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編集一言2005年12月ログ

香港より、N君からのメッセージ
まず、この間弾圧に抗議し、私たち14人を支えてくださったすべてのみなさんに、心から感謝していることを伝えたいと思います。

私は12月11日に香港に入りました。それから韓国の仲間をはじめ、インドネシア、フィリピン、インド、マダガスカル、モザンビークなどなどの仲間と出会い、お互いの生活を知りあって、思いを共有してきました。そして世界中で新自由主義グローバリゼーションによって、農村の破壊や、新しい貧困層の拡大など、たくさんの貧しい仲間が、同じように苦しんでいることを知りました。

日本の路上の厳しい状況も伝えてきました。私は何人もの仲間の死に顔を見てきましたが、そんな仲間に寄り添う立場から、「死の行列を止めるために、香港に行く」といった韓国の仲間とともにありたいと願い、WTOに抗議する思いを訴えるべく、香港にやってきたのです。同時に、世界中で新自由主義に抗議する運動に取り組んでいる仲間がいることを知りました。それぞれ独自の文化、環境に根ざしたたたかいがありました。その多様で活気に満ちた表現に、私はとても刺激を受けています。
(※編集部注=N君は、多くの仲間とともに、大阪の野宿者支援運動に取り組んでいる)

私たちが逮捕された12月17日のたたかいは、そんな世界中の仲間の共同したたたかいでした。韓国の仲間は「ビア・カンペシーナ」(農民の国際連帯運動)のスカーフを巻き、アジアの仲間も韓国の鉢巻きを巻きました。香港の市民もケンガリ(朝鮮の民族楽器)の音に合わせて、拍手で抗議行動を支えていました。それは、報道されたような「韓国農民の暴動」では決してなく、インターナショナルな行動だったのです!

ペッパースプレーや催涙弾による警察の攻撃を受けても街頭にとどまりつづけた仲間は、韓国の仲間を中心に歌い踊り、連帯を祝いました。さまざまな立場の1000人をこえる仲間が、それぞれの違いを受け入れ、ひとつの思い=WTO反対の思いをもとに、つどったのです。月明かりと黒く光る警官の波の中で、それは美しい、美しい夜でした。私はこの夜のたたかいに最前線で参加したことを、心から誇りに思っています。

香港警察の今回の逮捕・捜査は、無茶苦茶です。無関係のひとを起訴しましたし、私はいまだに取調べを受けていません(だから、「黙秘している」という報道も間違いです)。これはまた、インターナショナルな抗議行動の高まりに、政府やグローバル企業が恐れをなしている証拠でもあります。剥き出しの暴力に対して、私たちは当然、これから先の国際連帯行動をどのようにつくっていくかが問われます(その際には、日本にはすでにたくさんの外国人労働者の存在があり、厳しい状況にあること、過去にも朝鮮や沖縄などの労働者を動員してきたことも忘れてはならないでしょう)。

今回の弾圧は新自由主義とのたたかいのほんの一幕にすぎません。私は野宿の−持たざる者の−仲間の立場から、韓国の仲間とともに最後までたたかう決意です。香港政府と新自由主義に抗議し、12月29日の国際連帯行動をともにたたかいましょう!
2005年12月29日更新
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香港デモ&本紙特派員拘束事件・速報
■12/18(日) 反WTOアクション最終日
大きな衝突から一夜明けた最終日、予定通りHKPA(WTOに対する民間監察団)呼びかけによるデモが行われました。2時から集会が始まり、3時過ぎから行進に入りました。
5時過ぎには、韓国の農民団体をのぞく、すべての団体が揃い、WTOへ抗議を行い、プログラムとしては一通り終わりました。

前日の騒ぎもあり、警察が相当神経質になっていた事が事実です。この日は、1000人ほどの韓国人の農民たちが、宿泊先である郊外のYMCAのキャンプ場から出ることを警察に止められ、最後のデモには韓国の方は、見た感じ200名程度しか参加できませんでした。それでも、集会場に入場を阻止されながらも、その場で座り込んで独自に集会を始め、その周りを香港人が囲んで行く形で徐々に大きくなってゆきました。次第に香港人たちもその中に入り始め、最後は本当に一緒になって歌ったり踊ったりで、さながら大宴会になりました。

一緒に写真を撮ったり、鉢巻を交換したり、住所を教えあったり、それが一般人だけでなく、取材記者たちも楽しんでいたようです(これらはその日の夜のニュースや翌朝のニュースで大きく取り上げられました)。

