「実質改憲」がねらいの教育基本法「見直し」

金子光史

2003年 1月15日
通巻 1132号

 昨年(2002年)11月14日、中央教育審議会(中教審)は、教育基本法の見直しと教育振興基本計画についての中間報告を発表した。
教育基本法改悪という教育改革国民会議の答申(2000・12)を受けて、一昨年11月、審議会を発足して以来、わずか1年足らず。十分な国民的議論が形成されていないという批判の中で、今後全国5カ所の「一日中教審」という形式ヒアリングを行い、今年早々にも最終答申を出す予定だ。
 今回の中間報告の骨子は、曾野綾子ら改憲派委員が大半を占めた教育改革国民会議の答申をほぼ踏襲するものになっており、国民的議論を避けた「出来合いの審議」と言わざるを得ない。
 かつて本紙にも報告したが、教育改革国民会議の答申とは、それまでの教育改革論議から大きく歩を踏み出し、優生思想を色濃くにじませた能力主義教育(選別と自由化)と、家庭・社会を視野に入れた国家・国民価値の導入という新たな国家主義教育を可能にするための教育基本法改悪という内容を、はっきりと打ち出したものである。その背景にあるのは、グローバル化(市場原理主義)に向けた根本的な社会再編であり、世界的な大競争時代を勝ち抜くための国家戦略としての教育改革の必要性である。
 弱者切り捨てを前提としたエリート重視の人材育成システムと国民統合としてのアイデンティティーを上からの愛国心によって植え付けるための新たな国家主義注入システムの確立によって、人民の管理・統制をより強固にしていくことが教育領域での主な狙いとなっている。
 そうした社会再編に避けて通れないのが、教育基本法の改悪であり、有事法制であり、最終的には改憲である。「準憲法」的性格を持つ教育基本法の改悪を早急に政治スケジュールに載せようとする今回の中教審の動きは、イラク攻撃に向けた米軍の後方支援活動を既成事実として積み上げ、見切り発車しようとしている有事法制の動きと共に、改憲と結びついた大きな国家戦略の中の意図的な動きであることを十二分に意識して、改悪阻止に向けて取り組んでいく必要がある。

■有事法制と同じ、「なし崩し」手法
 今回の中教審の教育基本法「見直し」に関する諮問では、議論の視点として、(1)時代や社会の変化に対応した教育、(2)1人1人の能力・才能を伸ばし、創造性を育む、(3)伝統・文化の尊重など国家・社会の形成者として必要な資質の育成、という3つの視点が掲げられ、「見直し」の根拠とされている。また、「憲法との関係については、現行の憲法の枠内で見直すべき点を見直す」としている。
 しかし、教育基本法は、教育が行政等から独立することの重要性を重んじて、憲法において教育の基本を定める代わりとして制定されたものであり、憲法の精神を実現するための準憲法的意味合いや教育憲法的性格を持ったものである。こうした性格を持つ教育基本法を「憲法枠内で見直す」ということが、どこまで可能なのだろうか。また、「見直し」議論の根拠となっている3つの視点の正当性についても一切議論されていない。
 これらのことについては、昨年9月、日本弁護士連合会も中教審に出した意見書の中で、厳しく問うているが、中教審では一切、沈黙したまま、憲法に抵触する内容を幾つも盛り込んだ中間報告を出してきたのである。
 これこそが彼らの政治手法なのだ。有事法制に見られるように、情勢に応じて、一気に議論抜きの既成事実化を積み上げ、なし崩し的に「実質改憲」という実態を作り上げていく。またもや、教育面においてもこの手法で事が進められようとしているのだ。
 議論抜きということに関しては、すでにいくつもの教職員団体から、「国民的コンセンサスを得るように」との要望書が出され、日本PTA全国協議会の調査でも、保護者の84%が「教育基本法についてよく知らない」という結果が出ているにもかかわらず、この一方的な基本法「見直し」報告なのである。昨年9月の段階で中教審への意見書提出は、3448通にものぼったが、それに対する誠実な議論は皆無というのが実態である。議論が熟成しない内にこそ、教育基本法改悪を実体化させようというのが彼らの狙いなのである。

こんなにひどい!憲法に抵触する「見直し」議論
 報告書の問題点は非常に多岐にのぼっている。また、今後の日本社会をどのようにしていくのかという重要な問題を含んでいるために議論形成が難しいというのが現状である。ここでは紙面の関係から、「見直し」議論の3つの視点に関し、基本的な理念、方針の問題点を取り上げる。

投げ捨てられた「平和」
●(1)の「時代、社会の変化に対応した教育」という点で、時代認識に大きく憲法を逸脱した点が見られる。
 その一例として、諮問理由では「教育の目的として第1条は、人格の完成を目指し、国家、社会の形成者として、心身ともに健康な国民の育成を期して行う」と書かれている。現行法では「人格の完成を目指し、平和的な国家、社会の形成者」となっており、意図的に「平和的国家、社会」という文言が削除されている。これは単なるミスではない。昨年7月に公表された「中教審・基本問題部会の議論概要」でもそうなっているのである。ブッシュ米大統領は、現代を「戦争の時代」と呼んだが、日本においてもそれに追従し、教育基本法と憲法に明記されている「平和的国家、社会の形成」ということを破棄しようとしている。

