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更新日:2004/05/18(火)

[海外] イラク/ファルージャの目撃者より
──ジョー・ウィルディング/4月11日 翻訳 益岡賢

編集部より

アメリカ・ブッシュ政権によるイラクの占領政策は完全に破綻した。イラクは内戦の地と化した。ファルージャの地では、1000人以上の民間人が米軍の攻撃によって死亡し、状況は今もなお流動的である。

最近、ファルージャに入ったNGOのジョー・ウィルディング氏によるレポートを掲載する(「益岡賢のページ」より転載、編集部にて要約した。見出し・小見出しは編集部)。

訳者より

※ジョー・ウィルディングさんは、「イラクの子どもたちにサーカスを見せよう」という活動をしている外国人のグループ(アーティストと活動家の集まり)である、「Circus2Iraq」というグループのメンバーです。(ジョーさんによる他の記事もあり)

ここで描かれている出来事は、「停戦」下でのものです。米軍は「停戦」と称して、空爆や大規模攻撃こそ止めましたが、狙撃兵による狙撃と攻撃は続けています。


絶望的状況」のファルージャへ

ファルージャ東部の高速道路で、トラックや石油運搬車、戦車が燃えていた。少年と男たちの流れが、燃えていない大型トラックを行き来して、それらのトラックの積荷を根こそぎにしていた。私たちは、アブ・グライブ経由の裏道にまわり、持ち物をあまり持たない人々で一杯の自動車が、逆方向へ向かうのにすれ違いながら、道沿いにできた急ごしらえの軽食スタンドを通り過ぎた。ヌハとアフラルは、アラビア語で歌っていた。スタンドの少年は、バスの窓から、私たちと、そして今もファルージャにいる人々に、食べ物を投げ込んでいた。

バスは、ファルージャの導師の甥が運転する車の後について進んでいた。彼はまた、ムジャヒディーンと接触がある私たちのガイドでもあり、今回のことについてムジャヒディーンと話をつけていた。

私がこのバスに乗っていた理由は、と言えば、知人のジャーナリストが夜一一時に私のところに来て、「ファルージャの状況は絶望的であり、手足が吹き飛ばされた子どもを、ファルージャから運び出していた」と語ったことにある。また、米軍兵士たちは、人々に、『夕暮れまでにファルージャを離れよ、さもなくば殺す』と言っていた、と。けれども、人々が運べるものをかき集めて逃げ出そうとすると、町はずれにある米軍の検問所で止められ、町を出ることを許されず、ファルージャに閉じ込められたままで、人々はただ日が沈むのを見ていた、と彼は私に語った。

彼はまた、「援助車両とメディアも、ファルージャに入る前に引き返させられた」と私に説明した。医療援助をファルージャに運び入れる必要があり、外国人・西洋人がいると、米国の検問を通過してファルージャに入ることができるチャンスは大きい、と。その後の道は、武装グループにより守られているとのことだった。そこで私たちは、医薬品を持ち込み、他に何か手伝えることはないか調べて、帰りにはバスでファルージャを離れる必要がある人たちを乗せていこう、と考えていた。

到着後、私たちは物資をバスから降ろした。最も歓迎されたのは毛布だった。そこは病院と呼べるものではなく、米軍の空襲でファルージャの大病院が破壊されてから、ただで人々を診療している個人医の診療所だった。

もう一軒の診療所は、ガレージに臨時で作られたものだった。麻酔薬はなかった。血液バッグは飲み物用の冷蔵庫に入っており、医者たちは、それを非衛生的なトイレのお湯の蛇口の下で暖めていた。

「死人よりもケガ人の心配をしなければ」

夜通し、頭上を飛行機が飛んでいたので、私はまどろみの中で長距離フライトの中にいるようだった。無人偵察機の音にジェット機の恐るべき音、そしてヘリコプターの爆音が、爆発音でときおり中断されるという状態だった。

朝、私は、小さな子どもたち、アブドゥルやアブーディのために、風船で犬とキリンと象を作った。彼らは航空機と爆発の音にも苦しんでいないようだった。私はシャボン玉を飛ばし、彼らはそれを目で追いかけた。ようやく、ようやく、私は少し微笑んだ。一三歳の双子も笑った。一人は救急車の運転手で、二人ともカラシニコフ銃を扱えるそうだ。

朝、医者たちは、やつれて見えた。この一週間、誰一人、二時間以上寝ていない状態だった。一人は、この一週間でたった八時間しか寝ておらず、病院で必要とされていたので、弟と叔母の葬儀にも出られなかった。

「死人を助けることはできない」とジャシムは言った。「私は怪我人の心配をしなくてはならないんだ」。

米海兵隊による「家の片付け」?