口々に「サンキューホンコン」といいながら、韓国の農民たちは着いたバスに乗り込み夜中過ぎに“祝会”は終わりました。

■12/19(月) 「公安条例違反」で本紙特派員含む14名が起訴される
この日は、先ず韓国人188名(女性150名)が釈放されました。夕方には残りの1,000名ほどが釈放されました。日本人4名が釈放されましたし、これですべて終わるものと思っていました。
しかし、夜になり14名が「公安条例違反」=違法な公衆集会の嫌疑で起訴される、という話が伝わってきました。「その中に日本人1人も入っている」との連絡を受け、私も観糖法院に向かいました。

着いてみますと、警察の方が異常に神経質になっており、二重に持ち物検査が行われていました。裁判も、多数の香港人の支持者たちが詰め掛け、裁判長が着席する際も「即時釈放」「香港の恥」などと叫び、14名が入場しても、習いたての韓国語で「支持ハムニダ」と叫び、かなり荒れた雰囲気の中で行われました。2時間近くの法廷で、「さらに詳細な調査が必要」という事で、検察人が「起訴補修で拘留期間を延長したい」と述べ、裁判長も同意しました。弁護人の方から、丸2日間、着替えもシャワーもなかったので、温水シャワーと着替えの差し入れ、それからキムチなどなじみの食べ物を差し入れできるよう取図ること、ベッドと毛布の用意や、その他必要に応じて便宜を図る事を拘留条件に入れるように裁判長に申請し、裁判長も許可しました。

裁判の後、外では、支持者が大声で声援を送りました。後で聞いた話ですが、逮捕以来、なんにもニュースも見ていなかった逮捕者たちは、それを見て相当精神的に励まされたとの事でした。

日本人の逮捕者はNさんと言う29歳の方で、当日、デモに参加し、一緒に歩いていたところ、途中から道がふさがれて出られなくなり、そこにいた韓国の人たちと一緒に座って話したりしていたところ、気がついたら、警察官に囲まれており、午前2時半ごろ逮捕されたとの事でした。

移送された警察署で写真を撮られ、指紋をとられて、長い時間待たされ、そして呼ばれて、釈放手続きかと思ったところ、「起訴されます」と聞かされたため、ずいぶん怒っておられます。新聞には、WTO関連記事が逮捕者も含めて詳しく載っており、それを差し入れたところ、ずいぶん安心されたようです。

■暴動ではない
今回を暴動(Riot)と呼べるかと言うと、無理があるように思います。商店が襲われたわけでもありませんし、車が焼かれたわけでもありません。テレビで見ても、警察の警戒線を突破しようとした人に対して、警察官は何倍もいたわけで、先頭のデモ隊を殴り、催涙スプレーを顔に向かってかけ、それでも押しに押され、最後に催涙弾を打ち込んでデモ参加者を追い返したという事でしかありません。

■香港警察による拘束者への人権侵害
香港ではこのようなことは37年ぶりなので、経験がないということで警察側の精神的な動揺も分からなくはありません。しかし、逃げ場がなくなって立ちすくんでいた1000名のデモ参加者を3時間近く包囲し続け、トイレも認めず、「早く寝に帰りたい」とジェスチャーで訴えるデモ参加者を包囲し続け(このシーンは有線放送で中継されました)、逮捕する際も非常に手配がのろく、夜が明けた9時近くまでかかりました。これは、香港の人間からすれば、それだけでも警察に怒っている人が結構います。

留置所に着いてからも、トイレに行く行かない、喫煙を認める認めないなど、対応がバラバラで、しかも、香港ID所持者(つまり香港住民)を無条件で釈放した所にも、批判が集まっています。

■無条件釈放せよ! 香港で高まる救援運動
火曜日に今後の対応について会議がもたれ、あくまで無条件即時釈放を求めてゆくことで一致しました。それから、人権の侵害や暴力の行使に関しては、抗議を続け、今回の処置に関して賠償(確実な証拠もないまま拘留され、航空券が無効になったため)を求めてゆくことでも一致しました。

既に水曜日から、法院(裁判所)の前で、釈放を求めて、3千回のクンジョル(朝鮮・韓国式のお辞儀)するアクションが行われ、あわせて学生さんが抗議のハンストを行っています。ソウルと台北では、大使館など対外的な窓口前で抗議か行われています。

■12/22(木)
この日は、WTO期間中、毎晩キャンドル集会を開き、市民に直接自分たちのオピニオンを伝えた韓国の農民に習い、香港SOGO前で午後9時からキャンドル集会を開き、14人の現状と警察の過失を市民に説明します。あわせて、支援の募金活動も行われます。
昼間は、学生さんたちが中心になり、14名が拘留されている3つの警察を廻り、そこから大声で歌を歌って励まそう、という活動が行われます。

