「二民族一国家論」について(上)

人民新聞

パレスチナ・イスラエル

「二民族一国家論」について(上)

■ ウリ・アブネリ (グッシュ・シャローム) ■翻訳/脇浜義明 

2003年 7月25日
通巻 1151号


失敗したユートピア=「二民族一国家論」は危険な現実逃避だ

 「狼は羊と共に宿りて」とイザヤ書(一一・六)は預言している。現代でもこれは可能である──毎日羊を新しく入れさえすれば。「二民族一国家論」が出るたびに、私はこの残酷なジョークを思い浮かべる。
 絶望のときにメシア的発想が盛んになる。暗い現在から明るい世界へと逃避できるからだ。イスラエル人左翼の間に、再び「二民族一国家論」が出ているのは、やはり状況が暗いからだろう。人間性への信頼に溢れた、美しく、気高い発想である。しかし、イザヤ書と同じように、それはメシア到来時の発想だ。現実的可能性をおびるには、まだ二、三世代は待たなければならないだろう。それまでは、単に逃避的発想に過ぎない。それもかなり危険な。
 二民族一国家論によれば、「パレスチナ」または「エレツ・イスラエル(イスラエルの地)」と呼ばれる、地中海からヨルダン川までの地は、一九四八年以前の英国委任統治時代のように、一つの国家となり、イスラエル人とパレスチナ人、ユダヤ人とアラブ人が平等な国民として住む。国家の性格─二民族か非民族か─は二の次である。
 すべての国民は同じ議会、同じ政府を選び、同じ軍隊、同じ警察をもち、同じ税金を払い、同じ学校へ子どもをやり、同じ教科書を使う。魅力的な発想である。
 こういうユートピア論が、世界中でそれが失敗した今時分に出てくるのは、奇妙である。多民族国家ソ連が崩壊、残るロシア共和国もチェチェンに見られるように、危ない状況である。ユーゴスラビアは解体しただけにとどまらず、その構成部分も解体している。ボスニアはバラバラになり、外国軍の駐留で辛うじて人為的にくっついているに過ぎない。セルビアは、実質的にコソボを放棄させられ、マケドニアの一体性も危ない状態。カナダも、長年フランス語を話す国民の分離運動に悩まされている。二民族構成のモデルだった統一キプロスは、もう記憶の彼方のことだ。インドネシア、フィリッピン、隣国レバノン等々、リストはいくらでも続く。
 なにも遠くの国を見る必要はない。イスラエル・パレスチナ紛争の直接的ルーツも、もう百年以上の歳月を経ている。すでに五世代が入れ替わり、精神世界もそれによってすっかり再形成されている。基本的には、これはシオニスト運動とアラブ・パレスチナ民族主義運動との対立である。百年経っても、シオニズム運動の勢いは弱まるどころか、拡大し、占領・入植とますます盛んである。パレスチナ側も、民族主義(イスラム版も含む)は殉教者が出るたびにますます深化している。この両民族が、自らの信仰や希望の原点を捨て、完全敵対から完全和平へ転じる。自民族の神話や語り伝えを捨て、超民族市民として一緒に住む心の準備を整える。…そんなことを本気で信じこむには、宗教以上の超絶した信念が必要だ。
 二〇世紀は数々の「ユートピア」を見た。それらは恐ろしい悲劇を引き起こした。完全な人間、または人間は完全になり得る、という仮定の上に立脚した共産主義は、結局不完全な人間という現実と衝突して崩れた。ポスト共産主義者のグレゴール・ギィシが、かつて私に次のように語ったことがある。「我々は完全なシステムを不完全な人間に課そうとした。そのため、力ずくで課さなければならなかった」と。かくして恐怖のシステムが誕生し、ウクライナからカンボジアにいたるまで何百万人の人命が奪われた。

不均衡が大きすぎるイスラエルとパレスチナ

二民族一国家論に関しては、次の三点の根本的問いかけをしなければならない。
 @両者がそれを受け入れるか?Aそれは機能するか?Bそれは紛争を終わらせるか?
 私の答えは、すべてに対し「ノー」である。
 現在のポスト・ホロコースト世代、またはその継承者であるイスラエル人が、これを受け入れる可能性はゼロ。それは、イスラエルの神話やエートスと完全に矛盾するからだ。イスラエル建国の父の目的は、ユダヤ人が最終的に自らの運命を自らの手に握ることで、二民族国家はこの目的の放棄、さらにはイスラエル国の解体を意味する。ユダヤ人が、再びかつて自分の国を持たない民として世界中を放浪した悪夢へと戻ることを意味する。それも戦争に負けた結果としてでなく、自らの意思でそうなるのである。絶対にありえないことだ。
 パレスチナ側はどうだろう?確かに、二民族国家を懐かしむように語るパレスチナ人はいる。しかしそれは、一つにはイスラエル国消滅を願う符号としての言葉であり、二つには、苦しい現実から逃れるため、昔住んでいた家や村へ戻ることを夢見る言葉にすぎない。大多数のパレスチナ人は最終的には自分たちの国、民族的一体性をもち、自分たちの旗や政府がある、つまり他の民族と同じような国をもちたがっている。
 だから、両者が「二民族国家」を受け入れる可能性は、遠い将来は別にして、まずありえない。
 仮に誕生したとして、そのような国は機能するか。世界を見渡してみても、その例はあまりない。そういう国が正しく機能するためには、両者が民族的アイデンティティを譲歩するか、または両者が平等で互角の経済的・政治的な力を持つか、のどちらかが必要である。
 ところが、イスラエル人とパレスチナ人の間にはあらゆる点で大きな差がありすぎる。不均衡が大きすぎる。二民族国家では、ユダヤ人が経済と国政のほとんどの面を支配し、その状態を確保・維持しようとするだろう。今の時点で考えると、それは搾取と経済的・文化的・政治的抑圧を辛うじて隠す新しい形態の占領政権の国家に過ぎない。現に、五五年経った今でも、イスラエルのアラブ系国民の状態は、とても平等な国民とは言えない。

(つづく)

 

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