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東ティモール
オーストラリアの石油強奪に抗議するデモ


東ティモール
豪の石油強奪に抗議するデモ(ディリ市内の豪大使館周辺)
更新日:2004/06/26(土)

[海外] 東ティモール/海底油田を巡り「経済侵略」を行うオーストラリア政府との対決
──大阪 東ティモール協会 文珠幹夫

人々に戻った笑顔

五月二〇日、東ティモールは独立(主権回復)二周年を迎えた。最近はイラク報道に押され、東ティモール問題が報道されることが少ない。

独立記念式典が、首都ディリの中心にあるスタジアムで開催された。独立二年目とはいえ、かなり簡素なものであった。現在のマリ・アルカティリ政権の不人気もあってか、参加した人々の数は、二年前の独立式典とは比較にならなかった。権力を一手に握った感のあるマリ・アルカティリ首相が、人々に「もう一段の我慢と辛抱を」と演説したが、さしてブーイングも起こらなかった。官製の式典に醒めた目を投じている状況は、見方を変えてみれば、生活は苦しいが、政府に頼らざるとも自らの力で何とか生活できるようになったためかもしれない。一方、夜同じ場所で開催されたコンサートは、打って変わって大勢の観客で深夜までにぎわっていた。

人々に、生活や物価について聞くと、誰もが「物価が上がり、生活は苦しい」と答えるが、その答えに悲壮感はあまり感じられない。インドネシア支配時代と比べ、人々の表情はにこやかになり、そして体格(老若男女を問わず皆ふっくらしてきた)に歴然たる差を感じる。自由にものが言え、デモなどの抗議活動も、日本より自由にできる。その状況が、人々に心の余裕を持たせているように思える。滞在外国人によると「泥棒などの犯罪も増えた」というが、犯罪発生率は日本の一〇分の一くらいであろう(二〇〇二年の統計では、日本の二〇分の一以下)。

依然厳しい復興と経済

しかし、復興の進捗状況や経済は、厳しい状態が続いている。政府予算は、相変わらず外国からの援助頼み(約四〇%)である。政府は取りやすい所(税関・入国税など)からしか税金を徴収できない。官僚体制の整備が遅れているため、税制のみならず、電気料金の徴収システムなども混乱している。電気料金は、電気メータはあるが、正確な検針と料金の算出ができていないことと、国連暫定統治(UNTAET)時代は無料だったことや、停電頻発のため、多くの人が電気料金を支払わない。おかげで、発電用の燃料の購入に支障をきたしたり、修理の費用が出ないため、停電がさらに酷くなる有様である。特に地方都市は深刻である。

道路事情は少しは良くなっているが、雨期になると通行できなくなる箇所が多い。幹線道路はともかく、山岳部の道はインドネシア軍が軍事行動のために造ったこともあり、崖崩れ・路面の陥没などが頻発。補修と破壊のいたちごっこが繰り返されている(注@)。道路網未整備の問題は、物資の流通の足枷となっている。特に、農業生産物が南北間でうまく流通していない。これらは、農業振興と経済活動にとっての大きなマイナス要因となっている。

石油強奪続ける豪

二〇〇二年五月までのUNTAETは、その支援金額と人的投入は小さいものではなかった。しかし、その成果には疑問符が多く付く。インドネシア軍による凄まじい破壊と人口の三割にも及ぶインドネシア領への強制連行という困難があったが、UNTAETは東ティモール人が寄せた希望をさほど実現できなかった。多くの困難な問題を積み残したまま、UNTAETは東ティモールに主権を移譲した。独立国家となった東ティモールに、国連はアドバイス機関としてUNMISET(東ティモール支援団)を設置し、各種のアドバイスやPKF・文民警察の支援を行った。このUMISETも(後に半年延長となったが)、五月二〇日で大部分撤退することになった。

国連(UNTAET・UNMISET)は、経済政策・雇用創出・農業政策・国境確定と海底油田問題・司法の整備・人材育成・教育問題に多くの問題を残した。中でも、東ティモールの将来にわたっての国家収入となる海底油田の問題は、国連が解決しておくべき問題であったと思われる。豪政府との間で国際法に則った国境の確定で解決できた問題だからである。

インドネシアと豪の結託

五月一九日、ディリの豪大使館へ向けデモ隊が「オーストラリアの石油横奪抗議」の声を上げ、約一週間大使館前でハンストが行われた。

海底油田の経緯を簡単に書いておこう(注A)。ティモール島の南側に広がるティモール海に海底油田が眠っていることは、三〇年以上前から知られていた。

インドネシア侵略前の一九七二年、豪とインドネシアはポルトガル(東ティモールを植民地支配)が参加を拒否する中、ティモール海の海底領域確定条約に署名。この「海底領域確定」が以後「ティモール・ギャップ問題」と呼ばれ、問題となるのである。

七五年、インドネシア侵略直前に駐ジャカルタ豪大使ウールコットが「石油の眠るティモール海の条約は、ポルトガルや独立後の東ティモールと交渉するより、インドネシアとの方が交渉しやすい」と助言、豪政府もインドネシアに自国に有利な条件を認めさせたい意向があった。

七八年、国際社会がインドネシアの東ティモール不法占領を否認している中、石油と天然ガスに目のくらんだ豪政府は、インドネシアの東ティモール不法占領を認めるのである。そして海底の線引きは豪にとってきわめて有利に引かれたのである。

これに対し、ポルトガル政府と亡命していた東ティモール人たちはそれを拒否。国際司法裁判所(ICJ)に訴えた。ICJは「インドネシアがICJの管轄権を受け容れないため、判決を出せない」としたが、同時に、「東ティモールは剥奪され得ない自決権を有する」と述べた。

九九年八月、「住民投票」で東ティモールがインドネシアに勝利した後、UNTAETは豪政府とティモール・ギャップについて交渉するが、豪政府にとって大した問題とならない区域のみを交渉したに過ぎなかった。最も多くの石油と天然ガスが眠る地域に関して交渉は行われなかったのである。

国際法の専門家によれば、「そのほとんどの部分は、東ティモールに属する」と指摘している。こうした中、豪政府は「領海境界線に関するICJや、国際海洋法廷の管轄から離脱する」と発表。独立後、マリ・アルカティリ首相は、豪政府と交渉を重ねているが、豪政府の非友好的態度に業を煮やしている。豪政府は交渉を相当長期に長引かせることで、石油・天然ガスを奪いつくし、枯渇した段階で領海境界線を確定しようとしていると思われている。

東ティモール人のみならず、豪人の中からも豪政府の態度を「強盗のやり方」と見る人々が大勢いる。東ティモールを小国と侮り、帝国主義的な外交を行っているからである。

この問題は東ティモール政府のみならず、東ティモール人全体に「反豪運動」として広がりを見せ始めている。豪政府が誠実な態度を示さない限り、不幸な関係が続くだろう。

東ティモール人によると、一番嫌いな国は、当然インドネシアである。そして最近二番目を争っているのが(植民地支配をし、インドネシアの不法占領に有効的に対処しなかった)ポルトガルとオーストラリアなのである。

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*注@…日本の援助の相当部分と自衛隊の活動は、道路修理が主であった。支援各国、PKFも同様に道路補修支援を行った。今後、それらを追跡調査をしてみる必要がある。

*注A…詳しくは、大阪東ティモール協会発行の季刊東ティモール一三号「ティモール・ギャップ問題(ステファニー・クープ著)」を参照されたい。この経緯部分の記述は、多くをそこから引用している。

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