■12/23(金)
この日は、もう一度法廷が開かれますが、14名の入退廷の時に、大声で声援を送って励まそう、と企画されています。もし釈放が決まれば、歓迎会に切り替わる予定です。

(HKPA日本人スタッフ Kさん/編集部で編集し、小見出しを加えました)
2005年12月24日更新
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「極左」といわれる世界
 「改革者、任仲夷氏の死」 (サンケイ・11月27日)の中で、「張氏は文革中に極左路線を批判、反革命罪で’75年に銃殺された。獄中での虐待に加え、銃殺前に気管支を切断、批判の声を発しないようにした残酷な仕打ちが、文革後、大問題になった。」とあり任仲夷氏が唯一、党の誤りを認めて、謝罪したとして、彼のその後の動きと死を報じていた。
 サンケイの報道なので、どこまで信じてよいものかという思いもあるが、少し前に読んだ『蜂起には至らず・・新左翼死人列伝-小嵐九八郎著・講談社刊』に載っていた、連合赤軍や内ゲバ死者と重なってしまった。殺し方のエゲツなさと「極左」といわれる人びとに共通するものだ。
 しかし私は他人事としては語れない。『死人列伝』を読んだ時、私もその渦中にいたのを想いおこし、よくぞ死ななかったなぁと思った。自分もその時は必死だった。だからといって許されるわけではない。なぜ、そういう状況になってしまうのか?そうならないためにはどうしたらよいのか? が残された者への宿題だろう。
 白か黒か、全てか無か、といった二元論が「極左」といわれる世界にあるようだ。意見の違いを認めない。唯我独尊とでもいうべき思考法はどこから生まれてくるのだろうか。自分も誤りを犯すことがあることを認めるならば、大切なことは、誤りを認めて、是正する力を持つことではないだろうか。(A)
2005年12月22日更新
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資本主義批判と農業
資本主義批判に農業の問題が欠落しているのではないか?「賃労働と資本」という側面からだけマルクスが語られてきたように思える。何故であったのか?という疑問と農業をもっとキチンと据えた所からの資本主義の根本的な批判が、今、求められているのではなかろうか。(S)
2005年12月19日更新
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トラック運転手残酷物語
 「滋賀・名神」「多重事故7人死亡」「ブラジル人ワゴン車横転」「トラック突っ込む」「業過致死容疑で運転手逮捕」という11月14日(月)付新聞1面記事の見出しが踊っていた。今年に入ってからトラック事故のニュースを訊くとドキッとする。仕事で物流業界の実態調査をしたことがあるからだ。
 今、トラック輸送は物流の90%を担っている。陸送の主流が鉄道から道路輸送に代わって40年が経つ。日本列島の背骨にトンネルの穴を堀り、大型トラックは「名神」「東名」の高速道路を1日24時間、年中無休で走っている。トラック労働者の数は約100万人、職業別分類で第1位だ。
 今年6月頃にNHKスペシャルで「トラック・列島3万キロ・追っかけ便・命を削る男たち」というドキュメンタリー(再放送)が放映された。視聴率8.6%、視聴者575万人、大変な反響だった。過労と睡眠不足の残酷物語であった。アナウンサーが最後にインタビューした。「今いちばん欲しいものは何ですか?」「欲も得もない。家の布団でゆっくり眠る時間が欲しい」と運転手は語った。
 調査では80%のプロドライバーが、一人一車制の成果配分(請負給)で働いている。事故が起きた時刻は午前5時頃。「うつらうつらしていたかもしれない」と逮捕された運転手は供述している。いつどこで大事故が起きても不思議ではない労働環境が問題なのである。(F)
2005年12月15日更新
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「タミフル」による大量の死亡事故
 新型インフルエンザの治療薬として中外製薬が発売している「タミフル」による大量の死亡が報告されている。世界で七一人。日本の子ども一二人が含まれている。この副作用は、飲んで間もなく行動に異常をきたし、車道に走り出て大型トラックにはねられ死亡したり、マンションの九階から転落死というもの。未成年者や乳幼児が特に副作用を受けやすいという。
 厚労省は一四日、新型インフルエンザの総合対策を定めた政府の行動計画を発表。このタミフルを二五〇〇万人分備蓄する目標という。安倍官房長官は、「タミフルの安全性に重大な懸念がある状況ではない」と述べているが、冗談じゃない。「あんた中外製薬から金もらってんじゃねえの」と突っ込みたくなる。
