アフガン現地レポート

クラスター爆弾は、今も子どもたちの
手足と未来を奪い続けている

TAKA

2003年 1月15日
通巻 1132号

 昨年12月末、2人の日本の青年がアフガンに向けて飛び立った。米軍による空爆を裁く国際民衆法廷に向けて、アフガニスタンで空爆による民間被害の実態を調査するためである。マスコミは、タリバン打倒後着々と復興するアフガンを描く。しかし、実体は?イラク攻撃が間近に迫る今、米軍主導による政権打倒がいかなる結果をもたらすのか?を知る意義は大きい。(編集部)

本当のカブール 1月4日
 「2001年10月、アメリカは、「不朽の自由」と銘打ってアフガニスタンに武力を結集すると同時に、ビンラディンを擁護したタリバン政権をも打倒の対象とし、9・11への報復を行った。そして、民間人を多数殺傷したが、「誤爆」という言葉で全てを片づけている。これが、はたして「正義のための戦争」なのか?それを知りたくて、アフガニスタンに行くことを決めた。
 カブールに着いて最初に驚いたことは、夜のカブールには全然人がおらず、まるでゴーストタウンのような様相を呈していたことだ。
 そして、ゲストハウスに着くなり、今度はその宿泊料に驚かされた。ドアの鍵は閉まらず、氷点下になるのに、暖房器具はなく、テレビは壊れていて、トイレとシャワーは共同。そんなゲストハウスで、宿泊料は1部屋50$、1人25$である。しかし、他のゲストハウスは、同じレベルで75$を超え、ここでは温水シャワーが使えるので、この値段なら仕方がない。また、食料関係は5割増しになり、パキスタンでは4円程度のナンが6円、カバブ等もそれに追随している。
 翌朝からカブール市内を回った。確かにカブールに人は戻ってきていた。中心地では、大きなバザールが開催され、昨晩とはうってかわって人で溢れている。しかし、少しばかり車を走らせると、いきなり廃墟の区画に行き着く。
 カルテ・セー、カルテ・チャーと呼ばれるこの一体は、ソ連侵攻時代に激戦区となった場所であり、ハザラ人が多く住んでいた場所でもある。この一体の家の壁は、生々しい弾痕が残っているか、崩れ去っており、壁で囲まれている家などほとんどない。しかし、こんな所にも人が住んでおり、夜は氷点下になるこの寒さの中、いったいどんな暮らしをしているのか?国際的には、カブール市内にISAFという治安支援部隊が入り、政権は移行して安定し、とりあえず平和を取り戻した、ということになっている。
 が、実際はそう簡単に片づくものではないということが見て取れる。廃墟の中の洗濯物が、今のカブールを如実に現わしている。カブールに戻ってきても、住む家がなく、家と呼ぶにはほど遠い廃墟に人が暮らしている。これを「安定・平和」と国際社会は呼ぶのだろうか?
 複雑な心境で廃墟を後にし、ゲストハウスに戻る途中、2機のB-52と思われる戦闘機が隊列を組んで我々の頭上を飛び去っていった。そう、まだ戦争は、終わってなどいないのだ。 

「民間人の戦争被害」 1月7日
これが正義の闘いか!
 「誤爆」で長年連れ添った妻を亡くし、自分も聴力をなくした70歳の老人。背中に打撃を受けて歩行困難になった16歳の少年。母を亡くし、自身も片目を失明した女性。家を失い、息子を亡くした母親。彼・彼女らは口々にこう言う。
 「今までにたくさんの人が、私たちのことを写真やビデオに収めに来た。そして、誰も戻っては来ない。みんな一度来るだけだ。誰も私たちを助けに来てはくれない」と。残された遺族のほとんどが、爆撃によって今でも精神的な病気を抱え、怪我を負った人も、お金がなくて病院にも行けない。もちろん、誰一人としてアメリカの補償を受けている人などいない。誰が、彼らにこんな仕打ちをしたのか!そして、誰が彼らを支援してくれるというのか。こんなにもひどい現実を、国際社会は正義というのか――。
 ここ数日で、アメリカの空爆によって被害を被った民間人の聞き取り調査を5件行うことができた。以前から調査をしている現地NGOから被害者4人の住所を教えてもらい、向かった先で新たに1軒の被害事実を聞くことができた。しかし、まず最初に断っておくべきは、空爆から1年以上が経過し、新政権移行からも時間のたった今、戦争の被害を調査することはきわめて難しい、ということだ。理由としては、以下のようなことがあげられる。(1)空爆によって被害を被った家々がすでに再建され、被害状況が見えなくなってきている。(2)空爆被害者が、身寄りを頼って引っ越しや移動を繰り返しており、誤爆と思われる空爆がなされた場所は分かっていても、そこに人がいない。(3)重なる外国人のインタビューに疲れ、私たちの訪問に応じない人も多数いる。(4)米国による箝口令が敷かれている、という噂があるほど、人々の口は重たくなっている。こういった状況の中で5件の生の声を聞けたことは、貴重であると考えている。

20年にわたる内戦の傷跡
 5件の被害調査を終え、痛感するのは、自分達の視野の狭さである。
 僕は、9・11以降のアフガニスタンを中心に考え、アメリカのしたことや今回の空爆のことを考えていた。しかし、空爆以前のアフガニスタンで20年以上にもわたる根深い争いが続いており、さらに大規模な干ばつが起き、大地は乾き、帰る家を持たなかった人々が存在していたのだ。この争いの中で、数多くの人が死に、負傷し、故郷を捨てざるを得なかった。そして、国際社会はどこまで彼らに目を向けていたというのだろうか?
 私達はまず、数多くの命がアフガニスタンの国内で失われ、今までそこに見向きもしなかったことを認め、その上で今回のアフガン空爆を考えなくてはならない。
 そんな殺伐とした大地に、アメリカは自分達の利益と自由のために新兵器を次々と使用し、罪のない民間人を殺した。地下30メートルの大地を貫いて爆発し、周囲数キロにいる人々に打撃を与える爆弾を使った。そしてクラスター爆弾の不発弾は地雷となって大地に埋まり、これから先も子ども達の手と足と未来を奪い続ける。果たしてこれが正義なのか?
 そして、日本は爆弾を落とす戦闘機に大量の燃料を補給し、この戦争に「参戦」した。これが、国際社会が「あの」アフガニスタンにするべき行為だったのかどうか。私達は、多くを知る必要がある。

とどめとなった空爆
 破壊するのは一瞬だが、再建するには多大な時間と労力がかかる。「しかし、誰も助けに来てくれない」と彼・彼女達は言う。武器と金を持つ者は、そこから逃げることができる。そして被害を受けるのは、最愛の人を殺されるのは、その場から逃げることもできなかった彼・彼女達なのである。彼・彼女達は、20年以上、爆弾のいつ降り注ぐか分からない恐怖の中で生活しながら、アメリカの手によってとどめを刺された。そしてそれは、アメリカに言わせれば正義だというのだ。
 アメリカのしたことが正義だったのかどうか?それは、1人1人の胸の内に委ねられている。彼・彼女達が新しく建て直した家が、また爆弾で破壊されるかどうかも、あなたの胸の内に委ねられている。今一度、アフガンの空爆について1人1人が考え直さなければならない。こうしている間にも、クラスター爆弾の子爆弾は、子どもの命を奪い続けている。

人民新聞社

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