デーブとラナと私は、ピックアップで出発した。海兵隊のいる地帯との境界近くに、病気の人がいて、避難させなくてはならない。海兵隊が建物の屋上で見張っていて、動くものすべてに向かって発砲するので、誰も家から出る勇気はなかった。サードが私たちに、「白旗を持ってきて、道をチェックして安全を確かめたから、心配することはない。ムジャヒディーン側が発砲することはない。我々の側は平和だ」と伝えた。サードは一三歳の子どもで、頭にクーフィーヤをかぶり、明るい茶色の目を見せて、自分の背丈ほどもあるAK四七型銃を抱えていた。

私たちは米軍兵士に向かって叫び、赤三日月のマークのついた白旗を揚げた。米兵二人が建物から降りてきた。ラナはつぶやいた。「アッラー・アクバル。誰も彼らを撃ちませんように!」。

私たちは飛び降りて、海兵隊員に、家から病人を連れ出さなくてはならないこと、海兵隊が屋根に乗っていた家からラナに家族を連れ出してもらいたいこと、一三人の女性と子供がまだ中にいて、一つの部屋に、この二四時間食べ物も水もないまま閉じ込められていることを説明した。

「我々は、これらの家を全部片付け≠謔、としていたところだ」と年上の方が言った。「家を片付ける≠ニいうのは、何を意味するのか?」「一軒一軒に入って、武器を探す」。彼は時計をチェックしていた。何がいつ行われるのか、むろん私には告げなかったが、作戦を支援するために、空爆が行われることになっていた。「助け出すなら、すぐやった方がよい」。

私たちは、まず、道を進んだ。白いディッシュダッシャーを着た男性がうつぶせに倒れており、背中に小さなしみがあった。彼のところに駆けつけた。またもや、蠅が先に来ていた。デーブが彼の肩のところに立った。私は膝のところに立ち、彼を転がして担架に乗せた時、デーブの手が、彼の胸の空洞に触れた。背中を小さく突き抜けた弾丸は、心臓を破裂させ、胸から飛び出させていた。

非武装の男性を後ろから射殺した米兵

彼の手には武器などなかった。私たちがそこに行って、ようやく、息子たちが出てきて、泣き叫んだ。「彼は武器を持っていなかった」と息子たちは叫んだ。彼は非武装だった。ただ、門のところに出た時、海兵隊が彼を撃った、と。

それから、誰一人外に出る勇気はなかった。誰も、彼の遺体を取り戻すことはできなかった。怯えてしまい、遺体をすぐに手厚く扱う伝統に反せざるを得ない状態だった。私たちが来ることは知らなかったはずなので、誰かが外に出て、あらかじめ武器だけ取り去ったとは考えにくい。

殺されたこの男性は、武器を持っておらず、五五歳で、背中から撃たれていた。彼の顔を布で覆い、ピックアップまで運んだ。彼の体を覆うためのものは、何もなかった。

その後、病気の女性を家から助け出した。彼女のそばにいた小さな女の子たちは、布の袋を抱きしめ、「バーバ(お父さん)、バーバ」と小声でつぶやいていた。ダディー。私たちは震えている彼女らの前を、両手を上に上げて歩き、角を曲がって、それから慌ててピックアップに彼女らを導いた。後ろにいるこわばった男性を見せないように、視線を遮りながら。

私たちが、銃火の中を安全に人々をエスコートするのではないか、と期待して、人々が家からあふれ出てきた。子どもも、女性も、男性も、全員行くことができるのか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そうに私たちに尋ねた。私たちは、海兵隊に訊いた。若い海兵隊員が、「戦闘年齢の男性は、立ち去ることを禁ずる」と述べた。戦闘年齢?一体いくつのことか知りたかった。海兵隊員は、少し考えたあと、「四五歳より下は全員」、と言った。下限はなかった。

ここにいる男性が全員、破壊されつつある街に閉じ込められる事態は、ぞっとするものだった。彼らの全員が戦士であるわけではなく、武装しているわけでもない。こんな事態が、世界の目から隠されて、メディアの目から隠されて進められている。ファルージャのメディアのほとんどは、海兵隊に「軍属」しているか、ファルージャの郊外で追い返されているからである(そして、単に意図的に伝えないことを選んでいるから)。私たちがメッセージを伝える前に、爆発が二度あり、道にいた人々は、再び家に駆け込んだ。

ファルージャに残るべきか 去るべきか

ピックアップが戻ってきたので、できるだけ多くの人を乗せていた時に、どこからか救急車がやってきた。一人の若者が、家の残骸のドアのところから手を振っていた。上半身裸で、腕には血で膨れた包帯を巻いていた。恐らくは戦士であろうが、怪我をして非武装の時、戦士かどうかは関係ない。死者を運ぶことは最重要ではなかった。医者が言ったように、死者は助けを必要としない。運ぶのが簡単だったら、運ぶだろう。