 この他にも新インフルエンザへの総合対策では、社会活動の制限も検討されており、「その場合、法的な実効性を持たせる」としている。とにかく新インフルエンザ対策はとても臭い。実は小生、風邪で微熱続きだが、タミフルだけは死んでも飲まない。ちなみに、鳥インフルエンザの人への感染が広がり、新型発生の第三段階にあるそうだ。(H)
2005年12月09日更新
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三里塚・損害賠償強制執行粉砕「ありがとう!私たちの勝利だ!」元管制塔被告・津田光太郎
 この一一月一一日午前一一時四五分、私たち管制塔元被告団と支援者は国交省航空局に結集し、別掲の「法務省・国土交通省に対する声明」と共に一億三九二万二四九一円の賠償金全額を国に叩きつけてきました。この「基金カンパ」を呼びかけ、さらにカンパをくださったお一人お一人の方々はじめ、今日まで私たちに対する損害賠償強制執行を自らのことのように心配して下さった全てのみなさん、本当にありがとうございました。
 国があえて損害賠償の強制執行を掛けてきたのは、私たちが一生かかっても「支払えない」と承知の上で、「国に逆らった者はこうなるのだ」との見せしめにするため、私たちを強制執行の鎖に一生涯縛りつけることが目的だったはずです。本当に金が欲しかったのなら、何度も催促があるのが普通でしょう。ところが時効直前になって私の所に送られてきた訴状の準備書面には、いきなりこう書かれていました。「原告は、同人らが有する財産等につき、調査したところ、被告については、強制執行可能な財産等につき、何ら確認できていない。(中略・故に)消滅時効を中断させるため、本訴に及んだ。」つまり普通の日本語で言えば「君たちに金がないのは良く知っているさ。だから一生縛ってやる」と言ってきたのです。関西ではさほどでもありませんでしたが、東京では国は記者会見までおこなってこの「見せしめ」を宣伝しました。でも「国に逆らった者への見せしめ」にするとの目論見は、たった四ヵ月で粉々に打ち砕かれてしまいました。
 二七年前、占拠闘争で多くの仲間とともに逮捕され、千葉刑務所拘置監で取り調べを受けました。担当はY検事。取り調べ中のY検事の発言はほとんど忘れてしまっていますが、取り調べ最後の日、捨てぜりふのように言った一言をなぜか覚えています。
 「なあ、君、空港の開港は延期になったそうだ。闘争勝利だ。さぞ気持ち良いだろうなあ。今だけはな!でもこれから十年は塀の中だぞ。俺がそうしてやる。十年たったら仲間はバラバラだ。誰もおまえの事なんか覚えてないぞ。寂しい人生だなあ。」
 確かにそれから約七年、私は刑務所に囚われてはあった。管制塔元被告団全体では、確かに十年刑務所に囚われた。でも、寂しいと思ったことは一度も無かった。事実、一人ではなかったからだ。
 Y検事。誠に残念でした。今、はっきりと証明されました。あなたの負けです。完全な敗北です。そして、この強制執行を自分のことのように心配下さった全てのみなさん。本当に有難う、あなたの、そして私たちの勝利です。
2005年12月07日更新
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農業の総崩れ
 今年4月からスタートした新農業基本計画で積み残しの課題とされていた「品目横断的」な経営安定対策は、支払い対象とする「担い手」を、都府県4ha、北海道10ha、集落営農20ha以上の面積を経営するものという基準で決着した。
 大規模経営による構造「改革」の流れを加速する方向であり、同時に価格支持から直接支払いへの政策転換である。これまでは、米の生産調整を行い、そこへ税金を投入して農村を面として維持してきた政策から、大規模経営と法人化を目指す農業生産者にしぼって所得を保証する制度へと転換したわけだ。
 これは直面するWTOでの関税引き下げ=負け戦を前提とし、それによる農業の総崩れを食い止めようという面が大きい。市場原理を徹底すれば何とかなるという無責任な方針といわざるを得ない。家族農業を解体していくこの方向に日本の農業の未来はない。
 そもそもこれで農業の「担い手」は育成できない。農地面積を多く保有することと農業を担う資質とは関係がないのだ。今、農業では技術・人格・地域への愛着・リーダーシップ・環境への配慮・創意工夫、こうした資質を持った人材が必要となっている。これは農村だけではないだろう。マネーの規模で競争して勝つものがリーダーとなる社会には、魅力あるリーダーは生まれない。競争より協同への道を歩む担い手が求められる。(I)
