人民新聞

    京都農塾を始めました   

  京都・奥村 猛  

2003年 7月5日
通巻 1149号


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阪神淡路大震災から「自給をすすめる百姓たち」へ

 「農塾」とは、進学塾のように、農業を目指す人達のための就農塾です。
 農塾の話を始めるにはまず、阪神淡路大震災の話から始めなければなりません。
 今から八年前の正月、文字通り、近畿を揺るがす大震災が起きました。多くの方が亡くなられましたが、それ以上に被災された方々の生活は悲惨極まるものでした。テント村や仮設住宅は、いまや過去のものになってしまいましたが、命拾いをした人たちがまず求めたのは、風呂や住宅ではなくて、まず食料と水でした。
 命をつなぐためには、食べ物が必須です。
 当時、私も川西市内を配達する産直組織に野菜を出荷していましたが、震災当日、地震の揺れでひん曲がったシャッターを押し開けて出発し、夜中までかかって配達をした産直職員に頭が下がりました。困難を押して配達した先々で、感謝の言葉が聞かれたとのことです。その産直にも、翌日分からの商品が届かなくなり、その産直もやむなく休業になってしまいました。
 神戸市のある農協が米倉庫を開放し、おにぎりの炊き出しを始めたという事を聞いたのもその頃です。
 生命をつなぐために必要な物は「衣・食・住」ですが、順番はまず「食」であり、「衣」「住」と続きます。
 その年、仮設住宅が建て並ぶポートアイランドで、関西各地の産直が集まって、被災者を励ます「生命の祭」を開催しました。そのとき参加した生産者達が、「これだけで終わらせるのはもったいない」、と所属する産直を越えて集まり、「自給をすすめる百姓たち」という組織を発足させました。その組織は今も活動を続けています。

「独り立ちした成人」とは言えぬ日本の食糧事情

 当時も今も、日本における食糧自給率は先進国で最低、他の先進国やいわゆる発展途上国からの輸入に頼っています。はっきり言ってこれでは「スネかじりの若造」であって「独り立ちした成人」先進国とは言えません。
 それにもかかわらず、当時の政府はGATT─ウルグアイラウンドを受け入れ、米の輸入を承認したのです。農民の怒りも頂点に達し、既存政党を頼らず、自ら国政を変えようと参議院選挙に打って出たのです。成果は残念ながらありませんでした。もうすでに日本に農民は、それほど多く存在しなくなっていたのです。
 今の日本の農業を支えているのは、他の職業を持った第二種兼業農家であり、農業収入に頼っている専業農家は、たぶん上は農水省から、下は町村役場や農協などの、いわゆる「農業関係者」の数より少ないのではないでしょうか。そんな状況ですから、声を大にして街頭で訴えたところで、聞く耳を持つ人は少なかったのでしょう。
 「自給をすすめる百姓たち」に話を戻しましょう。
 その名のとおり、「自給をすすめる」のが目的です。それは食糧であり、生産者の自給でもあるのです。
 二〇〇一年正月、時の政府は「不測時における食料安保マニュアル」というものを発表しました。ご存じの方は少ないと思います。正月三日の朝刊に載ったにもかかわらず、その後マスコミの動きは全くと言っていい程ありませんでしたから(二〇〇〇年から二〇一〇年までに、食糧自給率を五ポイントアップして、四五%にするという方針もずっと前からあるのですが、これも不問です。もうすでに二〇〇三年、すでに一ポイントほどアップしているはずなんですがねぇ〜)。その食糧危機マニュアルですが、二〇二五年頃には食糧危機になるオソレがあるから、その時は畑に花や植木を植えないでイモを植えよう!輸入食糧が入らなくなればゴルフ場や河川敷にイモを植えよう!というものでした。確かにイモは栄養も豊富で、量も多く取れるのは事実ですが、なにやら戦時中に庭にイモを植えたという話を思い起こします。

「新規就農者の支援」掲げ京都自給ネットワークから「京都農塾」へ

 その中身は危機管理にしては余りにもお粗末ですし、「もっと他にすることがあるだろう!」という思いでした。
 そのことを「自給の会」で発言し、会として何らかのコメントを発表したらどうだろうと提案したところ、『「自給をすすめる百姓たち」に「運動」は似合わない』という理由で却下されました。だから私は即、京都で「京都自給ネットワーク」を作りました。目的は同じですが、地産地消で循環するシステムです。この話はまた別の機会にしますが、その目的の一つに「新規就農者の支援」というのがあります。それで京都自給ネットワーク(これは昨年、NPO法人になりました)と京滋有機農業研究会、京都レッツ(地域通貨の団体)の三団体共催で今年、「京都農塾」を立ち上げました。これまでが京都農塾の設立の経緯です。
 さて、その中身ですが…
 すでに大阪農塾(大阪府有機農研主催)、神戸農塾(神戸学生青年センター主催)が存在します。大阪は知っての通り、あまり農地もなく、消費者中心・講義中心の活動をしています。神戸も講義が中心で、見学がある程度です。京都ではそれと一味違って、実践を重視してやっています。年四回の合宿で、講義と翌日の野外実習、それとは別に京都農塾の「実践田」と「実践畑」を用意して、月二回程度、土日を利用して塾生が自主的に実践と管理にやって来ています。

「実践重視」、講師は地元農家

受講者も就農希望者に限定

 この五月、実践田で有志が手植えで田植えをし、すでに圃場の草取りも二回、手作業でやりました。畔草刈りも二回、こちらはエンジン付の刈払い機でやりました。稲は今、順調に育っています。畑のほうは今、サツマイモと枝豆、スイカ、それに丹波黒大豆、万願寺唐辛子の京野菜が植わっています。
 次回の京都農塾は、七月二六日(土)・二七日(日)に実践場の近くの府立公園るり渓の民宿で、「秋冬野菜の作付」をテーマに開催する予定です。
 京都農塾の特徴は「実践重視」と言いましたが、それと共に講師陣の顔ぶれです。講師は高名な先生を迎えるのではなく、すべて近くに住む新規就農者や地元農家を頼んでいます。その数一〇名ほど。皆さん、自分の農場を持ち農繁期も重なるため、その期日に手隙になる人を選別して来てもらっています。有名な先生は、塾長を兼ねる京都大学農学部講師・西村和雄氏だけです。その西村先生も隣町、日吉町に四年前から住んでおられます。
 授講者対象は一応、農業に興味のある方にしていますが、体験を楽しむだけの人は遠慮してもらっています。私も多忙ですし、ボランティアで事務局をやっていますので、定員を少なくし、新規就農希望者に絞っています。京都農塾は第一回目から地元新聞の京都新聞社の後援もいただき、その位置付けは「就農支援団体」になっています。現在、私のところに研修生が二年前から一名、今年の農塾の参加者の一人が実習にきています。何せ「京都農塾」は金儲けでやっているわけでも、私個人の顧客獲得や顧客サービスでやっているわけでもありません。いずれNPO(非営利特定活動)法人にするつもりです。

 

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