【米の反ブッシュ草の根運動】
本当に力を持っているのは揺るぎない信念と確信だ

シカゴ/デイ・多佳子

2003年 11月15日
通巻 1161号

私が住むアメリカ中西部イリノイ州は、シカゴを抱えている。そこの有力紙「シカゴトリビューン」は、保守系の新聞である。このところ、その「シカゴトリビューン」に、イラクのアメリカ人兵士死傷の記事が数段抜きの見出しでトップに扱われているから、ブッシュ政権のイラク政策が行き詰まっているらしいというのは、凡庸なアメリカ一般国民もうすうす感じていると思われる。

 しかし、その閉塞感を「いや、アメリカのやっていることはいつも正しいんだ」と押し切ってしまうか、それとも一歩下がって自分の国の姿を客観的に見、反ブッシュに回るかは、私には、アメリカ人一人一人の資質によるような気がする。ただ元来、「パターナリステイック」(父権制的温情主義的)なアメリカ人は、他国に対する強硬姿勢が歓迎される、というのが常識的な線だろう。そんな国民性に拍車をかけているのがメディアだ。

 CNNは、一〇月二五日にワシントンDCで一万人から二万人を集めた反戦デモを報じたが、「シカゴトリビューン」はほとんど無視に近かった。世界的に知られる著名な知識人で、政府批判を続けているノーム・チョムスキーの講演会など、完全に無視される。メディアに取り上げられないからこそ、反戦派はねばり強く、ただ自分たちの信念だけに突き動かされて草の根の活動を続ける。私の配偶者もその一人である。

シカゴの西六〇マイル、とうもろこし畑の広がりの中にある人口四万人の大学町・デカブでも、市民有志が「デカブ・インターフェース・ネットワーク・フォー・ピース・アンド・ジャステイス」(以下ネットワーク)を結成して、国際情勢の雲行きが怪しくなってきた頃から活動を続けてきた。もう一年以上にわたって、毎週金曜日の夕方五時から、反戦プラカードを掲げて、町の目抜き通りに立つ。そばを通り過ぎる車や人々の反応はさまざまである。悪口雑言を投げつけ、クラクションを激しく鳴らして抗議していく車もあれば、「がんばって」と優しい声をかける人もいる。時には、道を隔てて、ブッシュ支持のプラカードを持つグループが現れることもある。両者は静かににらみ合い、心の中で火花を散らしあうが、お互い何も言わない。

一人でも社会を変え得る

戦争開始直前の今年一月二八日には、デカブの市議会は、町として、先制攻撃反対を打ち出し、全米五〇番目の反戦決議自治体となった。これも「ネットワーク」のメンバー約四〇人が傍聴席を埋め、二時間以上をかけて全員意見陳述に立ち、市長をはじめとして躊躇する市会議員たちを動かしたのだった。「ネットワーク」が主張したのは、国連の武器査察を支持し、国連安保理の決議がなければ、アメリカはいかなる軍事力も発動してはならないというものだった。議員たちは「国際問題に地方の市が関わるべきか否か」で意見が分かれたが、僅差で「ネットワーク」の主張が認められたのだった。

あれから一〇カ月が経った一〇月の終わり、町で秋の収穫祭「パンプキン(かぼちゃ)フェステイバル」が開かれた。町中を行列が練り歩くもので、参加したグループは一〇〇を超えた。「ネットワーク」も、イラクからの米軍撤退を求める横断幕を持って、二時間以上かけて歩いた。行列の中には、迷彩色の装甲車やトラックもあり、運転席には、顔を黒く塗った、これも迷彩色に身を包んだ男たちが厳しい表情で前方を見つめていた。企業や選挙関連グループは、車に派手な装飾をほどこし、大いに人目を惹き、やんやの喝采を浴びながらの参加であるのに対し、「ネットワーク」は一〇人ばかりの会員がただひたすら黙々と歩き続ける、という地味な姿である。

 私も一緒に歩くように何度か誘われた。戦争が始まる前にあったワシントンDCでの反戦デモには参加したが、戦争が既成事実となってしまった今はもう、在米外国人が外交政策に異を唱えるのは適当ではない、と感じられ、ただ傍観者に甘んじている。

確かに「数は力」かも知れない。しかし、「ネットワーク」の人々の姿からは、それ以上に、本当に力を持っているのは揺るぎない信念、確信だと身をもって教えられている。メディアが取り上げることのほとんどない、草の根の人々の真摯な気持ちである。彼らが本当に少数派かどうかは、来年の大統領選の結果を待つしかない。そして、たとえブッシュが再選されようとも、「ネットワーク」の活動は、私の大好きな英語のフレーズをさらに深く心に刻みつけてくれる。「make a difference」─小さな一人でも社会にさざ波を起こし、社会を変えていくことができる─アメリカ人の心に根付いたこの言葉こそが、アメリカの底力である。

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人民新聞社

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