2005年12月06日更新
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11/6「戦争あかん!基地いらん  関西の集い」
 「私がこうして生きているのも、沖縄の海があったからです。」
 ─辺野古から駆けつけてくれた山城善勝さんは語った。「戦後の食糧難も、サツマイモと海の幸で生き延びて来れました。辺野古の海は私の命、沖縄の命です」。
 一一月六日(日)、大阪城野外音楽堂で「戦争あかん基地いらん関西のつどい」が行われ、朝から降る雨のなか九〇〇人が集まった。
 日米両政府が性懲りもなく沿岸案で合意したことで、「沖縄に新たな基地はつくらせない!」という闘いは、新たな段階に入った。その合意の翌三〇日には、那覇市で「県民総決起集会」がおこなわれて、「あくまで基地は沖縄内に」とする日米両政府に、広範な人々から失望と怒りが示されたのだった。
 くしくもその一週間後に、基地負担を強いている《ヤマト》の民衆である私たちが、沖縄とどう連帯していくのか、を関西の地で示していく内容を持った集会となった。
 この日、辺野古から駆けつけてくれたのは、山城さんの他に安次富浩さん・安部和子さんの三人。安次さんは、「SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意は断念に追い込みました。今回の沿岸案に対しては、防衛施設局に漁船をチャーターされている海人ですら反対の声を挙げたという代物です」と闘いはこれから正念場となることを訴えた。
 安部和子さんは海上での阻止行動について語った。それは調査を強行しようとする防衛施設局の役人や、調査のために雇用されたダイバーや地元の漁師などに主にボーリング調査用の櫓に座り込んで、調査を止めるように呼びかけるというもの。「私は毎日、櫓から『平和を愛する安部和子です』と呼びかけてきました」と安部さんの何気ない話の裏に、身体を張るという激しい行動でありながら、平和を求める「沖縄のこころ」を自然体で貫いているのが感じ取れた。
 集会では韓国・平澤から、米軍基地反対闘争に取り組む尹 現秀さんが「私たちの命を生かしてくれる農地を米軍の戦争基地にしようとする政府は許せない。これ以上アジアに米軍の基地をつくらせてはいけない」と、広くアジア全体を視野に入れた連帯を訴えた。
 また、元レバノン大使の天木直人さんの講演、沖縄の伝統芸能・エイサーの披露や「南ぬ風人まーちゃんバンド」の演奏など、雨空を気にさせない中身の濃い内容で集会は終わり、参加者は京橋までデモを行った。
(編集部 小比類巻)
2005年12月03日更新
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自衛「隊」は「軍」へ 日本は中国による米本土攻撃の盾に
 一〇月二八日、自民党は新憲法草案を発表しました。その中で注目を浴びたのは、「自衛隊」を「自衛軍」と、呼び方を変えていたことでした。
 「隊」と「軍」との一字の違いではないかと言われれば、それまでですが、私は黙って見過ごせないものを感じました。
 法によって世の中は作られている、と言われていますが、これは幻想に過ぎません。海外派兵を禁じた「平和憲法」の下にありながら、この国はイラクへ自衛隊を派遣しているではありませんか。
 この現実は、「平和憲法」そのものが米国の世界戦略の産物に過ぎないことを物語っています。
 もともと、現行憲法は、「米国製」、「日本語に馴染まない翻訳調」と、言われてきました。「それを変える」と自民党は言いながら、現実の日本は米国の世界戦略から抜け出せないでいます。
 この「思い」と現実とのギャップからいまだに抜け出せない日本の姿が、ここに現れています。
 自民党結党六〇周年、この祝賀会に合わせて発表された新憲法草案。果たして、この国は憲法を現実に合わせることが出来るのでしょうか。
 日本を取り巻く海、特に太平洋は、軍備拡張に奔走する中国によって、大きな変貌を遂げています。
 中国の潜水艦は今、「我が物顔」に日本近海を泳いでいます。彼らは日本海溝の奥深く沈み込み、ここから米国本土を狙ってミサイルを撃ち込む訓練をしています。
 先日、中国は「神州二号」の打ち上げに成功しましたが、これから受けた米国の衝撃の強さは、察するに余りあります。
 今の米国にとって最大の脅威は中国です。
 日本は、米国からその盾としての役割を担わされているのが現実です。「隊」から「軍」への変化は、この現実の変化に合わせたに過ぎません。(渡辺)
2005年12月01日更新
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