差別─選別の「エリート育成」
●(2)の「1人1人の能力・才能を伸ばし、創造性を育む」では、基本法第3、4条の「教育の機会均等」「義務教育」との関係で憲法に抵触する。憲法26条は「その能力に応じて、等しく教育を受ける権利」を保障している。諮問では、「能力に応じた教育」ということを重点化し、「等しく教育を受ける権利」を後退化させた。文部科学省はすでにこうした考えを実体化させ、「能力別クラス編成」や「後期中等教育の複線化」「飛び級、飛び入学」「進学エリート校の復活」といった「リーダー育成のためのエリート育成教育」と、差別─選別の「落ちこぼし、切り捨て」教育が進んでいる。石原東京都政では、「進学エリート校」に対し、実績に応じた特別予算を用意するなど、露骨なエリート優遇教育が進行している。
 こうした流れを形成している背景に、教育論議に深く蔓延し始めている「優生思想」の差別論者の存在がある。「ある種の能力の備わっていない者がいくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子どもの遺伝子情報に見合った教育にしていく形になっていきますよ」こう述べたのは、小泉首相の私的諮問教育機関のリーダーであり教育改革国民会議座長の江崎玲於奈。ノーベル物理学賞受賞者、その人である。「できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。100人に1人でいい。やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」こう言い放ったのは三浦朱門。前教育課程審議会会長で、かつて文化庁長官も務めた男である。日本人の血と家庭教育の重要さを口にし、「全ての18歳の国民にボランティア活動の義務化」を提唱した教育改革国民会議委員の曾野綾子は、「夫唱婦随」?連れ合いの三浦と共に、優生思想に基づく教育にはことのほか熱心である。
 怖いのは、こうした差別論者が各教育審議機関に送り込まれ、その考えが我々「一般」人や教育現場の人間に諮られることもなく、ある種の権威を持って現実化して進んでいることである。そして、「現実は、このように変わってきた。だから教育基本法も変えなければならない」というすり替えの論法で、今回も事が進んでいることだ。

どんな国にしていくかが問題
●(3)の「伝統・文化の尊重など国家、社会の形成者として必要な資質の育成」についても、上記2点と関連した問題を含んでいる。またここでは基本法の第8、9条「政治教育」「宗教教育」においても憲法に抵触する。ここで彼らは教育的価値として愛国心を持ち出し、「道徳教育」「奉仕活動」「宗教的情操を育む教育(心の教育)」の必要性を強調する。しかし、肝心な「我々がどのような国を建設していくのか」ということについては、「平和的国家、社会の形成を」という憲法の目指す方向を、「国家、社会の形成」にすり替え、口を拭っているのである。こうした内容が、そのまま基本法に盛り込まれるとしたら、そのこと自体が憲法に明記されている「思想、信条の自由」を侵害することになる。
 どのような国にしていくことが、「国を愛する気持ち」に繋がるのか?そのためにどのような資質を教育を通して育てていくのか?教育の公共性とはどうあるべきか?という本質的な議論はスポイルされ、「反社会的風潮の一掃を」、「個よりも公を」といった表面的なスローガンの議論に終始する。
 そしてさらに問題なのは、そうした一方的な価値基準を、学校ばかりか、家庭─地域─社会へと押しつけ、「生涯教育」社会という名の下に管理していこうという流れが進んでいることである。人民の管理・統制が大好きな石原都政では、すでに「心の東京革命」というキャッチフレーズの道徳教育を自治会を単位とした草の根レベルで進めている。
 これ以外にも、諮問では「教育行政(10条)」に触れ、「教育が不当な支配に屈してはならないとの原則を維持しつつ、教育振興基本計画の在り方と共に、国、地方団体の責務について、その適切な役割分担をふまえ・・・検討する必要があると考える」と中央集権的な教育行政について、地方自治、地方分権も含んだ微妙な表現をしている。こうした内容についても、現状追認の論法に負けない議論を積み重ねていくことが必要である。

「我々の求める社会、教育とは何か」といった議論を創り出していこう!
 彼らのやりたい放題に対して、ただ手をこまねいているわけにはいかない。最も効果的でかつ根源的な闘いは、「見直し」論議を教育問題に切り縮めるのではなく、来るべき社会をどう作っていくのかという観点で全人民的課題として議論を喚起していく事である。
 願わくば、これを機会に「我々はどのような社会、教育を求めていくのか」を議論として創り出し、これまでにない幅広い層との出会いの中で、教育基本法改悪阻止と新たな教育の創出を軸にした共同戦線のようなものが生まれてくることである。さらには、我々の求める社会像の議論が深まり、有事法制や9条改憲阻止に向けた、真の平和を求める国民的統一戦線が形成されることである。
 その地平を見据えながら、歩を進めていこう。ゆっくり、急ごう!機は、十分に熟しているのである。

人民新聞社

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