人民新聞

憲法は「護る」ものか?

深見史

2003年 11月15日
通巻 1161号


充分に想像されていたとおり、今回の衆院選挙で社民党はいよいよ崩壊への道に迷いこんだ。朝日新聞は一〇日朝刊で「消沈・無念 護憲の顔」の表題とともに土井党首の無念そうな特大写真を載せた。他紙も社民党の没落を「護憲衰退」と表した。

 社民党は護憲政党ということになっているので、彼らの衰退は改憲への動きを推進させるだろう、というのはおそらく正しい。しかしそもそも、憲法は「護る」ものなのだろうか?

 本紙一〇五五号(二〇〇〇年九月二五日付)で伝えた差別事件(旧オウム真理教教祖の子であるという理由で小学生三人が教育委員会から就学を拒否された事件)で、社民党は唯一少々関わろうとする姿勢を示した政党であった。

 二〇〇〇年夏、関東の小都市A市は小学生に対する転入届不受理、就学拒否、という前代未聞の、言うまでもない憲法違反をおこない、ゴミの回収などの行政サービスも拒否した。市議会は全会一致でその方針を支持、学校の教師を含む住民は就学拒否を求める署名運動を始め、住居にデモを仕掛け、監視小屋を建てて子どもらが学校に行かないよう見張った。

 これらは前年の九九年、団体規制法制定のために関東各県で組織された「オウム排斥運動」をお手本にしたものだ。しかし、A市のように、子どもの通学まで官民一体となって妨害したところはない。(詳細は、社会評論社刊「悪魔のお前たちに人権はない! 学校に行けなかった『麻原彰晃の子』ら」参照を)

 二〇〇一年冬、社民党衆議院議員三名が、就学拒否をしている市行政、排斥運動をしている住民、就学拒否された小学生本人の家を訪れた。

 しかし、彼ら議員が出した結論は、「排斥する住民は『人間的』。就学拒否は法律でジャッジするものではなく、話し合いで解決する問題」(大島令子・愛知七区)であった。おそらく現憲法制定以来初の出自による就学差別事件は、社民党議員らによれば、「おっちゃん、ごみ出させてな、って言えばええんよ。人間どうしなんだから!」(北川れん子・兵庫八区)で解決するご近所問題でしかなかったのだ。

 呆れてものも言えないとはこのことだ。社民党の「護憲」の中身はこの程度のものだったのだ。たいした期待はしてなかったとはいえ、彼女らの政治的感性の鈍さは想像を超えた。

 賢明な本紙読者にはわかりきったことだろうが、憲法は「守らせる」ものだ。「守らせる」ことができて初めて「護る」ことができるものとして、憲法はある。「護憲政党」社民党は、「護る」と唱えるだけで「守らせる」ことをしてこなかった。「がんこに平和」などジョークにすぎないのは当然のことだ。

 大島令子、北川れん子らは今回の選挙で落選した。落選の理由はA市問題での彼女らの対応に、本当の護憲派が愛想を尽かしたからだ、などと思うほど私は無邪気ではない。しかし、社民党全体の没落の原因の一つには、A市での対応に端的に表れている「隠れた良識派」への軽視があったのは確実だ。そう思う理由が、この件に関して他にもあるからだ。

 A市議会で就学拒否を全会一致で採択した、と先に書いた。その議会を仕切った副議長は「人権派」と自称他称していた人物だった。副議長は小学校のPTA総会に登場して、「法規的な、やむを得ない措置」として就学拒否への賛同を保護者に呼びかけた。それを聞いた一人の市民は、「こういう人が自分の投票した議員かと残念に思った」と語っている。副議長まで務めた人物が、その後の選挙であっけなく落選したのは、こうした「隠れた良識派」が彼が想像していた以上にたくさんいたのではないか、と思うのだ。自己保身のために彼が選んだ大衆迎合の方針は、明らかな読み違いだった。市民は彼が思っていたほど愚かではなかった。

 社民党の過去の大裏切りを私は忘れない。村山氏が自衛隊の閲兵をした、あの醜い姿を忘れない。あのころから衆議院選挙の投票率は激減した。「がんこに……」が真実であれば、平和を求め、人権を尊重し、憲法を「守らせ」たい人々の心はこうまで彼らから離れることはなかっただろう。

 

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