元旦に路上生活者を訪ねて
今年の元旦は、久しぶりに大阪の公園や高速道路の下などの、路上で生活をしている人達を訪ねてまわった。浪速区の汐見橋の駅の近くには、七〇人ほどが並んで、青テントで小屋を作って生活をしている。廃品回収でがんばって生活しているAさんには正月もなく、いつもどおり早朝に堺の方まで自転車で出かけて行って、荷台いっぱいのアルミ缶を集めて帰ってきていた。一`七〇円で買ってもらうのだが、よく集めても一日一〇〇〇円にもならないらしい。「最低限の生活ですよ。それで、携帯ガスのボンベを買い、ラジオの電池を買い、少しの米を買ってきます」と話してくれた。
年末から年始の一〇日まで、南港に臨時宿泊所が出来ており、多くの人がそちらに行っているらしく、あまりなじみの人はいなかった。隣のテントのおじさんは、クーラーの廃材で、銅と鉄とアルミを仕分けていた。その隣は入院して現在は空になっている。
知り合いのMさんを尋ねて大阪城公園に行くと、青いテントが木陰の影に以前と同様に並んでいた。一時避難所が一一月に出来たのに、テントの数はあまり変わっている様子はなかった。Mさんに聞くと、「あんな収容所のような所には入りたくない。ベニヤ板一枚で仕切られていて、話し声も丸聞こえや」と話していた。
三〇年前に、釜ヶ崎の越冬闘争に参加して以後、その近くの救急病院で准看学校に通いながら働きはじめたのが、私の看護婦としての出発点だった。その病院に救急車で運ばれてくる患者は、ほとんどが釜ヶ崎の労働者であり、多くの結核の患者に出会う機会があった。その後、結婚して釜ヶ崎の中で生活しながら、隣接した同和地区の病院で勤め、在宅で療養している老人や障害者の訪問看護をしていた。訪問先には日雇いの仕事をしていたという単身の老人もおり、又、近くの公園や路上で野宿している多くの人々を見かけた。訪問の途中でテントで生活している人やリヤカーを引いている人の血圧測定をしたり、炊出しの公園で健康相談をしたりしていた。
インタビューから見えること
近年は、多くの都市でホームレスが急激に増加し、ホームレスに対するイメージも少し多様化してきたが、一般には「家族や社会とは縁を切った孤独な人」というイメージをホームレスは持たれている。そこで、釜ヶ崎炊き出しの会の「絆通信」のホームレス体験者七人のインタビューの内容を調べたところ、@自己概念A家族B不幸C流動D仕事E野宿生活F健康G相互扶助H安寧I生きがい─の一〇のカテゴリーに分類された。
自分自身のことを「労働者としての自分」「誇りある自分」「みじめな自分」と三人が語っている。「仕事」のことを多くの人が語っており、「労働者としての自分」を数多く現している。「誇りある自分」は「相互扶助」「安寧」で、「みじめな自分」は「不幸」「健康」「野宿生活」で語っている。釜ヶ崎へは人に聞いて仕事を求めてというのが全員であり、五七才、三六才、四〇才、五八才、四九才、三〇才、三六才と比較的高年齢から来ていることが分かる。二人は家業を経験して、五人が結婚したが、四人が離婚してる。会えない家族への「切ない想い」を二人が語り、三人が「望郷の想い」を語っている。全員「家族」や「仕事」のことを一番多く語っており、過去の「家族」や「仕事」を中心にした「本来の自分の世界」を持っており、基本的な強さを身につけているといえる。
「人間関係は大変重要なことにちがいないが、さりとてそれが人生上の唯一のことではなく、それと同様に、孤独がこの世に存在するうえで重要な役割をはたす」と、アンソニー・ストーが「孤独/自己への回帰」という著書の中で、孤独の重要性について論じている。ホームレスに対しては孤独のイメージをもつ人が多いが、孤独をマイナスのイメージでしか捉えていない「われわれ」の社会の人間関係の希薄さを、ホームレスに投影しているのではないか。
看護学生への意識調査
現在、私は保健医療福祉系の大学で学生達に教育する立場にあり、ホームレスといわれる人々の問題を学生と共に考えていかねばならない。看護学生のホームレスに対する意識調査で、「怖い」「怠け者」などのイメージをもった学生がいた。さらに、健康障害をもった援助の対象であり、援助を受けられない現状を、人権問題としてとらえる視点が殆どなかった。
しかし、結核の罹患率が全国平均の三〇〜五〇倍という問題を例にして、ホームレスにならざるを得ない現状や、住所不定という理由で生活保護もうけることができないと講義で説明した後に感想を書いてもらったところ、多くの看護学生らしい意見が見られた。将来、保健婦や訪問看護婦としてホームレス体験者のために働くとき、誤ったイメージで接すると、今までと同じように援助を拒否されるだけかもしれない。
また、心理学科の講義が終了した後の感想では、「今まで現状を知らないで偏見を持っていた」という多くの意見があった。また、不快な経験をしたという学生も少なからずいた。いくら話を聞いても、やっぱり考えは変わらないと言う意見も少数はあった。それに対して、「よく知らないまま偏見を持ってしまうことや、会ったときについ避けてしまうことは、正直というか、仕方のないことである。
ホームレスの人は、これまで普通の人としては理解されてこなかったが、生活の仕方が違っていても、同じ人間と考えることがすべての第一歩だと思う。働きたくても働けない人、故郷に帰りたくても帰れない人もたくさんいて、その人たちに対して今、何ができるかを常に考えていきたい。そして、何よりも仕事があればしっかりした生活ができるということを忘れてはいけない。ホームレスの人も私たちと同じ社会の一員であり、私たちの生活と無関係ではない」というコメントを再度届けた。
|