥルカレム・カルキリヤ・ジェニンは部分的外出禁止令(たいてい夜間外出禁止)で、それは近隣の町や村にも拡大された。外国の目につきやすいラマラは、この一ヶ月間外出禁止令はなく、市の中心部では普通の市民生活が見られる。

IDFが次にどの地域に入るかは、予測できない。いつ外出禁止令が出て、それがいつまで続くかも、予測できない。これがパレスチナ自治領(占領地)の経済を大きく停滞させる。

「お金を稼いでジェニンへ戻って戦士になるんだ」

「アル・アヤム」紙が、操業停止に追い込まれた採石場の労働者と、レイオフ中のナブルスの裁縫工場女性労働者へのインタービュー記事を載せている。採石場が操業停止に追い込まれたのは、石を掘り出しても運搬できないからだ。砕石を購入するのは、自治領やイスラエルやアラブ諸国の建築業者で、採石場があるサマリヤ地域の町や村に外出禁止令が出たり、途中の道路が封鎖されれば、生産活動も運搬もできない。裁縫工場も同じような状況下にある。同工場は、イスラエルの服装店で売られる衣服を製造していたが、外出禁止令や道路封鎖に加えて、イスラエルの経済状態の悪化と、中国からの安価な輸入品のため、需要ががた落ちになり、労働者を解雇せざるを得なくなったのだ。

自治領内の町や村が、今や飢えの一歩手前にある状態を、同紙は伝えている。ガザ回廊の学校では「ドロップアウト」が急増。一〇歳ぐらいの児童が学校へ行かず、街頭で僅かな金銭を稼ごうとしているのだ。水のペットボトルや鉛筆やタオルやライターなどを運転手に売ったり、信号待ちの車の窓を拭いて小銭をせがんだりしている。

パレスチナの法律では、一四歳以下の児童の就労を禁じているが、誰も守るものはいない。自治領内には、日給二〜三シェケルで児童を働かせている店が多くある。巧みにIDFの検問所を潜り抜けてイスラエルへ入り、主としてアラブ人町や村で仕事を探す子どもたちもいる。「アル・アヤム」はジェニン難民キャンプの子どもたちが、イスラエルのナザレ地区へ働きに出かけた記事を書いている。フィラスという一六歳の子どもが、一〇歳から一五歳の子どもたちの集団を連れて、ウッム・アル・ファム付近からグリーンラインを越えて、ナザレへ入った。彼らは小銭を稼げる仕事を探して、ナザレを徘徊した。同情した住民たちが何がしかの小用を与えた。夜は空家の屋根で寝た。

「ぼくらは乞食じゃないよ」と、一四歳のシャディが取材に来た記者に言った。「ジェニンには、食べるものもお金も授業もないから、ここへ働きに来たんだ」。それから彼は袖を捲り上げて、自分で腕に刻み込んだハマスのシンボルを見せた。「少しお金を稼いでからジェニンへ戻って、戦士になるんだ」と言った。

エルサレムにも、ヘブロンからやって来た、そういう子どもたちがいる。少し前までは、ユダヤ人地区の西エルサレムにも入り込んでいた。しかし、今は警察や治安部隊が目を光らせているので、子どもたちはアラブ人地区だけを徘徊している。

自治政府労働省雇用局のサイード・アル・ムダラハ局長によると、現在学校へ行かずに街頭で仕事を探している一四歳以下の児童の数は、約三万人だという。「これは深刻です。彼らは身体的・情緒的に障害を受けながら成長するのですから、社会的な影響は大きい」。教育関係者も、第三世界に見られる同様な現象を引き合いに出して、街頭で育ち、街頭の言葉と行動様式を身につける子どもたちが、将来悲惨な人生を送ることになる、と危惧を表明している。

「分かち合い」でかろうじて生き延びているパレスチナ

いったい、こういう窮乏状態の中で、パレスチナ人はどうやって生き延びているのであろう?自治領の労働人口は、約八五万人(人口三〇〇万人中)。そのうち一五万人が、政府や地方役所などの公的機関に雇用されている。自治政府の賃金は極めて低く、しかも絶えず遅配である。賃金の源泉はアラブ諸国からの援助金や、ヨーロッパからのローンや補助金である。

公企業(燃料・セメント・煙草などは政府専売)からの歳入もある。関税などの税金はイスラエルが代行して徴収しているが、インティファーダ以来、イスラエルに差し押さえられたままである。最近になって、その一部がやっと自治政府財務省に渡された。

アラファトは、自治政府職員の賃金から一〇%を天引きし、失業者救済に充当する命令を出した。その金は、労働組合を通じて支払われる。失業者は、一人当たり月額五〇〇シェケルを受け取ることになっているが、トラブルが多い。組合には受給資格者リストもないし、そもそも支払う金がない。少し前、ナブルスの記者が、外出禁止令が明けた時、多数の人々が失業救援金を受けようと組合事務所に押しかけて大混乱となり、結局、運良く手当てを受け取れたのはたった数人だった、という記事を書いた。

慈善団体の数は多く、彼らは食糧や生活費を配っている。地元または外国(主として湾岸諸国)のイスラム教組織、西洋のキリスト教組織、世界の人道主義団体などである。

国連の福祉・雇用機関も、それまで大幅に削減していた食糧援助を再開した。最近では国際赤十字が「食糧クーポン」の配給を始めた。窮乏家庭はこのクーポンを使って、近所の商店で食糧を買うことができる。商店は、集めたクーポンを赤十字で現金に換えてもらえる仕組みだ。クーポンは食糧購入だけに使用され、煙草や酒類の購入はできない。

西岸地区には、外国で働く親族からの送金に依存している世帯が多かった。二〇年以上も前には、西岸とガザ地区の全収入の二五%までが、アラブ産油国へ出稼ぎに行った親族からの送金だった。しかし、アラファトが湾岸戦争で「イラク支持」を言明したため、パレスチナ人がクウェートから追放されて以来、その収入はがた落ちした。

従って、寄付や施しによって辛うじて生活しているというのが、パレスチナ人の経済生活の実態である。政府職員の賃金すら、施しといえる。というのは、すっかり破壊された省庁には仕事がなく、賃金だけを貰っているからである。それでもパレスチナ人がなんとか生き延びているのは、彼らの伝統的な生活様式、つまり「相互扶助」の伝統のおかげである。家人の一人が稼げば、彼はそれを家族全員と分かち合う。そうすることで、家族全体が辛うじて生き延びているのである。

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