「国を愛する心」が奪うもの |
大今 歩 |
2003年 1月15日
通巻 1132号
11月14日、中教審は教育基本法改正を求める中間報告を遠山文部科学大臣に提出した。中間報告は、「具体的な見直し」の方向として「日本人のアイデンティティ(伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心)」「社会の形成に主体的に参画する『公共』の精神、道徳心、自律心」などをあげた。 今回の教育基本法改正の動きは1999年8月9日「国旗・国歌法」成立の翌日「自民党教育改革実施本部」が教育基本法の改正も視野に入れ検討する方針を示し、これを受けて9月8日小渕元首相が「教育基本法の見直しに着手する」と言明したことが発端となっている。このように教育基本法改正は「国旗・国歌法」成立を契機に始まる。 そして2000年3月27日首相の諮問機関として「教育改革国民会議」が発足(小渕元首相は同日、病に倒れ、森前首相の諮問機関として引き継がれた)。7月26日、同会議の第1分科会は「教育基本法改正が必要であるとの意見が大勢をしめた」と報告した。さらに9月17日には「新しい教育基本法を求める会」が発足。代表委員は西尾幹二、坂本多加雄、事務局長高橋史朗(右翼団体日本青年協議会、改憲組織・日本会議のメンバー)で「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーと完全に重なる同会は「伝統の尊重と愛国心の育成」「国家と地域社会への奉仕」などの要望書を森首相に提出した。このように教育基本法改正は「つくる会」の高橋史朗らの動きによって拍車がかかった。 12月22日「教育改革国民会議」は「教育を変える17の提案」を発表、「教育基本法見直しに取り組む」ことが必要だとした。これをうけて翌2001年1月19日、町村文部科学大臣が中教審に教育基本法「改正」を諮問、今回の中間報告に至ったのである。 右のような経緯を踏まえて、教育基本法改正の動きについて考察したい。 まず第1に教育基本法改正は戦前の教育勅語的なものへの回帰に他ならない。 教育基本法は、1947年3月31日に制定された。そして翌1948年6月19日、衆参両院が教育勅語の排除・失効決議をあげた。この結果、教育勅語の説く「忠君愛国」「国家への奉仕」にかわって教育基本法が説く「個人の尊厳」「真理と平和を希求する人間の育成」が教育の基本理念とされたのである。ところが、中間報告は教育基本法の全面改正を求め、「国を愛する心」や「公共の精神」を盛りこもうとしている。鳥居泰彦中教審会長は「(見直し論議が)教育勅語をまねているといわれるのは一番悪いアプローチ」とくり返している。しかし私にはどうしても「教育勅語をまねている」としか思えない。「忠君愛国」を「国を愛する心」に、「国家への奉仕」を「公共の精神」におきかえただけだ。 第2に今回の「教育基本法改正」を批判する意見には「憲法改正の地ならし」「憲法改正の露払い」など教育基本法改正を「憲法改正」のステップとしてとらえるものが多いが、私は教育基本法改正そのものの影響は決して小さくないと考える。 たとえば、私たちが直面している「日の丸」「君が代」処分に関わる裁判・人事委員会闘争でも、処分の不当性を主張する最大の根拠は教育基本法であった。たとえば、1997年高槻市立阿武野小学校の荒井さんの「日の丸」処分の大阪府人事委員会審理の最終意見陳述では「学校は『真理と正義を愛し』(教育基本法第1条)『真理と平和を希求する人間の育成の場』(同前文)」を根拠にして処分撤回を求めてきた。(なお、12月20日現在、人事委の裁決はまだ出ていない) ところが、今回の教育基本法改正が実現すると、行政側が逆に「国を愛すること」を盾にとって「日の丸」「君が代」処分を正当化するに違いない。このように教育基本法改正は近年続出している「日の丸」「君が代」処分に対する私たちの最後の抵抗の手段を奪う。前述したように「国旗・国歌法」成立の翌日、教育基本法改正の動きがはじまった。権力側の改正の意図はまさしく、その点にあるのである。 このように教育基本法改正は憲法改正のステップだから危険なのではなくて改正そのものが十分に私たちを生きにくくさせる。教育基本法改正反対の声を拡げていきたい。 |
人民新聞社
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