海兵隊と話が付いており、救急車が来ていたので、私たちは死体を運び込むために、もう一度急いで道を戻った。イスラムでは、遺体をすぐに埋葬することが重要である。

私たちは遺体を担架に乗せ、走って、後部に押し込んだ。ラナが前の座席の怪我人の横に滑り込み、デーブと私は、後部の遺体の横に乗った。デーブは、子供の頃アレルギーがあって、あまり鼻が利かない、と言った。今になって、私は「子供の頃アレルギーだったら」と思いながら、顔を窓の外に出していた。

バスが出発しようとしていた。バグダッドに連れていく怪我人を乗せて。やけどした男性、顎と肩を狙撃兵に撃たれた女性の一人、その他数人。ラナは、「手助けをするために自分は残る」と言った。デーブと私も躊躇しなかった。私たちも残る。「そうしなければ、誰が残るだろう?」。

最後の襲撃の後、どれだけの人々が、どれだけの女性と子供が、家の中に残されただろう?行く場所がないから、ドアの外に出るのが怖いから、留まることを選んだから……。私はこのことを強く考えていた。

私たちの意見は「残る」ことで一致していたが、アッザムが、私たちに「立ち去るべきだ」と言った。彼も、全ての武装グループとコンタクトをとっているわけではない。コンタクトがあるのは、一部とだけである。各グループそれぞれについて、話をつけるために、別々の問題がある。私たちは、怪我人をできるだけ早くバグダッドに連れて行かなくてはならなかった。私たちが誘拐されたり殺されたりすると、問題はもっと大きくなるので、バスに乗って今はファルージャを去り、できるだけ早くアッザムと一緒に戻ってきた方が良い。

私は彼を置いて行かなくてはならない…

医者たちが、私たちに「別の人々をまた避難させに行ってくれ」とお願いしてきた時に、バスに乗るのは辛いことだった。資格を持った医師が救急車で街を回ることができない一方、私は、狙撃兵の姉妹や友人に見える≠ニいうだけで街を回ることができるという事実は、忌々しいものだった。けれども、それが今日の状況で、昨日もそういう状況で、私はファルージャを立ち去るにあたり、裏切り者であるかのように感じていたけれど、チャンスを使えるかどうかもわからなかった。

サードがバスの所に来て、旅の無事を祈った。彼は、デーブに握手してから、私と握手した。私は両手で彼の手を握り、「ディル・バラク(無事で)」、と告げた。AK四七をもう一方の手に持った、一三歳にもならないムジャヒディーンに、これ以上馬鹿げた言葉はなかったかも知れない。目と目があって、しばらく見つめ合った。彼の目は、炎と恐怖でいっぱいだった。

彼を連れていくことは出来ないのだろうか?彼が子供でいられるようなどこかに連れていくことは、できないのだろうか?風船のキリンをあげて、色鉛筆をプレゼントし、「歯磨きを忘れないように」と言うことは?

この小さな少年の手にライフルを取らしめた人物を捜し出せないだろうか?子どもにとって、それがどんなことか誰かに伝えられないだろうか?まわり中、重武装した男だらけで、しかもその多くが味方ではないようなこの場所に、彼を置いて行かなくてはならないのだろうか?もちろん、そうなのだ。私は彼を置いて行かなくてはならない。世界中の子ども兵士と同じように。

G.ブッシュよ お前がやっていることは犯罪だ

それからバグダッドに着いて、彼らを病院に連れていった。うめき声をあげて泣いていたやけどの男をスタッフが降ろした時、ヌハは涙を流していた。彼女は私に手を回し、「友達になって」と言った。私がいると、彼女は孤独が和らぎ、ひとりぼっちではなく感じる、と。

衛星放送ニュースでは、「停戦が継続している」と伝えており、ジョージ・ブッシュは、兵士たちはイースターの日曜休暇中で、「私は、イラクで我々がやっていることが、正しいと知っている」とのたまっていた。自宅の前で非武装の人間を後ろから射殺する、というのが正しいというわけだ。

白旗を手にした老母たちを射殺することが正しい?家から逃げ出そうとしている女性や子供を射殺することが正しい?救急車をねらい撃ちすることが、正しい?

ジョージよ。私も、今となっては分かる。あなたが人々にかくも残虐な行為を加えて、「失うものが何もなくなる」ということが、どのようなものか、私は知っている。病院が破壊され、狙撃兵が狙っており、街が封鎖され、援助が届かない中で、麻酔なしで手術することが、どのようなものか、私は知っている。それがどのように聞こえるかも、知っている。救急車に乗っているにもかかわらず、追跡弾が頭をかすめるのがどのようなことかも、私は知っている。胸の中が、銃で撃ち抜かれて無くなってしまった男がどのようなものか、どんな臭いがするか、そして、妻と子供たちが家からその男の所に飛び出してくるシーンがどんなものか、私は知っている。

これは犯罪である。そして、私たち皆にとっての恥辱である。

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