いまパレスチナでは

タカ派、疑似ハト派に変身? ウリ・アヴネリ

2003年 12月15日
通巻 1164号

 軍参謀長のモシェ・ヤアロン中将に何が起きたのか?最近まで彼は軍、いや国の中で一番のタカ派だった。それが突然、ハト派的態度を取り出したのだ。彼のドクトリンは、「アラブを叩け、そうすれば降参する」。それでダメだったら、「もっと叩け、パレスチナ人がもう生活ができない状態へ追い込め、町や村を封じ込め、家庭を破壊し、土地を奪え」であった。それは数学の公式みたいなものだった。打撃に打撃を重ねれば、パレスチナ人の生活は限界に達し、彼らは両手を挙げ、頭を垂れ、イスラエル政府の言いつけに従い、戦士(占領軍の用語では「テロリスト」、被占領者の用語では「民族の英雄」)を軍に引き渡すはずだ。イスラエルが許可した囲い地の中に住むか、他国へ脱出するはずだ。

 ところが、突如として参謀長は、このドクトリンから逸脱したのである。彼は国民に向かって、政府の政策は「破壊的だ」と、言い始めたのである。一体、どうなったのか。

 タカ派戦略の前半はうまくいった。パレスチナ人の生活は地獄と化した。ほとんどのパレスチナ人が貧困ライン以下の生活で、多くの者が飢餓状態になった。何十万人の子どもが栄養失調、村々は道路封鎖で囚人キャンプのようになった。交通はほとんど不可能で、職場へも、病院へも、大学や学校へも行けないし、生産物を市場へ運ぶこともできない状態になった。パレスチナの町や村には、イスラエル軍がうろつき回って、家屋を破壊し、活動家を逮捕・殺害し、ついでに女性や子どもも殺している。遠くに飛行機の音を耳にしただけで、パレスチナ人は緊張し、息をひそめるようになった。この意味で、ヤアロンの目的は達成するはずだった。皆殺しは別にして、これ以上ひどい状態は想像できない。だから、計画からいくと、パレスチナ人はもうとっくに降参しているはずだった。

恐ろしい状況を助け合い、生き抜いたパレスチナ人

 しかし意外にも、そうならなかった。パレスチナ人は降参せず、あの恐ろしい状況の中で生き続けた。アラブ大家族制の相互扶助のおかげで、人々は耐え、生き抜いた。その上彼らの大多数はあの反撃(占領者の言葉では「テロリズム」、被占領者の言葉では「武装抵抗」)を支持し、自爆攻撃は誇りと称賛でもって迎えられている。自爆した「殉教者」一人に対し、その後を追いたがる志願者が一〇〇人もいる。自爆攻撃に関するパレスチナ人の間の議論は、それの是非ではなく、「イスラエル国内で無差別に行うことがよいのか、それとも標的を占領地内の軍隊と入植者に限るべきか」である。

 こういう状況下で、ヤアロンや彼の周囲の将軍たちは、「作戦は失敗した」という結論に達したようだ。これ以上パレスチナ人を追い詰めると、事は却って逆効果になる─憎悪と敵意を増殖させるだけで、いっそうの反撃を生み、イスラエル軍は嫌でももっと多くの兵士を動員し、もっと多くの資源を投入せざるを得なくなり、しかも成果は逆効果なのだ。タカ派ヤアロンが、擬似ハト派ヤアロンに転じざるを得ない所以である。

ヤアロンの「状況緩和」は焼け石に一滴の水

しかし擬似ハト派処方箋も誤謬に基づくものだ。「叩く」のでなく「状況緩和」というが、どういうことだ?数千人程度にイスラエル国内で働く許可を与えることか?数百人程の商人にイスラエル国内で商品仕入れの許可を与えることか(確かにそうすれば、イスラエル経済の方は大助かりだろう)?数ヶ所で道路封鎖を解除することか?

 要するに、棍棒の使用回数を減らし、人参を少々ぶら下げよう、ということだろう。こんな処方箋は失敗するに決まっている。何故ならそれは、タカ派処方箋やこれまでの多くの予測と同様(第四次中東戦争を思い出せ!)、アラブ人一般、特にパレスチナ人に対する途方もない蔑視に基づいているからだ。すでに八〇余年前に、極右シオニストのヤボティンスキーが骨身にしみて理解したように、アラブ人を餌で買収することはできない。大地獄を小地獄に変えてみても、彼らに民族の悲願を捨てさせることはできない。たとえ占領地が地上の楽園に変わっても、パレスチナ人はやはり占領終結を求めるだろう。東エルサレムを首都とし、西岸地区とガザ回廊を領土とするパレスチナ国の樹立を求めるだろう。

 現実には、ヤアロンの「状況緩和」はとても楽園とは程遠く、焼け石に垂らす一滴の水に過ぎない。あの醜悪な「安全保障壁」が日夜パレスチナ人の生活を破壊し続け、土地を奪い続け、彼らを世界から隔離し続けているのだ。

 ヤアロンは、突然ヒューマニズム風邪をひいたわけではない。肝心のイスラエル民衆が次第に彼のやり方を支持しなくなっていくのを感じ取ったのだ。一般イスラエル人が「タカ派路線が失敗した」と感じ出しているのを見たからだ。一般民衆の路線変更の兆しが見えたから、彼も路線変更を試みたにすぎない。

 本当に彼が主義主張に忠実な人間なら、首相のところへ行って、勲章を外してテーブルの上に置いて、「閣下、私は失敗しました。辞任いたします。ところで、閣下、閣下も同じことをされることを勧告します」と言うはずである。(一一月一五日)

人民新聞社

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